2019年春、イタリア・トリノにあるFCA(フィアット・クライスラー・オートーモービルズ)グループのミラフィオーリ工場内にオープンしたヘリテージ HUB(ハブ)は、FCAグループが有する4つのブランド(フィアット/アルファロメオ/ランチア/アバルト)の歴代車両を一堂に集めた場所。1万5000平方メートルにもおよぶスペースに約250台が並ぶ。“自動車ファンの拠点にしたい”、こんな願いを込めてHUBと名付けられた。
ヘリテージHUBは、イタリア・トリノにあるFCA(フィアット・クライスラー・オートーモービルズ)グループのミラフィオーリ工場内にある。一般公開はされていない。Alberto Cervettiヘリテージ部門の責任者を務めるR.ジョリート氏。Alberto CervettiFCAグループは、2016年にヘリテージ部門を設立、責任者になったのはR.ジョリート氏。現行フィアット「500(チンクエチェント)」を手がけたデザイナーである。彼の長年の夢を故・セルジオ・マルキオンネCEOが後押し、ヘリテージHUBは生まれた。
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ヘリテージ部門ではイベントの開催やクラシック・カー販売、ユーザーが持ち込む車両のレストアや認定証の発行もおこなう。オフィチーナ(作業場)はヘリテージ部門のオフィスとともにハブのとなりに置かれている。この一帯は名車の匂い漂う場所ということになる。
ヘリテージHUB内には、戦前のランチアも多数展示されている。Alberto Cervetti1922年に登場した「ラムダ」。乗用車初のモノコックボディだった。Alberto Cervetti見どころはランチア車両だ。アルファ・ロメオはアレーゼに専用ミュージアムを持ち、フィアットはトリノに博物館がある。ランチアを揃って見られる場所はなかった。蘇ったアバルトとは対照的に、街で見かける機会も少なくなっているのが今のランチアだ。「ランチア・カーの展示は我々の悲願でした」とのジョリートの言葉に説得力を感じる。
ランチアは1906年にヴィンチェンツォ・ランチアがトリノに設立したメーカー。技術者でありレーシング・ドライバーだった彼は、黎明期のイタリア自動車界の“長”(おさ)のような役割を果たした人。ピニンファリーナ創設メンバーのひとりでもある。ランチアの戦前作として有名なモデルは「ラムダ」だろうか。ボディはモノコック構造。ドックで見た船の構造からヒントを得てヴィンチェンツォが生み出した。まさに歴史的な発明と言える。
1937年登場の「アプリリア」。搭載するエンジンはV型4気筒。Alberto Cervettiアプリリアの前身、1932年登場の「アウグスタ」。Alberto Cervettiこの会社の最初の悲劇はヴィンチェンツォの急死。1937年のことだった。彼の最後の作品は同年デビューした「アプリリア」。当時としては画期的なCD値0.47を達成した。
後継者となったのは息子のジャンニだ。彼は、父の意志を受け継ぐ設計者としてアルファ・ロメオからヴィットリオ・ヤーノを引き抜く好判断を下した。ヤーノの設計で誕生したのが自動車史上初、V型6気筒エンジンを搭載した「アウレリア」である。2ドアのクーペ・バージョンには量産車として初めてGT(グランツーリズモ)の文字が刻まれた。アプリリア同様、もちろんアウレリアもヘリテージHUBに展示されている。
1950年登場の「アウレリア」。2ドア・モデルには、モデル名に“GT”が入った。Alberto Cervettiアウレリアのコンバーチブル・モデルも展示されている。Alberto Cervettiフィアット傘下以降のランチアしかし会社は1955年に倒産。F1参戦に莫大な投資をしたことも要因だったはず。マシン製作費用もさることながら、当時としては異例の高額でドライバー、A.アスカリを引き抜いた。ジャンニは南米に移住、ランチアは創業者一族の手を離れた。
1953年登場のレーシング・マシン「D24」。3.2リッターV型6気筒エンジンを搭載する。Alberto Cervetti新たなエンジニアの主導で、カロッツェリアが競って美しいボディを架装した「フラミニア」、水平対向4気筒エンジンを搭載した前輪駆動の「フラヴィア」、“最後の純血ランチア”と呼ばれる「フルヴィア」など名車が誕生したものの、ふたたび経営難に陥ったのは採算を度外視した自動車製作を行なったためだった。この3台も肩を並べるように展示されている。
1969年、ランチアはフィアットに買収されるが、その額はお布施程度。何より先進技術を特徴とするランチアが、大衆車メーカーから指図を受けるようなことは往年のファンには屈辱だったのだろう、イタリアではブーイングの嵐が吹き荒れた。
施設内にはランチアのモータースポーツ参戦マシンのみを集めたエリアもある。Alberto Cervetti世界ラリー選手権(WRC)などに参戦し、輝かしい戦績を残した「ストラトス」。Alberto Cervetti展示車のカラーリングやステッカーは当時のまま。Alberto Cervettiアバルトが開発を担った「ラリー」。もとになっているのは「ベータ モンテカルロ」である。Alberto Cervetti1986年のラリー・モンテカルロに出走した「デルタS4」。Alberto Cervetti1989年より投入された「デルタ HFインテグラーレ16V」。従来エンジンを16バルブ化したものが搭載される。Alberto Cervetti施設内には、ラリーに参戦した複数台のデルタ(実車)が展示されている。Alberto Cervettiしかしランチア魂はこの時も蘇った。エンジニアはフィアット車を「ランチア」に仕立てたのである。スポーツモデルを作り上げレースやラリーに参戦、大暴れ。同じくフィアット傘下となっていたアバルトと手を組んだことも功を奏した。「デルタ・インテグラーレ」は1987年から1992年まで6度のWRC世界チャンピオンに輝く史上初の快挙を遂げた。
デルタのスタイリングはG.ジウジアーロ、「ストラトス」を手がけたのはM.ガンディーニだ。特に後者は生産台数の少なさもあって現在もっとも熱い視線を浴びるコレクターズ・アイテム。どちらも会場の「ラリー・エリア」に展示されている。ワークスチームが駆ったアリタリア航空カラーにペイントされた車両である。
1970年~1980年代の「ガンマ」や「ベータ」も展示されている。Alberto Cervetti「プリズマ」なども展示されている。Alberto Cervetti「テーマ」の、希少なストレッチ・モデルもある。Alberto Cervetti「デドラ」や2代目「テーマ」など、1990年代のモデルも充実している。Alberto Cervettiちなみに会場は、アーキスター、コンセプトカー、エコ&サステイナブル、エピックジャーニー、レコード&レース、スモール&セーフ、スタイルマークスと前述のラリー、の8つに分類されているが、コンセプトカー・エリアに1台、珍しいランチアがある。「フラミニア・クーペ・ロレイ」だ。
スチュードベーカーやラッキーストライク、日本とのかかわりで言えば不二家ルックチョコレートのパッケージングとロゴを手がけたインダストリアル・デザイナー、レイモンド・ローウィによる正真正銘のワンオフで、独特のフロントマスクを特徴とする。これもヘリテージHUBでしか見られない1台だ。
ユニークなエクステリアが特徴の「フラミニア・クーペ・ロレイ」。Alberto Cervetti2001年のパリ・サロンで発表された「Nea」。Alberto Cervetti2003年のトリノ・ショーで発表されたコンセプト・モデル「フルヴィア・クーペ」。Alberto Cervettiかつてジャケットの上質な裏地にたとえられたランチアは、ラリーでの活躍後、ゆっくり表舞台を去りお蔵入りとなった。現在は起床時間を告げられぬまま眠りについているが(「イプシロン」のみイタリア国内で販売中)、自動車史のなかで果たした役割はとても大きい。それをヘリテージHUBは教えてくれる。
文・松本葉
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