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女子大生キラー「ソアラ」誕生物語 元祖ハイソカーは40周年

■80点ではなく100点を目指した「ソアラ」

 2021年、自動車史上に冠たる名作、あるいはエンスージアストの記憶に残るクルマたちが、記念すべき節目の年を迎えることになった。

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 1981年2月に衝撃のデビューを果たした初代ソアラも、2021年で誕生から40周年。現在のレクサス「LC」に至る輝かしい系譜の端緒であるとともに、国産車としては初めてグローバルスタンダードの高級GTを目指したソアラは、元祖「ハイソカー」時には「女子大生キラー」とも呼ばれて絶大な人気を博した。

 今回VAGUEでは、その誕生にまつわるストーリーを紐解くことで、日本自動車史に輝く一台への敬意を表することとしよう。

●アウトバーンを200km/hで巡行できる国産車

 オイルショックと排ガス対策によって未曾有の混乱期となった1970年代も後半を迎え、日本の自動車界にはようやく明るい兆しが見え始めていた1976年。トヨタ社内にて、のちに伝説とも称される意欲的なプロジェクトが立ち上がっていた。

 昭和40年代に「コロナ」や「コロナ・マークII」で主査補佐を務めた岡田稔弘が、主査に昇進して初めて提案した企画にして、従来のトヨタの枠を大きく超えた高級クーペのプロジェクトである。

 それまでトヨタの哲学とされていた80点主義をかなぐり捨て、「満点か落第の20点か」という個性を意識したクルマ──初代「ソアラ」である。

 ソアラの開発に正式なGOサインが出された1970年代後半は、オイルショックも一段落し、世界中の自動車メーカーが1980年代に向けて新たな活動を開始した時期であった。日本の自動車メーカーは、小型大衆車の分野では急速にヨーロッパの名門に迫り、北米などの市場ではそれらを駆逐しようとさえしていた。

 ところがひとたび高級モデル、とりわけスポーツカーやGTに目を転じると、生産台数こそ日産「フェアレディZ」が世界的な人気を維持していたものの、例えばBMW「6シリーズ」やメルセデス「SL/SLC」に匹敵する、本当の意味でのグラントゥリズモは、当時の日本には皆無。岡田が着目したのは、まさにこの本格的GTだったのだ。

 本格的GTの製作にあたり、若い頃にはレーシングドライバーを本気で志したこともあったという岡田は、世界レベルの走行性能を本気で目指していたという。当時の開発陣が目標に掲げたのは「ドイツのアウトバーンを200km/hで巡航できるクルマ」。

 そして、開発に際して規範としたのはメルセデス、BMWなどのドイツ車、および日産「スカイライン」だった。「走行性や操作性で参考になるクルマは、当時の国産車にはスカイラインしかなかった」とのことである。

 そしてソアラの開発に一応のめどが立った頃、岡田は日産の桜井真一郎に電話を入れ「スカイラインを3台ほど分解させてもらいました」と語ったという。

 このような電話をしたのは、会社の垣根を越えた先輩技術者に対するリスペクトと、自らの快作ソアラへの絶対的な自信の現れだったのだろう。岡田の電話を受けた桜井は、こう答えたという。「いくらバラしても、スカイラインの秘密は解らないよ」。それもまた技術者の自負だったに違いない。

 こうして開発を終えたソアラは、1980年11月に開催された大阪国際オートショーに「トヨタEX-8」の名で参考出品される。そして翌1981年2月、正式にソアラの名を冠して販売に移された。

 このソアラという車名は、グライダー競技の最上級カテゴリー「ソアラー級」から採ったもの(ちなみに初級はプライマリー、中級はセコンダリーと呼ぶ)。航空用語は2リッターの下位モデルのグレード名にも使用され、それぞれ「VI(臨界点速度)」、「VII(安全離陸速度)」、「VR(ローテーション速度)」、「VX(最良上昇角速度)」と呼ばれた。

 もちろん、これらのモデルの上位に2.8リッター直列6気筒DOHCを搭載する「GT」と「GTエクストラ」が君臨していたのはいうまでもないだろう。

■未来が詰まったコックピット

 ソアラの開発が明るみに出た1970年代末頃には、ファストバック・スタイルを持つクーペの想像図が、「トヨタ2000GTの再来」という扇情的なコピーとともに自動車メディアの誌面を賑わしていた。

 しかし実際に姿を現したソアラは、ロングノーズ&ショートデッキの、エレガントだがコンベンショナルなノッチバッククーペであった。

●当時の日本車にとっての“未体験ゾーンへ”

 そのプロポーションはメルセデスやBMWなど、当時の高級クーペのセオリーに従った上品なものである。たとえば当時のライバルだった日産「レパード(初代)」などに比べると、ボディラインはコンサバ的にも映る。

 しかし実際は、プレスドアの採用などでフラッシュ・サーフェス化が図られる一方、トランクリッド後端をダックテール状に処理するなどの入念な空力処理が施された結果、空気抵抗係数(Cd値)は0.36、揚力係数は0.12と当時としては極めて優れた空力特性を持つに至った。

 一見コンベンショナルなエクステリアに対し、ソアラの先進性が遺憾なく発揮されたのがインテリアである。特にダッシュパネルは、ソアラの真骨頂であるデジタル表示のスピードメーターに、発光ダイオード(LED)式のタコメーターを組み合わせた「エレクトロニック・ディスプレイ」が採用されるなど、1980年代初頭の世界最先端テクノロジーを積極的に採り入れている。

 また、VXやGT系などの上級モデルにはクルーズコントロール、マイコン制御オートエアコン、メモリー機能付きシートリクライニング、高級カーオーディオなどの当時最新のエレクトロニクス装備も用意される上に、集中ドアロック、パワーウインドウ、電動リモコンミラーなど、すでにクラウンやマークIIなどで実績のあった豪華装備は、ほとんどのグレードに標準装備されるとう贅沢さであった。

 結果的に、当時の日本自動車界において第一期パワーウォーズと並行して展開されていたテクノロジー競争、あるいは「日本初・世界初」のタイトルを巡る争いをさらに激化させる仕掛け人的な存在となってしまうのだ。

 しかし、ソアラの優位性を決定的なものとした最大の要素は、やはりGT系のエンジンにあったといわねばなるまい。当時のクラウンなどに搭載されていた5M-EUに、ヤマハ発動機の開発によるヘッドを組み合わせた5M-GEU型2.8リッター直列6気筒DOHCである。

 トヨタとしては2000GTに搭載された「3M」型以来となる6気筒ツインカムで、静粛性向上のためラッシュアジャスターやコッグドベルトによるカムシャフト駆動などを採用。総排気量2759ccから170ps(旧JIS値)と、当時の国産車としては最高の出力を誇っていた。

 それは、開発当初から仮想ライバルとしたメルセデス・ベンツ「380SLC」やBMW「635CSi」などと比べても遜色ないレベルであり、CMで「未体験ゾーンへ」と謳ったとおり、当時の日本車にとっては初めて達した領域といえるものだった。

 一方、廉価版の2リッターモデルに搭載されていたのは、125ps(旧JIS値)を発生する1G-EU型直列6気筒SOHCエンジンである。上記の2.0SOHC/2.8DOHCとも、変速機は5速マニュアルのほか、2ウェイ式オーバードライブのついた4速ATを選択することができた。

 発売から4ヵ月後となる1981年6月には、同時期のクラウンと共用となる2リッターSOHCターボが追加されたほか、1983年2月のマイナーチェンジでは2リッター「ツインカム24(1G-GEU型)」を搭載する2.0GTが追加される。さらに1985年1月には最上級版が3リッター化されるなど、シリーズを通じてエンジンの強化が継続されることになった。

 そして「このクルマのテクノロジーは、すべてのクルマの進化のために」とまで胸を張ったソアラは、エレクトロニック・ディスプレイに代表される先端技術が評価され、デビュー年となる1981年には第2回日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。「技術のトヨタ」という、従来の同社には望み得なかった企業イメージを獲得したのである。

■「ソアラ」と白洲次郎の物語

 ところで、岡田稔弘とソアラといえば忘れてはならないのが、あの白洲次郎との交流にまつわる逸話であろう。

●2代目ソアラは「かけがえのないクルマ」

 大正初期にあたる英国留学時代にはベントレー「3リッター」やブガッティ「T35」を愛用していたほどのエンスージアストだった白洲次郎は、発売直後に初代ソアラを購入する。

 しかし、そこは次郎のことである。独自の鑑識眼に基づく、歯に衣着せぬ批評を当時のトヨタ自動車社長、豊田章一郎にぶつけた。次郎の慧眼と知識を知る豊田はその忠告を生かすべく、ソアラ開発責任者の岡田を次郎に紹介することにした。

 さっそく次郎のもとを訪れた岡田は、次郎の見識の深さに驚いたという。そして、彼の眼鏡に適う2代目ソアラを作りたいと考え、何度も次郎のもとを訪れることになる。一方、岡田の熱意にほだされた次郎は、もう1台の愛車であるポルシェ「911」をトヨタ東富士試験場に持ち込み「次期ソアラを作る際の参考にせよ」と提供してしまうのだ。

 このとき次郎が岡田に語ったのが「No Substitute」という言葉。「かけがえのないクルマ」という意味である。この短いフレーズで、トヨタが目指すべきソアラのありかたを示したという。

 しかし、2代目ソアラの誕生を待つことなく次郎はこの世を去った。岡田は、彼の教えを体現した新型ソアラに乗って白洲家の墓前を訪れ、その完成を故人に報告したという。

 本物のクルマには、しばしば人間と人間の物語が生まれる。これは、その最たる例というべきだろう。

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