帽子を焦がしたレーシングシャシー
低く切り取られたカットアウェイ・ドアを開き、ブガッティ・タイプ57 S コルシカのシートへ身体を滑り込ませる。コンクール・デレガンスで表彰された麗しきピアノ・ブラックのボディに、アイボリー・レザーのインテリアが好対照だ。
【画像】受賞多数のオープンボディ ブガッティ・タイプ57 S コルシカ 戦前の高級モデルたち 全151枚
正面では、時速120マイル(約193km/h)まで振られたスピードメーターが輝く。1937年3月には、ロンドンのカーディーラー、ジャック・バークレー・ショールームで、ロバート・ロプナー氏を魅了したに違いない。
彼は、このブガッティの初代オーナー。真新しいタイプ57 G レーシングシャシーには、英国のコーチビルダー、コルシカ・コーチワークス社製の4シーター・ツアラーボディが架装されている。
当時31歳だったロバートは、約420kmを一気に北上しようと決めていた。故郷のグレートブリテン島中部、ノース・ヨークシャー州まで自走するつもりだった。
ル・マン・マシンとして戦ったベントレー・スピードシックスなどを所有した彼は、スコットランドへ伸びる幹線道路、グレートノース・ロードで速さを試したかったようだ。ロンドンへ馴染むように被っていた山高帽を、助手席へ置いて。
だが程なくして、焼けるような匂いが鼻を突いた。レーシングカー仕様のアンダーシールドは、フロアを熱くした。転げ落ちた帽子から、煙が登っていたという。
ノース・ヨークシャー州までの道で、ロバートはタイプ57 Sの性能へ感動。自宅へ着くやいなや地図を広げ、妻のドロシー・ロプナー氏と南フランスへの旅行を計画したといわれる。
モンレリー・サーキットでエンジンブロー
約束の5月。ロプナー夫妻は欧州大陸を南下。フランス・パリで妻が買い物に興じている間、ロバートはモンレリー・サーキットへ足を伸ばした。事前連絡は一切していなかったが、その場でテスト走行の許可が出たという。
スーツ姿の彼は、オーバルコースを160km/hで2周し、タイプ57 Sの調子を確かめた。フロントスクリーンを倒した2度目の走行では、約180km/hへ到達。ところが、直後にエンジンブロー。ピットへ戻りボンネットを開くと、溶けたピストンが飛び出ていた。
これに対する、妻の反応は記録にない。だが、ブガッティはすぐに引き取り、フルリビルドを実施したことは明らかだ。
1938年に、夫妻は再びフランスを南下。風光明媚なコート・ダジュールを周遊している。第二次大戦直前の地中海の景色は、2025年以上にドラマチックに映ったのではないだろうか。
それから約80年後の2020年。筆者はグレートブリテン島中部のスタッフォードシャー州のガレージで、ロプナー夫妻が嗜んだタイプ57 Sへお目にかかった。直列8気筒エンジンとステアリング・ラックが、バラされた状態で作業台に載っていた。
しかし、当時所有していたビル・ターンブル氏は、仕上げる前にこの世を去ってしまった。頼れる職人へ依頼し、素晴らしい姿へ蘇らせたのは、彼の上司だったバンフォード卿。当時の姿が想像できないほどの、変貌ぶりといえる。
オーナーへ無敵感を覚えさせるほどの加速力
牧歌的なグレートブリテン島の道を、タイプ57 Sはサラブレッドのように駆ける。複雑なダンパーが屈伸し、凹凸は滑らかにいなされる。高速コーナーでも、ピタリと安定している。
初めは重く感じられた身のこなしだが、速度が上昇するほどステアリングホイールが軽く転じる。そのダイレクト感は、感動すら生む。
トランスミッションは、戦前らしい。クランク状のシフトレバーが、ワイドに広がったゲートを上下する。とはいえ、これもエンジンの回転数が高まると、素早く変速できるようになる。
重量がかさむスーパーチャージャーは載っていない。レーシング・シャシーには、軽量化の穴が無数に開いている。ボディは軽いオープンで、加速力に驚かされる。1937年当時は、オーナーへ無敵感を覚えさせるほど驚異的だったことだろう。
計算では、5000rpmで183km/hへ到達する。サーキットで限界を試したくなった、ロバートの気持ちは理解できる。ブレーキは心もとないが。
ブガッティへ魅了されている現オーナーのバンフォード卿は、建設機械メーカーのJCB社会長だ。妻の影響で収集を始めた、カルロ・ブガッティ氏によるビンテージ家具が、きっかけだったという。エットーレ・ブガッティ氏の父は、著名な家具職人だった。
1974年のハネムーン中に、ブガッティ・タイプ57 アトランティークを購入する機会が巡ってきたのだとか。「美しいクルマでしたが、走行中は熱くてうるさいんです。運転は、余り楽しいものではありませんでした」
妻よりブガッティと過ごす時間の方が長かった
「それでも、素晴らしい物語を備えたクルマは大好きです」。と話すバンフォード卿は、JCB社でエンジニアリングチームを率いた、ターンブルと親交があった。「彼はプロジェクトへ深く没頭できる、才能豊かなニュージーランド人でした」
「彼のブガッティが、話題に出ることもありました。完璧主義者で、ワークショップにこもるのが好きだったようです。しかしブガッティのレストアには、相当な時間と計画管理が必要だったといえます」
1969年にタイプ57 Sで国際ラリーへ出場したターンブルは、状態に満足できなかった。1970年に分解するものの、それから50年間、彼が亡くなる2019年までに作業が終わることはなかった。
2021年2月にボナムズ・オークションへ出品。偶然それを知ったバンフォード卿は、ターンブルとの記憶へ強く惹かれ、落札者となった。
タイプ57 Sは、ブガッティ第一人者であるティム・ダットン氏のもとへ。ターンブルとこのクルマの存在は、彼も友人を通じて以前から知っていたという。「彼の親戚は、妻よりブガッティと過ごす時間の方が長いと、冗談で口にしていたほどです」
「引き取った時は、家中に部品が散らばっていました。完璧を目指し、部品を何度も試作していたのでしょう。ボディやトリムへの関心は薄かったようですが、エンジンヘッドのオイル供給を制御するバルブなどは、改良が試みられていました」
目標は当時の姿へ可能な限り戻すこと
「シャシー番号57503のこれが、モンレリー・サーキットで速度記録を残したことは間違いありません。ロバートさんも、どんなクルマなのかを理解した、積極的なドライバーといえました」
ダットンは、オリジナル性を重視する職人だ。ペブルビーチ・コンクール・デレガンスで優勝したタイプ59など、歴史的なレーシング・ブガッティに対する仕事には、高い定評がある。
2021年3月にバンフォード卿は、ダットンと信頼するレストア職人、クラーク&カーター社のスティーブ・クラーク氏との3人で、作業の方向性を確認。初代オーナーのロプナー夫妻がフランスを巡った、当時の姿へ可能な限り戻すことが目指された。
ダットンは、主にメカニズムのリビルドを担当。クラークは、ボディとインテリアのレストアを引き受けた。
それに先立ち、コルシカ・ボディを載せたタイプ57 Sの歴史が調査された。依頼を受けたのは、ブガッティへの造詣が深いピーター・ブラッドフィールド氏。この話を聞いたロプナー家は協力的で、アルバムから写真を提供してくれたという。
この続きは、ブガッティ・タイプ57 S コルシカ(2)にて。
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