資産市場と裁量消費の乖離
JTB(東京都港区)がまとめた2026年夏休みの旅行動向見通し(対象2060人などのアンケートから推計)によれば、今夏(7月15日~8月31日)の総旅行者数は7117万人と前年比95.4%へ落ち込む見通しだ(2026年7月2日発表)。また、夏休みの旅行意向について「行く」「たぶん行く」と答えた人の合計は30.6%にとどまり、前年から3.6ポイント減少した。
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一方で日経平均株価は過去最高値の7万円を突破している。2026年春闘の高水準な賃上げを背景に、大手企業のひとり当たり夏のボーナス支給額も前年比2%台の増加が予想され、平均額は初の100万円超えと過去最高を記録した。ここには一見、相反する事象が並び立っている。
金融資産や企業収益が潤う局面でありながら、代表的な裁量消費である旅行は縮小を余儀なくされている。この隔たりは景気循環の波だけでは説明しきれない。富裕層と低所得者層で明暗が分かれる
「K字型経済」
の進行と、家計におけるお金の使い道の変化を示している。政府の現物社会移転を加味した日本の調整可処分所得は拡大傾向にあり、金融市場の好調を受け、手持ちの資産価値が上がることで消費が上向く資産効果が富裕層を中心に強く働いている。
しかし、物価高の痛手は中・低所得層へ重くのしかかる。日本人の旅行意欲は長期的に冷え込んでおり、2022年の海外調査会社のデータでは国内外を問わず旅行に行くのは気が進まないと答えた日本人が35%に上り、世界でも突出して高い割合を示した。食費や住居費、エネルギーコストといった固定支出が膨らむ中、家計は増えた可処分所得をそのまま消費に回さず、支出の優先順位を厳しく見極め、旅行は後回しにされやすい。
移動という行為は一般的な買い物とは異なり、エネルギー消費や時間の拘束、肉体的な労力をともなうため、コストの負担が極めて重い。2023年時点での日本国民のパスポート保有率はわずか17.0%に落ち込み、台湾の60%や米国の50%と比べて圧倒的に低い水準にある。
株高の恩恵を受けて移動の自由を守れる層と、実質賃金の低下や物価高に直面して行動範囲を狭めざるを得ない層との間で、明確な格差が表面化しつつある。名目景気が上向いても人々の生活空間は縮んでいくという、現代日本経済のいびつな実態がここにある。
費用高騰による体験消費の選別
今回の調査から読み取れるのは、旅行そのものが完全に否定されているわけではないという点だ。今後1年間の旅行支出についてこれまでより減らしたいと答えた人が41.8%と前年比3.3ポイント増加し、3回連続で増えている。その一方で実際の旅行単価は上昇しており、一部の対象へ選択的にお金が使われている。
国内旅行の平均予定費用は4万8500円(対前年103.2%)、海外旅行の平均予定費用は32万3000円(対前年106.3%)に達した。燃油サーチャージの上昇や世界的なインフレーション、円安ドル高などが重なり、1回の海外旅行にかかる平均費用が以前と比べて3割近く増えたことが大きく影響している。
旅行に出かける人はより多くの予算を投じ、行かない人は出費を明確に抑えるため、市場全体のボリュームは細っていく。2024年時点でも日本発の海外旅行者数は2019年比マイナス46.7%と回復には程遠く、過去の意識調査でも約70%が海外に行く意思が無いと回答している。消費者は日程を夏休みのピークから前後にずらして出費を抑える工夫を凝らす反面、自らが価値を感じる宿泊施設や特別な体験にはお金を惜しまないメリハリを利かせている。
市場規模が縮小する中で平均費用が上がる現象は、消費者が移動をともなう旅行を、高い出費を引き受けて行う投資行動と捉え始めていることを示している。高い交通費などを払う以上、それに見合う確実で価値のある体験を得なければ割に合わないという心理が働く。一度支払えば取り戻せないサンクコストへの警戒感から、確実に満足できる行き先へ予算を集中させているのだ。海外旅行先の上位が韓国(26.2%)や台湾(16.2%)となり、アジア合計が79.5%を占めることも、限られた予算で手堅い成果を求める行動の表れだと言える。
海外旅行市場におけるK字型経済の進行は、世代間の格差も浮き彫りにする。法務省の統計によれば、2000(平成12)年に418万人だった20代の海外旅行者数は、2010年には270万人まで急減した。非正規雇用者の増加や正規雇用者の賃金下落によって若年層の購買力が落ち込んだ影響が大きい。海外旅行費用のボリュームゾーンだった10万円から20万円帯が減り、5万円未満と40万円以上へ二極化している現在の現象も、この流れの先にある。十分な資金を回収できる一流企業と富裕層が経済を引っ張る構造が、旅行業界全体を覆い始めている。
燃料高にともなう公共交通への乗り換え
旅行に出かける人々の行動も変わりつつあり、データを見ると日数の短期化や近距離化が進んでいる。利用交通機関において最も高い割合を占める自家用車が49.6%と前年から2.0ポイント減少し、レンタカーも9.6%と1.2ポイント下がった。その半面、格安航空会社(LCC)やJR在来線・私鉄といった公共交通へ乗り換える兆しが見られる。6月15日時点のガソリン全国平均小売価格が、政府の激変緩和措置が適用されても169.7円という高値圏にあることが背景にある。
この動きは、生活者が時間や費用、快適性のバランスを慎重に天秤にかけた結果だ。出発時間やルートを自由に変更できる車の利便性を手放し、あらかじめ決められた公共交通の運行表に合わせて動く道を選んでいる。
移動手段の移り変わりは、地方の観光経済にストロー効果という重い課題を突きつける。新幹線や航空網などの幹線交通網が整い公共交通へのシフトが進むと、消費や経済活動が大都市圏や中核となる観光の結節点へ局所的に吸い上げられる。結果として、主要駅から離れた場所にある観光資源への足回りが悪くなり、二次交通が手薄な地方都市の宿泊業や飲食業が恩恵を受けにくくなり、空洞化が進んでいく。
国内旅行日数を見ると、1泊2日が39.0%と前年から2.5ポイント増えた反面、3泊4日が15.6%と1.8ポイント減り、滞在時間の短縮が鮮明になった。居住地と同じ地方内で完結させる域内旅行の割合は、北海道で67.3%、九州で50.0%と高い水準を示す。関東地方の居住者が中部へ旅行する割合は28.2%となり、関東圏内の21.8%を上回る人の流れも見られる。
行動範囲の狭い地域へ留まる傾向は、海外旅行の費用の高さを避けた結果でもある。大都市圏から地方へ富を振り分ける循環を滞らせる一方で、地元経済に確実に資金を回す防衛的かつ持続可能な観光モデルとして機能し、ストロー効果の負の影響を和らげる役割も果たしている。
市場環境の激変と移動の両極分化
アンケートによれば、自身の生活と旅行について先行きがわからないので、大きな支出は控えておきたいと答えた人が13.9%に上り、前年から1.2ポイント増えた。不安定な世界情勢や長引くインフレへの不安から財布のひもを固くする状況が続けば、これからの市場環境はさらに姿を変えていく。
旅行市場は全体のパイを広げる方向から、体験の付加価値を高めつつ身近な場所で楽しむ形へと移り変わる。K字型経済による極端な二極化や、ストロー効果がもたらす地域ごとの明暗など、生活者の行動はかつてなく複雑になった。こうした傾向が5年後、10年後の未来に向けて定着した場合、国内の移動環境は、高額な超長距離の航空や新幹線と、手軽な超短距離の域内移動へ両極分化するだろう。その中間にある100kmから300km圏内における広域流動が成り立たなくなる恐れがある。
株式市場と消費市場の結びつきが弱まるほど、株価や名目賃金を基準にする従来の景気判断指標は実態を捉えきれなくなる。家計の実質的な豊かさは、手元にある通貨の量ではなく、どれだけ自由に物理的な空間を行き来できたかという移動の多様性と総量によって測られる時代へ移り変わるという見方もできる。国民の6人に1人しかパスポートを持たないという事実は、日本社会全体が空間的に縮みつつあることを強く暗示する。
移動や観光に関するデータは、レジャーの動向を追う統計の枠を超え、社会の空間的な健全性を測るための重要な代替データとして位置づけられる。事業者がこの厳しい市場で生き残るには、従来のアンケート調査に頼るだけでなく、クレジットカードの決済履歴やスマートフォンの位置情報、SNSの投稿といった非伝統的データの活用が欠かせない。これらを掛け合わせることで、二極化する顧客層の隠れたニーズを緻密にすくい上げることが可能になる。
2026年夏の旅行市場は、物価高による消費の冷え込みだけでは語れない。株高や過去最高のボーナスがもたらす資産効果と、日々の暮らしにのしかかるインフレの痛みが入り交じるK字型経済の縮図である。マクロな経済指標とミクロなデータをすり合わせ、富裕層向けの質の高い体験と、中間層に向けた手堅い体験の双方に対し解像度の高いアプローチを行うことが、これからの消費構造を読み解くための中心的な論点になる。(キャリコット美由紀(観光経済ライター))
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みんなのコメント
景気がいいのが大手だけで大手に勤めてるのはごくわずかだからってだけでしょ 苦笑
大手だけの平均とって景気が上向きって
なら中央値も出してみ?