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今なお成長を続けるトヨタが国際的な自動車メーカーになるまで

■トヨタが世界トップクラスの自動車メーカーと呼ばれるまで

 日本を代表する自動車製造メーカーであるトヨタ自動車の、2020年3月期のグループ売上は29兆5000億円、本業の利益を示す営業利益は2兆4000億円を見込んでいます。

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 そんなトヨタは東日本大震災に見舞われた2011年には、生産台数で独フォルクスワーゲン(VW)グループ、米ゼネラルモーターズ(GM)に抜かれ、世界3位となりましたが、2012年には再びトップに返り咲きます。

 しかし2009年に社長に就任した豊田章男氏は、2008年のリーマンショックやトヨタ車の米国リコール問題などを受け、2011年に「無闇に数を追わず、経営の質を高める」との戦略を打ち出し、意思決定迅速化のために大幅に取締役を削減。

 海外法人にいくつかの権限を委譲するなどの企業努力をおこない、販売台数・生産規模だけを追う戦略をあらためました。

 これは、かつてCEOとして日産を率い、ルノー・日産&三菱自アライアンスとして、常に世界最大規模の販売を目指していたカルロス・ゴーン氏とは正反対の方針ですが、それでもトヨタの世界販売台数はおよそ1000万台/年という規模で推移しています。

※ ※ ※

 トヨタの基礎は、豊田佐吉氏が創業した豊田自動織機製作所です。

 その社内の一部署として自動車部が創設され、1937年に独立。それが現在のトヨタ自動車ルーツです。自動車部は佐吉氏の命をうけた長兄 豊田喜一郎氏の担当業務でした。

 トヨタ自動車創業社長には佐吉氏の娘婿である豊田利三郎氏が就任。じつは喜一郎氏は2代目社長となりますが、実質的な創業者でもあります。

 豊田自動織機製作所 自動車部の名称は、社名である「豊田」の読みが「トヨダ」であったため英語ロゴは「TOYODA」を使用していましたが、1936年に新ブランドマークが公募され、約2万7000点の応募作品から選ばれたのは「トヨタ」で、1937年の自動車部独立後以降、トヨタ自動車工業株式会社「トヨタ/TOYOTA」となりました。

 また、トヨタ本社が置かれる豊田市は、奈良時代から1300余年にわたり三河国加茂郡に属する「挙母(ころも)」と呼ばれた地域でしたが、1959年に市議会が「豊田市」に改称を決定。

 トヨタ本社所在地は、「愛知県豊田市トヨタ町1番地」となり、企業城下町として企業名が行政市名となった典型的な例です。

 そんなトヨタ自動車は、1936年にAA型乗用車の少量生産をスタート。1941年に豊田喜一郎氏が社長に就任し、戦時中は陸軍向けのGA型トラックなどの生産を担いました。

■独自システムで一気にトップ企業へ

 戦後すぐにトヨタは経営危機に襲われるも、朝鮮戦争の軍需トラック特需で何とか倒産を回避します。

 この特需を背景に純国産量産乗用車の開発に乗り出し、トヨタ独自の開発チーム「主査制度」を用いた新型車「クラウン」が1955年に誕生しました。

 この主査制度は、ひとりの主査(チーフエンジニア)がクルマの開発においてその機能を持った組織を横断的にまとめ、調整するシステムで、現在までトヨタに続く車両開発システムです。

 もうひとつのトヨタ独自の生産方式「カンバン方式」と符合して、トヨタの自動車製造は飛躍的な発展を遂げました。

 カンバン方式は「ジャスト・イン・タイム」ともよばれ、必要な時に必要なパーツを供給して必要なだけ作ることで、自動車組立て行程の無駄を徹底して排除。このシステムでは工程が複雑な作業ほど、どの行程で遅れが生ずるのかが明確になり、その後にトヨタが呼ぶところの「カイゼン」がおこなわれ、さらなる効率化が進むというメリットを生みました。

 その後、1956年にクラウンがロンドンから東京まで走破したことで自信を深めたトヨタは、クラウンに次いで当時最先端といわれたフルモノコックボディの小型セダン、初代コロナを1957年に発売すると、1961年には当時の通産省が提唱する「国民車構想」に則ったコンパクトモデル、「パブリカ」をリリースします。

 さらに1965年、パブリカのコンポーネントを流用したコンパクト2シータースポーツ、「スポーツ800」を発表。その後のトヨタの屋台骨を支える「カローラ」を1966年に、翌1967年には名車と誉れ高い「2000GT」を発表します。

 そのような時代背景のなか1964年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加盟。その結果、外国製自動車の輸入が自由化され、巨大な米ビッグスリーなどの技術開発・生産能力に対抗するために、政府主導で国内自動車の業界再編が進められました。

 その端的な例が、1966年の日産自動車とプリンス自動車の合併です。
 
 すでに北米やブラジル生産で、海外に進出していたトヨタは、1966年に日野自動車と、さらには1967年にダイハツ工業と業務提携関係となり、現在の連結決算対象のグループ体制に至ります。

 その後もトヨタは、1968年に「コロナ・マークII」、1970年に「セリカ」、「カリーナ」などを送り出し、70年代の排気ガス規制を乗り越えて、1980年代の好景気の波に乗ったトヨタは、「MR2」や「カリーナED」、「スープラ」などを揃えてフルラインナップを敷きます。

 そして、バブル経済絶頂期に本格ミニバンの「エスティマ」、最高級セダンの「セルシオ(米国名:レクサスLS)」を発売。米国では高級ブランドとしてレクサスを展開します。

 90年代に入りバブル経済が崩壊するとトヨタも車種の整理を行いますが、1997年にハイブリッドカー(HV)の、「プリウス」を発表。その後、トヨタはHVをほぼすべての車種で設定し、セダン、SUV、コンパクト、ミニバンに至るまでラインナップを拡充しています。

 ここ数年トヨタは、グループ傘下の日野、ダイハツに加えてスバルやマツダ、スズキなどとも協力関係を結び、「クルマをつくる会社」から「モビリティカンパニー」への移行を目指し、ヒトの「移動」に関するあらゆるサービスを提供する企業体を標榜しています。

 そして、その変革のためにメガサプライヤーを含めたトヨタグループ全体の事業内容に捉われない再構築、ソフトバンクとの共同事業「MONET」の設立など、モビリティサービスの提供に向けた協業も加速。

 日本だけでなく世界の自動車業界で活躍するトヨタの、今後ますますの発展に期待が高まります。

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