かつて語られた未来へ
フォード・ヘリテージ・ヴォールト(Ford Heritage Vault)は、自動車メーカーの公式オンラインアーカイブとしては非常に優れた情報源であり、その内容は日増しに充実している。最近の更新では、これまで公開されていなかったコンセプトカーの画像が多数追加され、その総数は2000点近くに及ぶ。
【画像】夢のようなデザイン! 近未来的コンセプトカー【フォード・モデルU、FXアトモス、フォーティナインを詳しく見る】 全24枚
ここではすべてを紹介することはできないが、その中から50台のフォードのコンセプトカーを厳選し、時系列順に紹介していく。おそらく、多くの人にとっては初めて耳にするものばかりだろう。
FXアトモス(1954年)
FXアトモス(FX-Atmos)という名称は「未来の実験的な雰囲気」を意味している。フォードの副社長ルイス・クルーソー氏(1895-1973)によると、このコンセプトカーは「市販化を前提に考案されたものではなく、そのため、開発には機械工学的な考慮は一切含まれていない」とのことだ。
しかし、クルーソー氏は、「将来のスタイリングの可能性の1つを象徴している」と付け加えている。実際、バブルキャノピーやフロントから突き出た鋭いスパイクは普及しなかったが、1954年当時まだ一般的ではなかったテールフィンやエクステンデッド・リアライトは、やがて主流となった。
ラ・ギャラクシー(1957年)
シカゴで発表された6人乗りのラグジュアリーコンセプトカー、ラ・ギャラクシー(La Galaxie)は、FXアトモスに比べてやや未来感の薄いデザインだった。カウル付きヘッドライトは珍しかったが、逆傾斜のリアウィンドウと非常に長いトランクは、すでにマーキュリー・ターンパイク・クルーザーで実用化されており、1950年代末には英国製フォード・アングリアの最終世代にも採用された。
しかし、前席乗員の頭上まで続くフロントガラスは異例だった。フォードの説明によると、ラ・ギャラクシーでは「前方の車両や物体に危険なほど接近した場合に、自動的にクルマを停止させる電子式接近警報装置」のアイデアも「構想」されていたが、このような技術が実用化されるのは何年も後のことであった。
クーガー406(1962年)
1962年2月16日、その年のシカゴ・モーターショーの開幕前日に発表されたフォードのプレスリリースによると、クーガー406は「最も熱狂的なスポーツカーファンを魅了するデザインと、パーソナルカーに求められる快適性とスタイルを併せ持つ」クルマだという。最も注目すべき特徴はガルウィングドアで、メルセデス300SLとは異なり、こちらは電動式だった。
このコンセプトカーの名称は、フォードのFE V8エンジンファミリーに新たに追加された、排気量406立方インチ(6.7L)のエンジンに由来している。
ギア・セレーネII(1962年)
ヘリテージ・ヴォールトには、フォードがイタリアのデザイン会社ギア(Ghia)を買収するずっと前に製作されたコンセプトカーもいくつか収録されている。その一例が、現代の衝突安全試験では高得点を獲得することはまずないであろう、極端なキャブフォワードデザインのスポーツカー、セレーネII(Selene II)だ。
ご覧の通り、フロント部分にエンジンを搭載するスペースはない。エンジンは後部に搭載される予定で、後部座席の乗客は進行方向ではなく後方を向いて座る。
アレグロ(1963年)
この10年後に登場したオースチンの同名車種とは全く無関係のアレグロ・コンセプトは、ペダルを前後4インチ調整可能で、ステアリングホイールも前後に4インチ、上下に5インチ稼働する設計だった。
展示車では、2.4Lのマイレージメーカー直列6気筒エンジン(すでにファルコンなどに採用されていた)によって後輪を駆動するが、フォードは、より小型のV4エンジンで前輪駆動にすることも可能だと述べている。
マーキュリー・コメット・スーパーサイクロン(1964年)
スーパーサイクロンは、標準的な64年型コメット・カリエンテ2ドア・ハードトップを改造したもので、長方形のヘッドライト(当時の米国では違法)、「フルファストバック」と呼ばれる空力ボディ、後方から接近する車両を検知するレーダーシステムなどを備えていた。展示車のレーダーは装飾として取り付けられたものだが、「フォードの科学者たちが実用的なバージョンを研究中」とのことだった。
外装色は「ムラーノ・ゴールド」と呼ばれ、黒のベースに透明なゴールドのトップコートを塗布して作成された。
フェアレーンGT-X(1966年)
GT-Xは、標準的な5代目フェアレーンをフォードのエンジニアが改造し、続いてカスタムカーの製作で知られるデザイナーのジーン・ウィンフィールド氏(1927年生まれ)によってさらに改良が加えられたものだ。当初、全米各地のイベントで市販車のフェアレーンを宣伝する目的で作られたが、1967年にモデルチェンジされたことで役目を終えた。
このコンセプトカーは長い間姿を消していたが、半世紀以上経った2019年に、ウィンフィールド氏による修復を経て、再び世間の前に登場した。
マッハ2(1967年)
この写真は、マッハ2と名付けられた2台のコンセプトカーのうちの1台だ。もう1台はレース用として開発された。どちらもフォードが設計し、カー・クラフト・エンジニアが製作したもので、初代マスタングのプラットフォームをベースに、4.7LのウィンザーV8エンジンとコロッティ・トランスアクスルをミドシップに搭載できるように改造された。
しかし、フォードは、マスタングのミドシップ版として計画されたものではなく、もし発売されていたとしても、別のモデルになっていたと主張している。
マスタング・マッハ1(1968年)
フォードは、1959年に発表した車輪のないシングルシートの奇妙な浮遊ポッドに『マッハ1』という名称を初めて使用したが、それから7年後、非常に低いルーフとハッチバックリアを備えたコンセプトカーにも採用した。
マスタングを改造したものだが、この写真は1968年に改良された後の姿で、どのモデルとも似ていないフロントエンドが特徴だ。一般向けに販売された最初のマスタング・マッハ1は1969年モデルで、それ以来、数多くのモデルが発売されている。
サンダーバード・サターンII(1968年)
フォードは、サターンIIを69年型サンダーバードの「未来的なバリエーション」と表現した。ゴールドの内外装をはじめとするデザインは標準モデルと大きく異なり、10年先のトレンドを予見するものだったが、内部にも多くの革新的要素が見られる。
CBラジオ、マイク、ポータブルテープレコーダーに加え、現在のカーナビに相当する原始的なナビゲーションシステムが搭載されていた。地図情報は「トリップコントロール・コンピュータカード」に保存され、センターコンソールのスロットに挿入する仕組みだった。「理論上」は、小さな画面に次の曲がり角までの距離と方向が表示されるようになっていた。
ギア・フラッシュバック(1975年)
ディアボーンのフォード・デザインセンターと、当時傘下にあったトリノのギア社が協力し、フラッシュバック・コンセプトを製作した。全長134インチ(3404mm)と、当時のマスタングより約3フィート短いながらも、ロングフード、派手なグリル、ワイヤースポークホイールなど、レトロなデザイン要素を多く取り入れていた。
2シーターで真珠のようなアップルグリーンに塗装され、4気筒エンジンを搭載する可能性が示唆されていたが、実現することはなく、フラッシュバックは「実験的なデザイン」にとどまった。
ギア・マイクロスポーツ(1978年)
マイクロスポーツは、ハッチバックのフィエスタをベースにしたギアの数々のコンセプトのうち4番目で、1978年に公開されたモデルだ。ベース車より10インチ短く、2シーター、アルミ製のボディパネル、軽量ガラス、衝撃吸収プラスチック構造を採用していた。
フォードの資料によると、マイクロススポーツは白と赤のツートンカラーだったと記載されているが、ヘリテージ・ヴォールトに掲載されている画像を見る限り、それは明らかに事実と異なる。
メガスターII(1978年)
フィエスタをベースにしたオフロード車のトゥアレグ(Tuareg)と並んで、メガスターIIはフォードの創立75周年記念モデルである。ギアがデザインしたこのコンセプトカーは、当時のタウナスをベースに、同じ4気筒エンジンと4速マニュアル・トランスミッション、サスペンションを採用していた。
ただし、フロアパンの後部が短縮され、ハッチバックボディはウェッジシェイプとなり、ドアには深い窓が設けられた。メガスターIIは1978年3月にジュネーブで初公開され、ニューヨークのオートエキスポやロサンゼルスの輸入車ショーで展示された。
ギア・ポッカー(1980年)
このポッカーもまた、ギアがフィエスタをベースに開発したコンセプトカーだ。全長3277mmというコンパクトな車体に4人(フォードの当時の発表では5人とも)を乗せることができた。
実用性を確保するため、荷物は側面に収納でき、後部座席をフラットに折りたたむことで荷室スペースを拡大することができた。バンパーは車両全体を囲むように配置され、「混雑した地域での駐車時の保護性能を高める」設計となっていた。
マーキュリー・アンサー(1980年)
1980年1月のデトロイト・モーターショーで展示された『アンサー(Antser)』は、2+2シート、射出成形プラスチックボディ、スライドドアを備えたウェッジシェイプのEVコンセプトカーだ。
シートには、コンソール上のボタンでサポートレベルを調節できるインフレータブル・クッションが採用され、「高度に洗練された電子インストゥルメント・パネル」が、地図表示など、コンピューター制御のさまざまな情報表示機能を備えていた。
ギア・コックピット(1981年)
過去10年間に2度の世界的な石油危機を経験したフォードは、1980年代初頭、当然のことながら燃費向上に真剣に取り組んでいた。その一例が、フロントヒンジ式のキャノピーを備え、総重量わずか770ポンド (349kg) の、非常に空力性能に優れた2シーターの都市型車、ギア・コックピットだ。
ピアッジオ製の200cc単気筒ガソリンエンジン(最高出力12ps)を使用した後輪駆動車だが、1981年7月14日にディアボーンで開催されたアーバンカー・ニュース・カンファレンスで、当時のフォードの設計担当副社長ドナルド・F・コプカ氏は、「電気や代替燃料エンジンでも駆動可能」と説明している。
ギア・ブレッツァ(1982年)
ブレッツァ(Brezza、イタリア語で「そよ風」の意味)は、経済的な2シータースポーツカーのコンセプトだった。1.6Lの4気筒CVHエンジンをミドシップに搭載していたが、このエンジンは欧州初の前輪駆動車であるエスコートに搭載されたほか、フィエスタやシエラにも搭載された。
空気抵抗を最小限に抑えるため、ブレッツァは丸みを帯びたノーズ、リトラクタブルヘッドライト、フラットなガラス、後輪フェアリング、「パーシャル・ベリーパン」と呼ばれるデザインを採用した。
ギア・バルケッタ(1983年)
ギアと欧州フォードが共同で設計し、ギアが製作したバルケッタ。前年のブレッツァよりも従来型に近い形状で、前輪駆動のフィエスタのプラットフォームをベースとしていた。エンジンは、フィエスタのホットハッチ版であるXR2にも搭載されていた 1.6L CVだった。
この2シーターロードスターが市販車に直接つながることはなかったが、20年後にコンセプト的によく似たスポーツKa(SportKa)が発売された。その頃には、フィアットもハッチバックのプントをベースにしたバルケッタを発表していた。
プローブIV(1983年)
フォードは1980年代後半にプローブという市販車を発売したが、それ以前にも、一連のコンセプトカーにこの名称を何度か使用していた。プローブIVは、1.6LのCVHターボエンジンを70度傾けて搭載し、ボンネットの高さを可能な限り低くすることで、Cd値0.15という驚異的な空力性能を実現した。
エンジンはフロントに搭載されていたが、空気の流れを乱すグリルを嫌って、ラジエーターは後部に配置された。後輪のホイールハウス後部の通気口からファンによって空気を吸い込み、エンジンに送り込んだ。
クイックシルバー(1984年)
フォードおよびリンカーンの両方から発表された高級セダンコンセプトカー、クイックシルバーは、ミドシップエンジン車でありながら5人の大人が乗れる広い車内空間を実現可能であることを示すものだった。3.0L V6エンジンを横置きにすることで、車体の全長をあまりとらないようにした。
このコンセプトカーを設計したギアは、空力性能に特に注意を払い、「まったく新しいメソッド」と称するフラッシュ式ドアウィンドウを開発した。
マヤ(1985年)
マヤ(Maya)は、ヘリテージ・ヴォールトでは1985年のクルマとして紹介されているが、実際には前年のトリノ・モーターショーでデビューした。2シーターのミドシップコンセプトだが、ギア社ではなくイタルデザイン社によって製作されたものであり、1日50台の生産が検討されていた。
その計画は実現しなかったが、1985年にイタリデザインは2つの後継車の製作を依頼された。比較的ソフトな印象のマヤII ESと、3.0L V6エンジンにターボチャージャーを装備したマヤII EMだ。
ブロンコDM-1(1990年)
フォードは1960年代から、ブロンコという名称のオフロード車コンセプトを開発してきた。このDM-1は、1987年5月にカリフォルニア州パサデナの芸術学校を卒業し、フォードのデトロイト・デザインセンターに就職したデザイナー、デレク・ミルサップ氏にちなんで名付けられた。
ミルサップ氏のデザインは、まずクレイモデル(粘土)として形になり、空気抵抗を抑えたファイバーグラスとスチールによるボディ、電子インストゥルメント・パネル、5シーターを特徴としていた。その後、フォードはコンセプト・センター・カリフォルニアに実寸大モデルの製作を委託した。当時のプレスリリースによると、製作は1986年末に始まり9か月間続いたそうだが、ヘリテージ・ヴォールトでは完成年を1990年と記載している。
コントゥア(1991年)
多くの米国人ドライバーにとって、コントゥア(Contour)は欧州向けのモンデオをベースとするセダンであり、マーキュリー・ミスティークとしても販売されていた。しかし、この名称は大胆不敵なコンセプトカーにも使用された。
その最も注目すべき特徴としては、フロントに横置きされた直列8気筒エンジンが挙げられる。直8エンジン自体は戦間期に人気があったレイアウトだが、フォードの市販車には採用されなかった。コントゥアのエンジンはドナルド・キャリエール氏(1929-2016)によって設計された特殊な構造で、クランクシャフトの中心から駆動力を伝達することで等長ドライブシャフトの使用が可能となり、トルクステアの発生を最小限に抑えることができた。
ブロンコ・ボス(1992年)
この名称はヘリテージ・ヴォールトに記載されているため、そのまま使用するが、フォードは1991年末に同車を公開した際、『ボス・ブロンコ』と呼んでいた。
翌年、全米各地のモーターショーで展示されたこのモデルは、多くのコンセプトカー同様、既存モデル(発売されたばかりの5代目ブロンコ)の改造だった。変更点には、パワードームを備えた新しいフード、リトラクタブルルーフ、そして「ローンスター」と名付けられた明るい黄色の塗装が挙げられる。
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