次世代モビリティと信頼ギャップ
自動車の安全技術が大きな転換期を迎えている。衝突時の安全性やブレーキ性能といった機械そのものの性能向上が、これまでの中心テーマだった。こうした工学的な進歩のおかげで、移動の安全性は歴史上かつてない水準に達している。ところが、先進運転支援システム(ADAS)が普及するにつれ、安全を左右する要素は多様な広がりを見せ始めた。
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それでもなお、世界では年間約120万人が交通事故で命を落とす。とくに5歳から29歳の若年層では死因のトップを占めており、事態は深刻だ。世界銀行のグローバル道路安全ファシリティ(GRSF)が試算した交通事故にともなう社会経済的な損失は、GDP比で英国0.56%、日本0.97%、米国3.30%、中国4.73%に上る。経済へ与える打撃も計り知れない。
こうした背景のもと、英メディアのエコノミスト・グループ傘下にあるエコノミスト・エンタープライズは、世界の主要自動車生産10か国で「Safety in Motion: Driving Trust in Modern Mobility(動き続ける安全性:現代モビリティにおける信頼を築く)」と題する調査を実施した。結果として浮き彫りになったのは、道路交通の安全性に対する認識のズレである。利用者である一般ドライバーとモビリティ分野の専門家との間に、大きな信頼ギャップが存在していたのだ。
技術が高度化すればするほど、拡張機能で何ができるかだけでなく何ができないかを利用者が正しく理解できる環境作りが問われる。ADAS時代の安全とは、一体どのようなものか。本稿では、技術と人間の関係性という視点から、新しい安全基準を社会に定着させるためのカギを多角的に読み解いていく。
安全への過信と四つの信頼類型
対象となったのは、日本や米国、中国、ドイツなど世界10か国。自動車のグローバル生産において約75%を占める主要市場を網羅し、2026年4月から5月にかけて実施された。回答者は一般ドライバー5135人とモビリティ分野の専門家1022人の計6157人に上る。今日の市場環境における利用者と専門家の意識差を浮き彫りにした、貴重なデータといえるだろう(本調査はイタリアのブレーキメーカー、ブレンボの資金提供による)。
調査結果が明確に示したのは、両者の間にある顕著な安全認識の差だ。日常の道路や交通システムを安全だと信頼する一般ドライバーが約90%(10人中9人)に達した一方、システムを設計・運用し、規制を担うエンジニアや政策立案者たちの信頼度はわずか45%に過ぎない。所得階層別でも傾向が分かれ、高所得層(93%)や中所得層(92%)に対して低所得層は83%にとどまった。普段利用するインフラの質や所有する車の年式などが、信頼感に影響を及ぼしている様子がうかがえる。
専門家が強い危機感を抱く一方で、消費者は実態以上に安全だと受け止めている。この過信こそが、交通事故を減らすうえで見落とされがちな阻害要因であると、同調査は警鐘を鳴らす。
さらに調査では、各国・地域の文化や事故率、行政への信頼度などを踏まえ、対象となった10市場を四つの信頼アーキタイプ(類型)へと分類した。
第一の類型は、ブラジル、中国、インドに見られるトラスト・オプティミスト(楽観主義)だ。一般ドライバーの94%が道路は安全と答えたのに対し、専門家はわずか18%しか同意していない。この3か国における交通事故死亡率は人口10万人あたり16.2人と、調査対象平均の約2倍に達する。それにもかかわらず、インフラ開発や政府が描く技術導入の青写真に後押しされ、実態を上回る安心感を抱く傾向が際立っている。
続くトラスト・ガーディアン(信頼の守護者)に位置付けられたのが日本と韓国である。日本は一般の84%、専門家の70%が安全だと認識しており、14ポイントという見解の差は対象国の中で最も小さい。厳格な安全基準や第三者認証制度、そして高品質なモノづくりが社会の信頼を底上げしている証拠だろう。ただし、システムへの強固な信頼が長く続くことで、かえって安全性の微細な低下に気づきにくくなる慢心のリスクも潜んでいる。
このほか、高い信頼感と能動的な懐疑心が混在するフランス・ドイツ・イタリアはトラスト・プラグマティスト(実用主義)に振り分けられた。実証データやプライバシー保護に対する要求が極めてシビアなのが特徴だ。そして、英国・米国はトラスト・ネゴシエーター(交渉者)に該当する。信頼の拠り所が企業やテクノロジーそのものより、政府や制度に強く紐付いている。そのため、ひとたび企業の隠蔽や不祥事などが起きれば、一気に信頼が瓦解する脆さをはらんでいるという。
故障から相互作用へのリスク移行
ADASが市場の主流へ移り変わる中、事故リスクの震源地も以前とは様変わりした。現在のモビリティ安全において最大の懸念材料となっているのは、車両のハードウェア故障ではない。人間と電子制御システムがどう関わるかという相互作用の問題へ移行しているのだ。
調査のデータもこれを裏付ける。専門家のうち、ブレーキやサスペンションといった機械的な故障を主要リスクに挙げたのは、わずか3%。対照的に、ADASの誤使用や誤解を指摘する声は30%に上り、車載機能によるドライバーの注意散漫を懸念する回答も24%を占めた。
背景には自動化バイアスと呼ばれる心理現象が働いている。人間には、AIや自動化システムの判断を鵜呑みにし、過度に依存してしまう傾向がある。ADAS作動中のドライバーは認知的な注意力が散漫になりやすく、結果として危険の察知や手動での介入が遅れがちになる。
米道路安全保険協会の調査では、評価対象となった11種類の部分自動運転システムで、ドライバー監視機構が不十分と判定された。アラートのタイミングを学習したドライバーが、警告を巧みに回避しながらスマートフォンの操作など別の作業を続けてしまう実態が確認されている。
さらに厄介なのが、システムから人間へ運転の主導権を戻す権限移譲の瞬間だ。欧州の検査機関DEKRAの研究によれば、アラートで注意を喚起したとしても、不注意状態にあったドライバーが周囲の道路状況を再び完全に把握する認知再参入には一定のタイムラグが生じる。高速道路などを走行中にこの遅れや状況の誤認が起きれば、取り返しのつかない大事故に直結しかねない。
利用者自身も機能が作動中なのか、あるいは自分の注意が必要なのかが明確であることを信頼の最優先要素として挙げている。もはや人間の不注意を前提としたうえで、いかに直感的なマンマシンインタフェースを構築するかが、安全設計の要となっている。
広告表現と命名負債が生む誤解
消費者の過信を助長している元凶として見逃せないのが、一部の自動車メーカーやテクノロジー企業による不適切なマーケティング手法だ。専門家の65%がマーケティング表現が実力以上の性能をアピールしていると危機感を示している。さらに62%がドライバーは注意を払わなくてよいという誤解を招いていると指摘し、60%がシステムの限界に関する説明が不十分と回答した。
とりわけ問題視されているのが命名負債が引き起こす市場の歪みである。オートパイロットプロパイロットパイロットアシストフル・セルフドライビングといった曖昧な名称は、消費者に非現実的な期待を抱かせる結果となった。過去に行われたEuro NCAPの調査では、実に70%以上のドライバーが、市販車を完全自動運転車としてすでに購入できると誤解していたことが分かっている。
こうした行き過ぎたアピールに対し、法的な責任を問う動きも表面化してきた。米国カリフォルニア州自動車局は、オートパイロットなどの表現が消費者を欺いているとしてテスラを提訴。同州における販売資格が一時的に停止されるリスクも浮上している。またサンフランシスコ連邦地裁では、FSD機能が誇張宣伝されてきたと主張するオーナー側の訴えを、集団訴訟として審理することを認めた。
センセーショナルな事故報道や過大宣伝の反動は、自動運転技術そのものへの強い恐怖感にも直結する(米国では一時期、その割合が68%にまで跳ね上がった)。メーカーに求められているのは、単に技術の先進性を誇示することではない。できることとできないことの境界線を明確に引き、使用条件を正しく社会へ伝達する責任が、これまでになく重みを増している。
自動運転レベルと商用化の明暗
そもそも自動運転の技術水準は、国際標準規格(SAE J3016)によってレベル0~5の6段階に明確に定義されている。テスラのオートパイロットなど、現在市場に普及している大半のシステムは、あくまでドライバーに常時の監視義務がともなうレベル2(部分自動運転)に過ぎない。その一方で、アプローチの違いも明確になりつつある。
トヨタやレクサスのように高度な機能を備えつつも、あえて限界を明示してドライバーの常時監視を大前提とする設計がある。また、ホンダのレジェンドやメルセデス・ベンツのように、一定条件下でシステム側が運転タスクを引き受けるレベル3(条件付自動運転)の型式認証を取得し、市販化に踏み切る例も出てきた。
事故が起きた際の責任の所在も、新たなフェーズに入っている。米国では、テスラのオートパイロットに関連した死亡事故をめぐり、2019年のマイアミ連邦裁判所が2億4,300万ドル(約360億円相当)という巨額の損害賠償判決を下した。システム能力の過大宣伝が運転者の注意力を削ぎ、結果として人間側の役割の誤認を誘発したかどうかが争点となったこの裁判は、安全技術に関する社会的責任のあり方に重い問いを投げかけている。
視点を変え、特定エリア内で完結する無人移動サービス(レベル4・ロボタクシー)の市場を見ると、企業間の明暗はくっきりと分かれている。米ウェイモは米国数都市で週50万件以上の運行をこなし、人間が運転するよりも保険請求件数が約9割少ないという確かな実績を積んだ。中国のバイドゥも累計2000万件以上の乗車実績を誇る。対照的に、米GMクルーズやウーバーは深刻な事故や当局への報告体制の不備などが響き、ロボタクシー事業の縮小や撤退へと追い込まれた。
これらの事例が物語るのは、単に技術スペックを引き上げるだけでは、次世代のモビリティビジネスは成立しないという厳然たる事実だ。テクノロジーが進化する過程で人間側の役割はどう変化していくのか。そして、技術の限界とどう誠実に向き合うのか。メーカー、利用者、行政という三者の関係構築こそが、ADAS時代の安全性を規定する最大の条件となっている。
事故ゼロ社会に向けた制度設計
モビリティ社会における信頼を再構築し、事故ゼロの未来へと近づくためには、工学的なアプローチだけでは不十分だ。法制度のデザインやリスクコミュニケーションのあり方を含め、モビリティを取り巻くエコシステム全体を抜本的に刷新していく必要がある。
専門家の68%が、安全性向上の足かせとして行政と産業界の連携不足を指摘している点は重い。安全に関する法規制は、事故が起きてから対処する従来の後追い型から、公道走行前に包括的なシステム評価を義務付ける事前予防的規制へと大きく舵を切る時期に来ている。同時に、メーカーの技術的な主張を客観的に裏付ける、独立した第三者認証制度の存在が、市場の信頼を担保する重要なカギを握る。
求められているのは、各ステークホルダーによる具体的な行動だ。メーカーはマーケティング上の表現と実際の性能を完全に一致させ、走行データや事故率を透明性高く開示し続けなければならない。規制当局は、機能限界の明示を義務付ける制度の整備を急ぐ必要がある。さらに業界全体としては、人間の不注意な行動や認知の遅れをあらかじめ想定し、それを安全認証の評価基準に組み込むようなルールの国際標準化を進めるべきである。
ADASが自動車の安全性を飛躍的に高める可能性を秘めていることは疑いようがない。しかし、利用者が感じる安心と、データが示す客観的な安全性の間にある深い溝は、一企業の努力だけで埋められるものではない。どれほど高度な技術を車に搭載するかを競うフェーズから一歩抜け出し、透明性と科学的根拠をベースに人間とテクノロジーがどのような関係を築くべきかを社会全体でデザインしていく。それこそが、今後の自動車産業とモビリティ社会の持続可能な成長を決定づける試金石となるだろう。(加川康子(モビリティライター))
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