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日本のモータースポーツ黎明期支えた砂子義一氏が87歳で死去

日本のモータースポーツ黎明期支えた砂子義一氏が87歳で死去

 日本のモータースポーツ黎明期を支えたレーシングライダーであり、レーシングドライバーの砂子義一氏が2020年1月3日に亡くなった。87歳だった。

 レーシングドライバーの砂子塾長の父としても知られる砂子義一氏は1932年9月23日生まれ。ヤマハのワークスライダーとして二輪レースの世界選手権WGPを戦った後、1963年にはプリンス自動車と契約を結び四輪レースへ転向した。

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 その後は1966年に富士スピードウェイで行われた第3回日本GPで戦後日本初のプロトタイプレーシングカー『プリンスR380 A-I』をドライブし、2位以下に3周差をつけて優勝を飾るなど、プリンス自動車、日産自動車のワークスドライバーとして活躍。

 1971年に現役を退いたあとは実業家として活動していたほか、近年はNISMO FESTIVALなどでヒストリックカーによるデモランや場内実況などを行っていた。

 そんな砂子義一が1月3日、87歳で亡くなった。訃報を受け、ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル株式会社のホームページには、片桐隆夫代表取締役社長のコメントが掲載されている。

「砂子義一氏の訃報に際し、心から哀悼の意を表します」

「砂子さんは、日本のモータースポーツ黎明期にプリンス自動車、日産自動車のワークスドライバーとしてスカイラインGTやR380等で大活躍され、日産のモータースポーツ活動の礎づくりに多大なる貢献をしていただきました」

「近年ではNISMO FESTIVALにも参加していただき、ヒストリックカーの走行や場内解説などを通じて日産のモータースポーツの魅力を発信していただき、魅力的なお人柄もあり多くのファンに慕われてきました」

「ご家族の皆様に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、同氏のご冥福を心からお祈り申し上げます」

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