サイトトップへ

サイト
トップへ


現在位置: carview! > ニュース > 業界ニュース > アメリカを代表する高級車ブランド「キャデラック」 なぜその名の由来はフランス人なのか【ブランド考察】

ここから本文です

アメリカを代表する高級車ブランド「キャデラック」 なぜその名の由来はフランス人なのか【ブランド考察】

■自動車の技術とデザインを革新し続けたキャデラック

 アメリカのビッグスリーで最大の規模を誇るゼネラルモーターズ(以下「GM」)の中でも最高級レンジに位置づけられる「キャデラック」は、もちろん今でも世界的な高級車ブランドであることに変わりはないが、往年のキャデラックはいま想像するよりもずっと凄かった。どれほど凄かったのかは以下で述べるとおりだ。

新型キャデラック「XT6」は 堂々たる風格と軽快な走りが魅力のアメリカンSUV【試乗】

 まずはキャデラックの生い立ちには意外なエピソードがいくつもあることを紹介したい。

 そもそもキャデラックという名称からして、アメリカを象徴する高級車ブランドながら、実はフランス人の名前に由来する。かつてデトロイトを開拓したフランスの貴族の名前であり、印象的なエンブレムも同氏の家紋をモチーフとしたものだ。

 さらに、アメリカを代表する高級車ブランドの双璧であるもう一方の「リンカーン」とキャデラックは、実はヘンリー・リーランドという同一人物が立ち上げたものだ。しかもキャデラックの起源には、実はGMではなくフォードが深く関わっている。
 
 1899年、のちにフォード・モーターを興し「自動車王」と呼ばれるヘンリー・フォードも関わり、氏の名を冠した会社が設立されたものの、事情により会社を去り、1902年に機械メーカーの工場長だったヘンリー・リーランドが後任に就いた。そして1902年一号車を完成し、翌年より本格的に自動車の生産をはじめた。これがキャデラックのはじまりだ。

 その後、1909年にGMの設立者であるウィリアム・C・デュラントに請われてGMの一員となり、最高級レンジを担うことに。これにより現在までキャデラックはGMの頂点に位置づけられるはこびとなる。
 
 ところがリーランドは、第一次世界大戦時に政府からの要請で航空エンジンの生産をしようとしたところ反対されたGMのデュラントと袂を分かち、1917年に自身でエンジン製造を目的にリンカーン社を設立。これがのちにフォードに傘下に収まり、キャデラックのライバルとなる高級車を生産するようになったわけだ。
 
 ちなみにリーランドはブランドに自身の名前をつけることを好まず、キャデラックが件のフランス人なら、リンカーンはリーランドが敬愛していたという第16代アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーンに由来する。

 そんなキャデラックは、先進性においても傑出した存在だった。
 
 リーランド在籍時には、アメリカ車としていちはやく1910年にクローズドボディを標準装備として導入したほか、とりわけ1912年のセルフスターターは画期的な発明として知られる。以降も1915年には量産V8水冷エンジンや照射角度を調整可能なヘッドライトを実用化するなどした。

 リーランドが離れてからも、シンクロメッシュ サイレントシフト トランスミッション(1928年)、安全ガラスの全車標準装備化(1929年)、世界初のV16エンジンの市販化(1930年)、ダブルウィッシュボーン式前輪独立懸架(1933年)、オートマチックトランスミッション(1940年)、パワーステアリング(1951年)、パワーブレーキ(1954年)、クルーズコントロール(1958年)、サーモスタット式冷暖房システム(1964年)などの技術を矢継ぎ早に世に送り出した。現代の乗用車に搭載される技術の多くが、じつはキャデラックが生み出したものなのだ。

 デザインにおいてもキャデラックは際立っていた。好敵手だったリンカーンが当初はデザインにおいては評価が低かったのとは好対照だ。
 
なかでも1948年に導入した戦闘機をモチーフとするテールフィンは、ほどなく世界的な流行を見せるほどの影響を与えた。その他、自動車業界初の曲面ガラスやピラーレスハードトップの採用、1950年代からしばらく続いた、「イヤーモデル」と呼ぶ意匠変更や改良を毎年のように行なったのもキャデラックが先鞭をつけた。

 こうして自動車業界をリードしつづけてきたキャデラックは、アメリカ大統領の専用車として圧倒的に多く採用されたのをはじめ、多くの国々において王侯貴族や政府関係者、富裕層などに愛用されてきた。世界中の大富豪やセレブリティ、スーパースターらが愛用し、併せて多くのハリウッド映画にも登場したことで、アメリカ文化を象徴するアイコンとして、まさしく世界の頂点に位置する超高級車ブランドの一角をなしていた。
 
いまでいうとロールスロイスやメルセデスのマイバッハと肩を並べるというニュアンスであり、当時のイメージからすると、現在もっとも高価なエスカレードでも1300万円台からというのは信じられないような話なのだ。

■70年代に失墜したイメージも2000年代にグローバルブランドとして復活

 日本にも1915年よりヤナセにより輸入が開始され、ほどなく大阪の木津川に日本法人と組立工場が設立された。
 
 当初より皇族や華族、政治家に愛用されたキャデラックは、大戦前に乗用車の輸入が制限されてもアジア圏から接収される形で日本に持ち込まれた。
 
 第二次世界大戦後は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーの専用車であったことや、1950年には御料車として導入されたほか、その後も多くのスーパースターが愛車としたり、前述のように映画でアメリカの富の象徴として露出されたことから日本中にその名が知られるようになり、庶民の憧れの存在となった。

 こうしてキャデラックは世界中の高級車に大きな影響を与え続け、その名声も絶頂期を迎え、1973年には過去最高の販売台数を記録した。

 当時の技術的に特筆すべき話として、FF化が挙げられる。最上級クーペのエルドラードの1967年モデルでFFを採用し、最盛期の1970年には400psを誇る8.2リッターのV8エンジンを全長5.6m超、全幅2m超の車体に積んだほどだ。その後も安全性とパッケージングの効率化を念頭にフルラインFF化を進めた。

 ところが、1970年代前半に起こったオイルショックによりアメリカ市場でもダウンサイジングが求められるようになると、キャデラックもそれを余儀なくされる。
 
 以降、過剰な部品共通化や急速なダウンサイジングは、他のGM車との差別化の失敗を招いたほか、コストダウンと未熟な電子部品の採用は品質低化を招き、ブランドイメージは失墜。

 日本勢の台頭もあり、顧客の平均年齢の上昇により一時期には「オーナーの年齢は65歳以上死ぬまで」とか「見かけたら逃げるべし(年老いたドライバーにぶつけられるので)」と揶揄されるほどになってしまった。

 そうした状況を受けて、キャデラックはブランド再構築を図る。

「アート&サイエンス」と称する現代的なスタイリングの採用により若い世代への訴求を図るとともに、「シグマアーキテクチャ」と呼ぶ新開発のプラットフォームを採用し、ニュルブルクリンクで走りを鍛えた。

 ラインナップも整理し、「CTS」を皮切りに「STS」、「DTS」などアルファベットを組み合わせたものに順次変更したほか、高性能版のVモデルを投入した。さらには、ル・マン24時間レースをはじめモータースポーツにも積極的に参戦するなどした。

 こうした積極的なマーケティング戦略が功を奏し、キャデラックはアメリカ国内をはじめ多くの主要市場において人気を復活させることができた。とくに近年、高級車需要の伸長が著しい中国ではアメリカを上回るほどの勢いを見せている。

おすすめのニュース

サイトトップへ

(株)カービュー関連サービス

メールマガジン メールマガジン

愛車無料一括査定

あなたの愛車今いくら?

車の種類を選択
事故車 商用車
お住まいの郵便番号を入力
-
※郵便番号がわからない方はこちら

※(株)カービューのページへ移動します