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【徹底解説】ドイツ車の魂はその土地に宿る。メルセデス・ベンツ、BMW、オペルそれぞれの風土と哲学

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【徹底解説】ドイツ車の魂はその土地に宿る。メルセデス・ベンツ、BMW、オペルそれぞれの風土と哲学

ドイツ車を読み解く新たな視点

ブランドが今、世界中のマーケットを躍動させている。ドイツ車のブランドはクラフトマンシップ、いわゆる職人気質が尊ばれている。「マイスター制度」によるモノづくりの伝統から生み出された高品質の製品は、ドイツ人の勤勉さの裏付けにもなっている。また、TÜV(技術監査協会)やADAC(全ドイツ自動車クラブ)が、ブランド毎に厳格な調査を行い、結果を公表しており、品質管理維持に大きく貢献している。ドイツ車のブランドはこのような国民性の中で育まれてきた。

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同じドイツ車でも、各ブランドの個性は明確に異なる。その違いはどこから来るのか? 本稿では創業者の信念や情熱が原動力となり、各ブランドが育まれてきた土地の歴史、風土、人々の気質に焦点を当て紹介する。クルマが単なる工業製品ではなく、その土地の文化が生んだ作品であることを紐解き、ドイツ車の奥深い魅力を探求する。

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メルセデス・ベンツ:痩せた土地の「創意工夫」が生んだ究極の実用性と安全性

メルセデス・ベンツの本社があるドイツ南西部の町シュトゥットガルトの駅の塔には、ブランドマークである「スリー・ポインテッド・スター」がそびえたち、街の様々な場所から眼にすることができる。

創業者のゴットリープ・ダイムラーはシュトゥットガルトの隣町のカンシュタットで、1886年に世界初のガソリンエンジン付き4輪自動車(1.1ps/18km/h)を完成させた。1890年、ダイムラー社を設立。

ゴットリープ・ダイムラーのモットーは「Das Beste oder nichts=最善か無か」である。彼のこの言葉が、メルセデス・ベンツのクルマ造りの哲学の中核となっている。最善を尽くさなければ、無と同じで、中途半端なものは存在しない。即ち、工場の門を出るいかなるものも、品質と安全においてすべて最高の基準まで進歩したものにするという清廉な意志を持ち続けることを意味している。先述のスリー・ポンテッド・スターは陸、海、空を意味する。つまり、ダイムラーは初めからすべての交通機関にガソリンエンジンを搭載しようという大きな理想を持っており、1909年にトレード・マークになった。

「メルセデス」という車名は、メルセデス・イェリネックというオーストリア女性の名前に由来。彼女の父エミール・イェリネックはフランス・ニース駐在のオーストリア・ハンガリー帝国の領事であると共に大富豪で、ダイムラー社のクルマでレースに出場。既存のクルマに飽き足らなくなったイェリネックは、全く新しい高性能レーシングカーの製作をダイムラー社に依頼。そして、記念すべき最初のモデル「メルセデス35ps」が1901年に誕生した。このクルマを設計した人物こそが、ゴットリープ・ダイムラーの良きパートナーで、ダイムラー社の中心的な技術者であったヴィルヘルム・マイバッハである。エミール・イェリネックは製作依頼の引き換えに新車をまとめて購入する約束をし、ヨーロッパとアメリカでの販売権を手に入れ、同時に新車には「メルセデス」という自分の愛娘の名前をつけることをダイムラー社に要求。そして、1902年に「メルセデス」の名がダイムラー社のすべての車名として商標登録された。

一方、もう一人の創業者であるカール・ベンツはシュトゥットガルトから北へ90kmほどのマンハイムで、1886年に世界初のガソリンエンジン付き3輪自動車(0.89ps、15km/h)を完成させた。すでに1883年にはベンツ社を設立。カール・ベンツは「私が何よりも情熱を注いでいるものは発明である。その情熱は決して冷めることは無い!」と述べている。彼は「常に進歩、前進」を押し出していたが、「軽率」を何よりも嫌っていた。また、方針の違うパートナーとは徹底的に議論し、たとえ彼自身の方針のために商売上、リスクを冒すことになろうと、志を曲げるようなことはなかった。テストを100%パスしなかったものを売るなどということは、考慮に値しないことであった。車名はベンツとして販売。ベンツ社のマークは「BENZ」という文字をレースの覇者を意味する月桂冠で囲んであった。

この2人はお互いの存在を知らずに、時を同じくして1886年世界初のガソリンエンジン付き自動車を発明した。ゴットリープ・ダイムラーもカール・ベンツもこの性能には飽き足らず、絶え間ない改良を加えながら時が過ぎていった。数年後にはレースが行なえるまでに性能が向上し、未来の自動車はこうして進化し始めた。そして、1914年に勃発した第一世界大戦はヨーロッパ全土を戦禍に包み、敗戦国となったドイツの経済は破綻した。そこで、ドイツ銀行を通じてダイムラー社とベンツ社が1926年に合併し、会社名がダイムラー・ベンツ社、車名がメルセデス・ベンツとなったのは周知の通りである。ダイムラー社のスリー・ポインテッド・スターとベンツ社の月桂冠を合わせたものがエンブレムに、またスリー・ポインテッド・スターだけがラジエーター・マスコットにも取り付けられた。

これら発祥の地はドイツ南西部の有名なシュヴァルツヴァルト(=黒い森)に隣接している。そこは森林地帯で土地は痩せ、耕作には適さず、果物やタバコの栽培しかできない土地柄であった。そこで森林の木材を使ったカッコウ時計を産業にし、行商して生活の糧としてきた歴史がある。この木組みの時計製造は高精度の歯車の仕組みを工夫し、この精密加工技術が自動車産業の礎となる。

また、シュトゥットガルトはネッカー川などによる水上交通で栄えた地域であり、カンシュタットには早くから蒸気機関車が敷かれるなど、交通の要衝としての歴史もある。そして、時代とともに金属機械製造業が発展し、自動車部品製造の基盤が築かれた。例えば、ボッシュ社、レカロ社などもシュトゥットガルトに本拠を構え、ポルシェもこの地を本拠としている。そして、アルミ鍛造ピストンで知られるマーレー社はカンシュタットで創業。こうした耕作に適さない風土が、「頭を使い、知恵を働かせなければ生きてゆけない」という切実さを生み、豪華さだけでなく究極の実用性と安全性を追求するメルセデス・ベンツの哲学を形成した。

BMW:バイエルンの文化と気質が育んだ「駆けぬける歓び」

BMWはドイツ南東バイエルン州のミュンヘンを本拠とする4輪車&2輪車メーカーである。設立は1916年とされており、創業者グスタス・オットーの航空機エンジン製造所とカール・ラップのエンジン製造会社の統合が起源である。

つまり、創業者であるグスタフ・オットーは1910年飛行機エンジンを設計し、数年後にグスタス・オットー飛行機製造所を設立。しかし、飛行機の販売が思うように伸びず、会社を身売りすることになり、バイエルン航空機工場(Bayerische Flugzeugwerke)と社名を変更。同じ頃、ダイムラー社で技術者として在籍したことのあるカール・ラップは独立し航空機用エンジンの製造を開始。ラップの会社であるラップ・エンジン工場(Rapp Motorenwerke)は後に、オットーの会社から小型の4気筒航空機エンジンを購入するようになり、両社は取引を開始した。ラップの会社はその後、バイエリッシェ・モトーレン・ヴェルケ(Bayerische Motoren Werke)となり、その意味は「バイエルン州にあるエンジン工場」であり、その頭文字を取ってBMWと呼ばれている。そして1916年に両社は提携し、1917年には合併。社名をBMW有限会社とし、翌年の1918年にBMW株式会社とした。航空機とオーバイの製造から開始し、1929年には自動車の生産も開始した。

第2次大戦後に経営難となるが、1961年に発表した1500シリーズで挽回。1972年に初代5シリーズが登場し、スポーツカーを好む新しい顧客を獲得。1975年に初代3シリーズ、1976年に初代6シリーズ、1977年に初代7シリーズを発表。その他、クーペ、ロードスターのZ4やハイパーフォーマンスのMモデルをラインナップ。Mの意味はドイツ語でMotor(モトール)、つまりエンジンの意味である。その後、1994年にはローバー(MINI)を、1998年にはロールス・ロイスを傘下に納め、プレミアムブランドを展開している。

バイエルン地方は、ドイツ南東部に位置し、オーストリアと接している。そのため歴史的にオーストリア・ハンガリー帝国と結びつきが深かったといわれている。マルティン・ルターの宗教改革が起きたドイツの多くの地域がキリスト教のプロテスタント(新教)であるのに対し、バイエルン地方は伝統的なローマ・カトリック信仰が深い地域。このことから、保守的な性質が強く、伝統的家族制度の風習が根強く残っている。しかし、この地方は、肥沃な農地で、温暖な気候と美しい景観に恵まれ、洗練された独自の文化を育んだ。

他のドイツの都市とは趣の異なる、明るい空気、青い空、芸術的な建築が目に付く。16世紀には「北のローマ」と呼ばれ、18世紀には「第2のパリ」を目指し、劇場や絵画が建設された名残を街の景観に見ることができる。歴史的背景や地域性によって、BMWは中世ドイツを支配したプロイセン的な質実剛健ではなく、アルプスを越えた地中海に近い解放的な気質をもつといわれている。この風土が、合理的一辺倒ではないドライバーの感性に訴えかける「駆けぬける歓び」を追求するBMWのクルマ造りへと繋がっている。

オペル:温暖で安定した気候と土地柄が生んだ「職人文化・市民文化」

オペルはフォルクスワーゲンと並んでドイツを代表する実用車メーカー。20世紀の前半にはドイツ最大の自動車会社にまで成長したが、現在はステランティス・グループの一翼を担う。

創業者であるアダム・オペル(1837~1895年)が1862年、ドイツ南西ヘッセン州のリュッセルスハイムで興した機械製造会社が始まり。アダム・オペルのモットーは「職員はうちの人間だ。ちゃんと世話をしてやらなくてはならない。そうすれば、彼らはお返しによく働いてくれる」。その一例として、かなり早い時期から職員のための社会保険や退職年金を創設した。

当初はミシンや自転車で生計を立てたが、アダム・オペルの没後は5人の息子達が1899年に自動車事業に進出する。ルッツマンやフランスのダラック車のライセンス生産でスタート後、1902年には自社開発したオリジナル・モデル10/12psを発表した。1909年にはオペル初期の大衆車の先駆けとなる4/8psの小型車「ドクトルヴァーゲン(Doktorwagen)」は狙い通り医師達に支持されただけでなく一般に受け入れられ、オペルがドイツ国内最大の自動車生産量を達成する原動力となった。

1912年の50周年にはドクトルヴァーゲンの後継車である4/8psの「プップヒェン(Püppchen/愛称:かわいい人形)」が大ヒット。1924年にはライン生産を導入し、その第1号は鮮やかなグリーンの小型実用車4/12psの「ラウプフロッシュ(Laubfrosch/愛称:アマガエル)」が4500マルクの低価格と低燃費で爆発的ヒットを記録した。

先述の通り大きな成功を納めたが、世界恐慌の影響を受けて経営が悪化。1931年に完全子会社としてGM傘下に入る。GM時代はバッジ違いのOEM車だけでなく、主に欧州向けのオリジナルモデルを製作するなど、GMの欧州部門的な役割を担っていく。特に、1970年以降のロゴマークは、イエローを下地に結束や強さ、先進性を表す稲妻を模した「ブリッツ(Blitz/電撃・稲妻)」のマークが生み出され現在に至っている。

ラリーではレールとベルガー組がアスコナを駆って1974年欧州選手権で優勝。日本ではヤナセがGM傘下のオペルを1993年1月から一手に正規輸入販売を開始するが、2006年5月にはオペルの販売・サービスから撤退した。筆者が1995年の現役の頃、小型で可愛いい日本名ヴィータ(コルサ)、アストラ、ベクトラ、カリブラ、オメガを輸入販売していた。特に2000年初め頃、赤いヴィータがTV番組で報道され女性達に人気があったと記憶している。

70年以上続いたGMとの関係は2017年にPSAがオペルを買収したことで終了。さらに2021年PSAとFCAが合併し、ステランティス・グループが誕生すると、オペルも加わり、現在もその一員として活動。現在販売されているモデルはOEM供給を受ける商用車をはじめ、すべてステランティス・グループ各ブランドの技術を用いた兄弟車で、GMの息の掛かったモデルは存在しない。またステランティス・グループになってからは電動化に積極的である。

オペル創業の地であるリュッセルスハイムは、ドイツ南西ヘッセン州の南部に位置する。しかもフランクフルト・アム・マインの南西にあり、国際空港からアウトバーンを使えばクルマで15分、電車でも2駅という距離で、マイン川沿いの工業立地条件として理想的都市である。ライン川とマイン川が近接する地帯で、水運や交易の要衝で鉄道と共に交通の便が非常に良い。土地は平坦地が多く、農耕や交通の便に恵まれてきた。気候もヘッセン州南部(ライン=マイン地域)はドイツの中でも比較温暖で、特に冬はライン川の流れのおかげで極端に寒くならず、作業環境も良好で農耕やワイン栽培に適した土地でもある。

しかも、ドイツの中では「働きやすく、人が定住しやすい」土地柄で、工業都市として発展し、産業と住宅が共存する都市型である。つまり、工業都市圏の中心であり、温暖で安定した気候と定住に適した土地柄。オペルに代表されるリュッセルスハイムの職人気質は、精密工業やクラフトマンシップに適した職人気質が根づいており、「職人文化・市民文化」の強い社会風土に支えられ、ミシン、自転車、自動車へと自然に発展した。従って、オペル誕生の背景には「人物の発想」だけでなく、リュッセルスハイムという土地の条件と風土があった。

次回は後編として、フォルクスワーゲン、ポルシェ、アウディの歴史と風土を解説する。

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文:LEVOLANT 妻谷 裕二
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みんなのコメント

8件
  • fxnhe501
    というわけで、だいたいドイツの自動車メーカーって国の中・南部に集まっているんだけど(フォードの本拠はケルン)、かつては北ドイツにも自動車メーカーがあった。それがボルグワルド・グループ。ボルグワルド、ハンザ、ゴリアート、ロイトの4ブランドを擁し、特に小型車のロイトは初代のスズキ・スズライトに大きな影響を与えた。10年くらい前に中国のメーカーがブランドを買って復活させたものの、1年かそこらで投げ出した。その時売られた車を今でも乗ってる人っているんだろうか?
  • nog********
    それにしても日本は自動車メーカーと家電メーカーが多すぎるな。
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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