明治期の交通と中華街
1905(明治38)年頃までは、日本人は横浜中華街(当時は横浜南京町と呼ばれていた)を訪れることがなかった。
【画像】「なんとぉぉぉぉ!」 これが明治時代の「横浜中華街」です! 画像で見る(10枚)
明治時代の終わりごろになると、日本人が本格的な中華料理を求めて横浜中華街に通うようになった。その背景には交通手段の発達があった。
100年以上前のガチ中華ブーム
2010年代ごろから、東京を中心に本格的な中華料理のブームが起こっている。ラーメンなどの日本人向けにアレンジされた日本式中華とは異なり、本場中国の味を提供する店が増えているのだ。
在日中国人の増加にともない、この本格中華店に日本人も通うようになった。これが現代のガチ中華ブームだ。しかし、このブームは100年以上前にも起こっている。背景には交通手段の発達があった。
作家の獅子文六は1893(明治26)年、横浜中華街近くで生まれた。彼が少年のころ、横浜中華街は中国人向けのガチ中華店ばかりで、日本人客はごく少数だった。
「そのころ日本人で中華料理を食う者はなかった。横浜人ですら南京町(引用者注:横浜中華街の戦前の呼称)の南京料理屋へ通う者はまれであった」(『好食つれづれ草』)
だが、その後、日本人が積極的に横浜中華街を訪れるようになった。これが当時のガチ中華ブームである。
「だが、それから二、三年経って、一部の横浜人が、安くてウマいという理由の下に、「南京」を食べることが流行した。鳥ソパだの、焼ソパだのという言葉は、彼らが発明したのだと思う」
「当時頗(すこぶ)る進取的であった横浜人は、猛然と「南京」を食い始めていたのである」(『好食つれづれ草』)
ガチ中華ブームを生んだ社会的背景
日本人の横浜中華街ブームが起きたのは、獅子文六が10歳だった1905(明治38)年ごろのこと。なぜこの時期に、横浜でガチ中華のブームが起こったのか。
理由のひとつは、1899年の外国人居留地廃止だ。この制度の廃止により、在日中国人は居留地の外に移り住み、日本人の生活圏で中華料理店を開くことが可能になった。
この頃に登場したのが、伊勢佐木町の博雅亭である。シウマイを横浜名物に押し上げた店として知られる(近代食文化研究会「「焼売といえば崎陽軒」…ではなかった? “ホタテ入り”で名を馳せた幻の店が築いた横浜焼売の原点とは」2025年6月8日配信記事)
横浜各地に中華料理店が次々と開店し、そこで中華料理に魅了された日本人が中華街にも足を運ぶようになった。これがガチ中華ブームのきっかけのひとつとなった。
政治家・野間五造(1868〈慶応4〉年生まれ)によると、東京では居留地廃止以前から、偕楽園などの中華料理店が存在していたという。
当初はガチ中華を出していた東京の偕楽園や横浜の博雅亭も、時が経つにつれ日本人の味覚に合わせるようになり、やがて日本式中華料理へと変化していった。
「東京と云はず横濱と謂はず、何れの支那料理も、開業早々は大概純粋の支那割烹を提供するが、日を経る惡化を來し、遂には純然たる日本料理を製造するよふに成って來るのである。」(野間五造「支那料理と東京」『食道楽 昭和8年1月号』所収)
ガチ中華ブームを支えた交通機関の発達
そんな東京人や横浜人がガチ中華に目覚めるきっかけとなったのが、日清戦争(1894~1895年)と日露戦争(1904~1905年)だった。
戦争で多くの日本人が中国大陸に渡り、本場の中華料理を味わった。日本風にアレンジされた中華料理では物足りなくなった帰国者たちは、ガチ中華を提供する横浜中華街に注目した。
しかし、日露戦争以前の時代、横浜中華街を訪れるのは簡単ではなかった。交通の便が悪く、遠方の横浜人にとっては徒歩か人力車くらいしか手段がなかった。
そんな状況が変わったのが1904(明治37)年。この年から路面電車の整備が始まり、やがて横浜中華街の近くにも停留所(花園橋)が設置された。
路面電車の登場により、人々は安く、早く、気軽に中華街を訪れることが可能になった。これが、横浜人が「猛然と「南京」を食い始め」た1905年前後の背景である。
東京の横浜中華街ブームは円タク普及後
「第一次大戦後に、横浜へシナ料理を食いに行くことが、東京人の流行になった時があった。松竹の撮影所が、蒲田にあった頃は、安い円タクに乗って、横浜のシナ料理を食って、本牧で遊ぶという映画人が、ずいぶん多かった。」(獅子文六『飲み・食い・書く〈続〉』)
再び獅子文六によれば、東京で横浜中華街のガチ中華ブームが起こったのは、第一次世界大戦後(1918年以降)だった。
路面電車網が整っても、東京から横浜中華街までは依然として遠かった。路面電車で新橋駅に出て、そこから汽車で横浜停車場(現在の桜木町駅)に向かい、さらに路面電車に乗り換える必要があった。
そんななか、東京人が気軽に中華街へ出かけられる新たな交通手段が登場した。それが円タク(タクシー)だった。
『食道楽 昭和6年9月号』の対談「銀座へなちよこ問答」には、円タクに5人が相乗りして横浜中華街を訪れる場面が描かれている。タクシー代は往復で5円。成昌や聘珍樓で食事をして合計10円。ひとりあたり3円で本格中華を楽しめたことになる。
タクシーが普及した背景には、フォードによる自動車価格の劇的な下落があった。
円タクに使われたT型フォードは、大量生産によって発売当初の半分以下まで価格が下がった。このコストダウンにより、タクシーという新しい移動手段が一般化し、東京人が横浜中華街を身近に感じられるようになったのだ。(近代食文化研究会(食文化史研究家))
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みんなのコメント
年々、味が低下、量が低下、値段上昇が原因で、さびれて行くのが残念です。ガラガラなので歩行しやすい。