日本にWRC(世界ラリー選手権)が10年ぶりに戻ってくる!! すでにお伝えしてきたとおり、来年11月19~22日にラリージャパンがシーズン最終戦として復活し、少なくとも2022年までの3年間、開催される。
今回はWRCラリージャパンの復活を記念し、これまでWRCに参戦してきた各メーカーの系譜をたどっていくこととしたい。
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現在、日本車でWRCに参戦しているのはヤリスWRC擁するトヨタのみだが、かつてはこぞって参戦していた熱い時代を振り返る!!
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※本稿は2019年10月のものです
文・写真:ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2019年11月26日号
■【Part1 トヨタ篇】ヤリスWRCに脈々と受け継がれる遺伝子
初代クラウンが1957年の豪州1周ラリーに参戦し、47位で完走。その後、1973~1999年までWRCにトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)が参戦。3代目セリカターボは1984~1986年までサファリラリー3連覇を達成した。
1988年から参戦した初代セリカGT-FOUR(ST165型)は白眉だった。1990年に当時無敵のランチアを振り切り、C・サインツが初のドライバーズチャンピオン獲得。
続くST185型セリカGT-FOURでは、1993年にJ・カンクネンがドライバーズ、初となるマニュファクチャラーズをダブルタイトルで飾る。最後のST205型は、1995年にエアリストリクターのレギュレーション違反で全ポイントはく奪の憂き目に。
1996年から2年間参戦を自粛してカローラWRCで1998年から再参戦開始。翌1999年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得後、撤退へ。2017年からヤリスWRCで再び挑戦し、昨年のマニュファクチャラーズタイトルにつながった。
●3代目セリカターボ
1982年10月に当時のグループBホモロゲーション取得のため、200台限定で登場。1.8L DOHCターボを搭載するのはベースのGT-Tに準じるが、GT-TSは3L未満のクラスに区分されるよう排気量を21cc拡大する、リアサスをリジッドにするなど実戦で有利なよう配慮も施され、1984年から1986年にはサファリラリー3連覇も果たした
●初代セリカGT-FOUR(ST165)
グループAへと移行したWRCのトップカテゴリー参戦ベース車として、セリカのフルモデルチェンジから1年遅れの1986年10月に「2Lターボ+4WD」で登場。WRCには1988年から参戦し、当初は苦戦が続いたものの、1989年に初勝利を挙げた後は1990年にC・サインツが4勝し、この年のドライバーズタイトルを獲得した。
●2代目セリカGT-FOUR(ST185)
1989年9月に2代目となったセリカGT-FOURはリアデフが日本車初のトルセンLSDになるなどの進化はあったものの、市販車のスポーツ性はそれほどではなく、1991年9月には実戦を考慮したモディファイを加えたRCが世界限定5000台で登場。しかしWRCではドライバーズタイトルに加え、日本車初のメイクスタイトルも獲得した。
●3代目セリカGT-FOUR(ST205)
3代目セリカGT-FOURは2100台限定のWRC仕様車とともに1994年2月に登場。3ナンバー幅のボディなど、市販車はGTカー的なキャラクターが強かった。本格的に実戦投入された1995年のWRCでは当初苦戦したが、TTEによる改良で復調。しかし重大なレギュレーション違反によって、トヨタは1年間の出場停止処分を受けることになる。
●カローラWRC
1997年のテスト参戦からWRCに復帰したトヨタはセリカの大きすぎるボディや欧州での2BOXカー人気を踏まえ、日本では販売されなかった8代目カローラの3ドアハッチバックに2Lターボ+4WDを積み、当時のWRカー規定に合わせ参戦。1999年にはメイクスタイトルを獲得したものの、F1参戦のために1999年でWRCから撤退することになる。
●ヤリスWRC
トヨタは豊田章男社長の「道がクルマを作る」という思いに加え、欧州でのプロモーションもあり、2017年からWRカー規定に合わせパワートレーンを1.6Lターボ+4WDとするなどしたヤリス(日本名ヴィッツ)でWRCに復帰。2018年にはメイクスタイトルを獲得。2020年に登場する次期モデルも楽しみだ。
■【Part2 NISSAN編】実はWRCで日本車初勝利を飾った古豪
かつて“ラリーの日産”の異名を取ったほど、日産とラリーとのかかわりは古く、WRCが始まった1973年より国産メーカーでは最も古くから参戦していた。
その1973年のWRC開幕初年度には、ダットサンスポーツ240Zがサファリで国産ワークス勢初となる総合優勝を果たしている。
1979~1982年には2代目バイオレットがグループ2とグループ4で当時史上初のサファリラリー4連覇を達成したのも快挙だった。
その後はベースマシンを4代目S12シルビアベースの200SXにスイッチし、この200SXが1988年に挙げたアイボリーコーストでの勝利が日産にとって最後のWRC優勝となっている。
1991年、日産はベースマシンを同社WRC初の4WDターボ車として6代目パルサーGTI-Rをデビューさせ、2年目の1992年にはT・マキネンを乗せたものの、戦績的には振るわず、WRCへのワークス参戦を同年かぎりで終了している。
1970年に日産車として初めてサファリラリー総合優勝を飾った510ブルーバード
●初代S30 フェアレディZ240Z
快適かつ実用的なうえに安価だったことでスポーツカーの歴史を変えた初代フェアレディZは、サーキットだけでなく低中速トルクが太く、特に公道での強さが光った直6、2.4Lを搭載した240Zで参戦したWRCでも、1971年と1973年のサファリラリー優勝など意外なほど活躍。「ラリーの日産」のイメージ定着に大きく貢献した。
●2代目バイオレット
バイオレットは現在ほとんどの人が忘れている車名だが、1970年代末から1980年代初めにかけての日産のラリー黄金期を築いた1台である。特に2代目モデルはグループ2、2L直4の4バルブDOHCを搭載したグループ4仕様が1979年から1982年のサファリラリーを4連覇。この4連覇はWRC史上初の同一ドライバーによるものだった。
●4代目シルビア
シルビアは240RSが有名な3代目モデルに続き、4代目モデルもWRCに参戦。WRC参戦車は北米向けのV6、3Lエンジン搭載車をベースにしたグループA仕様で、1987年から参戦を開始。1988年にはサファリラリーで総合2位、アイボリーコーストラリーでは総合優勝を果たし、WRCで優勝した最後のFR車として名を残している。
●初代マーチターボ&マーチスーパーターボ
1982年登場の初代マーチは1985年にスポーツモデルのターボが加わって以来WRC参戦を開始し、サファリラリーでクラス優勝などの成績を残した。1988年にターボにスーパーチャージャーを加えた「R」、1989年にRのロードカーとなる「スーパーターボ」が加わってからはアクロポリスラリー優勝なども果たした。
●6代目パルサーGTI-R
4代目パルサーにトップモデルとして設定されたGTI-RはWRC制覇を目指し2Lターボ+4WDを搭載したホモロゲーションモデルである。市販車は強烈なパワーとトラクションにより加速こそ当時のGT-R並みだったものの、全体に無理があったのも否めなかった。WRCでも冷却の問題などで成績は振るわず、参戦も2年で終了した。
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