「初めてゴルフのラウンドに連れて行ったとき、アイツ最初のホールのティーショットでいきなりピンに当てて、バーディー取ったんですよ。アイツは“持ってます”」
スーパーフォーミュラ第6戦もてぎ、自身初のポールポジションを獲得したのは、唯一スリックタイヤでQ3のアタックを敢行した大津弘樹(Red Bull MUGEN Team Goh)だった。いつも大津を傍らで見守るアドバイザーの伊沢拓也は、予選後にゴルフでの逸話を冗談めかして披露した。
スーパーフォーミュラで“サステナブルなモータースポーツ業界づくり”を目指す『SF NEXT 50』が始動
一方の大津自身もこれまでのキャリアを振り返り、自分は“持っている”と感じているそうだ。
「全日本F3選手権の1年目(2016年)を終えたとき、普通ならシートを失ってもおかしくなかったですけど、牧野(任祐)選手がヨーロッパに行くことになって、(2017年は)僕が戸田レーシングで乗ることができました。(2018年に)一度フォーミュラのシートを失ったときには、スーパーGTで道上(龍)さんのチームメイトになって。ちょうど道上さんがチームを立ち上げたところだったので、翌年はF3にも乗せてもらうことができたんです。それに今年スーパーフォーミュラにデビューできたこともですね。コロナ禍で外国人ドライバーが入国できないとなって、僕の名前が挙がったのは、去年の最終戦で(牧野の)代役としてSFに乗った経験があったからです。キャリアの随所でタイミングとか、巡り合わせとか、そういうものに恵まれてきたと思っています」
だが、その運や巡り合わせは、ただの偶然ではない。大津自身が、それを引き寄せるだけの努力をしてきたからだろう。子供時代は両親から充分な資金援助があり、全日本カートでも早々にタイトルを獲った。しかし、その後、実家の事業が立ちいかなくなり、高校3年間はスポーツ走行の費用、また鈴鹿のスクールの費用を稼ぐため、バイト漬けの日々。夢を諦めないために、自分にできることはすべてやってきた。
SFに上がってきても、その気持ちは同じ。今年は通常のトレーニングに加えてボクシングも取り入れ、マインドセットの仕方を学習。集中力も鍛えてきた。さらに第5戦もてぎが終わってからは、チームとのコミュニケーションをいままで以上に取るように努めた。母国語ではない日本語を習得して仕事を進めるライアン・ディングルエンジニアと直接話す機会を増やすため、ガレージにも度々足を運び、メカニックたちとも交流を深めた。
迎えた第6戦。予選Q2はまだ乾き切っていない滑る路面をスリックで走り始める。大津は「ピットに入りたい、レインタイヤに換えたい」と無線で訴える。だが、ディングルエンジニアからはハッキリと「ステイアウト」の声が聞こえた。その声に大津は腹を括り、そのままアタックに向かってQ2突破。Q3ではほかの7台がレインで走り始めるなか、大津はスリックを選択した。ここでのスリックスタートの可能性をサジェスチョンしたのは伊沢アドバイザー。彼は常に大津に対して、視野が広がる“気づき”を与えるような助言を投げかける存在だ。結果、アウトラップで「イケる」と感じた大津はポールポジションを獲得した。
決勝レースに向けては、「ズルズル抜かれていくだろうと思っていた」と大津。それほどに決勝前のウォームアップでグリップがなかった。そこでチームはグリッドで「若干ドライセット寄り」から「若干ウエットセット寄りに」セットアップを変更。大津はポールポジションのプレッシャーを味わうどころではなかった。逆にそれが緊張しなかった理由なのかもしれない。そして、いざスタートが切られると大津はグリップを取り戻し、トップを守っていた。スリックタイヤに換えてからも、「自分だけがウエット路面でのスリックの感覚を知っている」と不安はなかった。そこからは毎周変わり続ける路面のコンディションに集中しての走行。勝ち負けのことは頭になく、ただ無心だった。
そしてつかんだ優勝。本人は涙を見せることなく、「ただうれしい気持ちでいっぱいだった」が、周囲はドキドキ。これまで関わった多くの人たちが、大津の勝利を涙ながらに見守っていた。
※この記事は本誌『オートスポーツ』No.1563(2021年10月29日発売号)からの転載です。
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チャンピオン争いって意味では、微かな望みのあるドライバー全員ダメで、なんともつまらない終わり方になったけど。せめて野尻さんもポディウムに上がってたら良かったけど、凄い地味なレースだった。