■ダイハツが作った面白いクルマを紹介!
ダイハツの歴史は、輸入に頼っていたエンジンを国産化するべく学者や技術者が中心となった産学連携で、1907年にスタート。
不人気にもほどがある!? ビックリするほど売れていない軽自動車5選
大阪で「発動機製造株式会社」として発足すると、1930年にエンジンメーカーから自動車メーカーへ転換し、大阪の「大」と発動機製造の「発」を組み合わせた『ダイハツ』をブランド名としました。
後に社名をダイハツとすると、「ミゼット」をはじめ数々のクルマを世に出し、現在に至ります。
いまでは軽自動車と小型車を主に製造するダイハツですが、これまでユニークなクルマも作ってきました。そこで、歴代ダイハツ車のなかから、名車、珍車を5車種ピックアップして紹介します。
●コンパーノ・スパイダー
1960年代の初め、ダイハツがトヨタグループに加わる前、オート三輪市場で東洋工業(現マツダ)とトップの座を競い合っていました。
そうしたなか、1963年にダイハツの4輪車である「コンパーノ」を発売し、乗用車市場に進出しました。
コンパーノはイタリアのカロッツェリア・ヴィニャーレによる美しいデザインのコンパクトカーで、ライトバン、ワゴン、そして「ベルリーナ」と名づけられたセダン(初期モデルは2ドアのみ)を順次発売し、上級グレードでは木目パネルやウッドステアリングを備えるなどイタリアンテイストを醸し出していました。
他社が軽量化のためにモノコックボディを採用するなか、小型商用車のラダーフレームをベースに流用する手法を採ったために重量増となり、800ccの直列4気筒OHVエンジンでは非力で、動力性能の評価は高くありませんでした。
一方、ラダーフレームとしたことでボディ架装の自由度が高く、1965年にはツインキャブを装着した1リッターエンジンを搭載する2ドアコンバーチブル「コンパーノ・スパイダー」を発売しました。
同じくオープンカーだったホンダ「S600」や、デタッチャブルトップを持つトヨタ「スポーツ800」が2名乗車のスポーツカーであったのに対し、コンパーノ・スパイダーは4名乗車が可能だったことから、家族でドライブをするニーズも満たすオープンカーでした。
しかし、販売的には成功せず、1968年に生産を終了しました。
●フェロー・バギィ
1966年に登場した初代「フェロー」は、日本車で初めて角型ヘッドライトを採用し、サスペンションが4輪独立懸架となるなど、先進性をアピールした軽自動車です。
ボディタイプは2ドアセダンと商用車の3ドアバン、ピックアップトラックがラインナップされており、このトラックをベースにダイハツは、1968年開催の第15回東京モーターショーに「フェロー・バギィ」の試作車を参考出品しました。
フェロー・バギィは「フェローピックアップ」のシャシをベースに強化プラスチック製のボディが架装され、ドアを持たないバスタブ形のキャビンとなっていました。
乗降時はボディをまたいで乗り降りすることや、ロールバーとグリルガードが装備されており、いかにもバギーなデザインは当時の日本でかなり斬新でした。
エンジンは26馬力を発揮する360cc2気筒2サイクルをフロントに搭載し、リアを駆動。車重はわずか440kgで、最高速度は95km/hとなっていました。
フェロー・バギィは1970年に100台限定で発売され、2名分のシートの後ろに150kg積載可能な荷台があり、登録上は軽トラック(軽商用車)となっていました。
見た目は砂地を走るデューンバギーですが、10インチタイヤで最低地上高が高くないことや、ギアレシオもオフロード用に最適化されていなかったため悪路走破性は高くなく、手軽にバギーの雰囲気を味わいたいレジャー用のクルマでした。
●リーザスパイダー
1986年にデビューした「リーザ」は、軽自動車クラスのスペシャリティカーとして唯一の存在だったスズキ「セルボ」の対抗馬として開発されました。
全高を低くしたクーペスタイルで、当時、人気アイドルだった早見優をCMキャラクターに起用するなど、若い女性をターゲットにしていました。
そして、バブル景気末期の1991年に、2シーターオープンの「リーザスパイダー」が発売。軽自動車規格の変更で660ccになったリーザをベースとして、ルーフをカットして幌型とした2シーターオープンカーとなっていました。
リーザはオープンカーを想定したデザインではなく、かなり無理矢理感があり、リーザスパイダーは決して美しいクルマとはいえませんでした。
また、オープン化にともなってボディ強度と剛性確保のために、シャシ各部に補強部材を追加した結果、重量が増え、エンジンは64馬力の3気筒ターボのみとなっていました。
価格は145万3000円(5速MT)からとかなり高額で、販売面ではまったく振るわず、いまではレア度が相当高いモデルです。
発売から逆算すると、リーザスパイダーの開発はバブル景気の真っ只中だったはずですから、まさに時代が生んだクルマではないでしょうか。
■軽クロスオーバーSUVの先駆け的存在があった!?
●フェローMAX 2ドアハードトップ
1960年代はダイハツ、スバル、スズキ、三菱、マツダ、ホンダが軽自動車を製造していました。そんななか、軽乗用車を販売していなかったホンダが1967年に「N360」を発売し、軽自動車市場の覇権争いが激化します。
N360は当時の水準としては突出した31馬力を発揮する2気筒4サイクルエンジンを搭載し、スポーティさをアピールすることで、若者からも人気となります。
それを他社が黙って見ているわけもなく、軽自動車市場でパワー競争が勃発。ダイハツは1970年に2代目にモデルチェンジされた「フォロー」で、パワー競争に参加します。
駆動方式がFRからFFになり、車内スペースが広くなったことや、リアにセミトレーリングアーム式サスペンションを採用してコーナーリング安定度を高められたことなどから、車名が「フェローMAX」となりました。
発売から数か月後には、にツインキャブ仕様車を追加。1971年には、小型車で増えていたウインドーサッシュレスでピラーを排した、スポーティなルックスの2ドアハードトップが追加。
ツインキャブ仕様の2気筒2サイクルエンジンは40馬力を誇り、最高速度は公称120km/hに達しました。
2ドアハードトップでツインキャブ装着グレードの「GXL」と「SL」には、当時の軽自動車では珍しい前輪ディスクブレーキや、空気抵抗を考慮した砲弾型フェンダーミラーを標準装備するなど、軽自動車でも洒落たクルマが欲しいというニーズを満たし、若者を中心に人気となります。
しかし、排気ガス規制の強化が進むとすべての軽自動車がパワーダウンを余儀なくされ、パワー競争は終焉しました。
●ミラ RV4
1990年代初頭に起こったRVブームでは、三菱「パジェロ」やトヨタ「ハイラックスサーフ」、日産「テラノ」などが人気となり、好調な販売を記録しました。
RVは「Recreational Vehicle(レクリエーショナル・ビークル)」の略称で、クロスカントリー4WD車やステーションワゴン、ミニバンなどの、レジャー用途車を総称する呼び名です。
当時、このRVブームに乗っかることで販売台数を増やそうと、各メーカーが普通の乗用車をRV風にして販売することも流行しました。
1992年に登場した「ミラ RV4」もそんな1台で、1990年にモデルチェンジした3代目「ミラ」シリーズの4WDモデルをベースに、悪路走破性を高めるために最低地上高を上げて、フロントバンパーガードやアンダーガード、サイドステップ、ルーフレールなどを装備し、現在のクロスオーバーモデルのようなルックスとなっていました。
さらに、スペアタイヤをバックドアに設置するなど、クロスカントリー車らしい演出で、かなり本格的に作り込まれていて、現在でも通用するくらい秀逸なデザインでした。
1994年に4代目にモデルチェンジするとRV4は生産を終えます。生産期間はわずか2年と短命なモデルで、いまではレアな1台です。
※ ※ ※
ダイハツはコンパクトSUV「ロッキー」や「コペン GRスポーツ」を矢継ぎ早に発売するなど、かなり元気なメーカーです。
どうしてもトヨタの影に隠れがちで、軽自動車ばかり作っている印象ですが、今回紹介したような魅力的なクルマを数多く販売してきました。
これからもダイハツから、ワクワクするようなモデルが出ることが期待できるのではないでしょうか。
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