スポーツバイクに最良なのは軽量コンパクトで高出力な2ストロークエンジン。そのヤマハの持論は、環境問題という時代の波に飲み込まれてしまうところだった。だったら、最後の2ストモデルを作ろう! 技術者たちの熱い想いがRZというヒーローを生み出した。
※この記事は月刊オートバイ2011年8月号別冊付録を加筆、修正、写真変更などの再編集を施しており、一部に当時の記述をそのまま生かしてある部分があります。
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ヤマハ「RZ250」誕生の歴史
RZが「2ストローク」を80年代に繋いだ
1973年10月。はるか中東の地で「第四次中東戦争」が勃発した。ペルシア湾岸の産油国は、すぐに原油価格の値上げを決定。第一次石油危機と呼ばれたこの頃、最終的に原油価格は約3倍にまでハネ上がり、世界中の景気に影響を及ぼすことになる。日本では「狂乱物価」という言葉まで生まれ、ワケもなくトイレットペーパーや洗剤の買い占め騒動が起こった、省エネやインフレという言葉が飛び交ったあの時代である。
この頃の日本車のメインマーケットであるアメリカで、オートバイの存在を揺るがしかねない事態も起こっていた。それが70年12月に改定された大気汚染防止のための法律の改正である。「マスキー法」と呼ばれたこの法改正案は、自動車やオートバイの排気ガスを規制するもので、実現不可能とまで言われたものだった。
「75年以降に製造する自動車に関して、一酸化炭素と炭化水素、窒素酸化物の排出量をそれまでの1/10以下とする」
この規制をクリアしないモデルに関しては、期限以降の販売を認めない――実際には、厳しすぎる規制値に自動車メーカーからの反発が激しく、マスキー法は実現することなく74年に廃案となってしまうが、それほどアメリカをはじめとして、大気汚染防止への意識が高まっていた時期だったのだ。エネルギー問題と大気汚染。まっさきにやり玉に挙げられたのが2ストエンジンだった。
高性能だけれど、ガソリンをオイルと混合してじゃんじゃん燃やし、白煙を撒き散らす――そんなイメージをもたれていた2ストエンジンにかわって、世界のメーカーは徐々に主力機種の4ストエンジンへの転換を図ろうとしていた。
ヤマハも4ストのTXやXSシリーズを開発し、それまでのアメリカ向け人気モデルであるRD400にモディファイを加えていたが、もはや空冷エンジンでは規制をクリアするために性能を落とすしかなかった。アメリカではRD400を水冷化するキットがアフターパーツメーカーから販売され、テストでは明らかな性能差を誇示していた。
本物の2ストを、2ストらしい胸のすくような走りをもう一度! ヤマハは「最後の2スト」開発へと立ち上がった。厳しい規制をすべてくぐりぬけて、ヤマハ2スト技術の集大成を見せよう。その思いこそが、紛れもなくRZ誕生への第一歩だった。
常識をフッ飛ばした白い衝撃、RZショック!
ロードレーサーTZ250譲りの水冷エンジンは排気ガス浄化のために徹底的に燃焼効率を見直され、CDI点火、燃料と2ストオイルの分離給油も採用し、その出力はリッター140PSに相当する35PS!
すでに下火になり始めていた2ストモデルに、再び存続の可能性を示した画期的なモデルだった。
レーシングマシンTZ譲りのモノクロスサスを採用したスタイルにチャンバー型マフラーやバックステップなど、RZはなるべくして大ヒットモデルとなった。絶滅寸前(というよりほぼ確定も同然)だった2ストロークエンジンを救っただけではなく、新たなマーケットまで作り出した。
当時の250ccといえば、ビギナーや街乗りオーナーが多いクラスだったが、そこに高性能な2ストモデルを投入したことで、一気に「スーパースポーツ」カテゴリーを作り上げてしまったのだ。結果的に後のレーサーレプリカブームも呼び込むことになる。
それまでの2スト250ccといえば、ヤマハRDやスズキRG。特にRGは、当時まだ珍しかった250cc専用設計の車体を持つスポーツバイクとして評価が高かったが、RZはハッキリ言って格が違った。
年間生産台数は国内向けに1万台と予定したヤマハだったが、予想をはるかに上回るRZ人気に生産・サービス部門の人員を倍増させて増産。急遽、アンダーカウル付きのYSP仕様を追加生産したが、納車の半年待ちは珍しくなく、最大11カ月、といった証言もあった。
ヤマハ「RZ250」試乗インプレ
試乗した車両は、まさしく当時の姿を忠実に再現したノーマルのRZ。重さをまるで感じないキックアームを踏み降ろすと、ポロポロポロポロという、なつかしのRZサウンド。
スロットルをあおると、一瞬のタメの直後、グワァン、とタコメーターの針がハネ上がる。白煙は、記憶していたよりずっと少ない。
4000回転あたりまでパワーがついてこないけれど、そこを越えると一瞬でカラダが後ろに持っていかれるような瞬発力が突然やってくる。
7000回転からは、もう一段スゴいパワー。これが2段ロケット、これがRZの加速! 現代の目で見たって十分パワフルで、衝撃的。
もちろん、タイヤ性能や車体剛性という点では1980年のオートバイだから不満は多々あるけれど、ハンドリングは軽快で不安がないニュートラルなもので、今も昔も、実にヤマハらしい。重さを感じさせない、とても乗りやすい操縦性であった。
ヤマハ「RZ250」主なスペックと発売当時の価格
●エンジン形式:水冷2ストローク・ピストンリードバルブ並列2気筒
●内径×行程(総排気量):54.0×54.0mm(247cc)
●最高出力:35PS/8500rpm
●最大トルク:3.0kg-m/8000rpm
●ミッション:5速リターン
●ブレーキ形式前・後:ディスク・ドラム
●全長×全幅×全高:2080×740×1085mm
●タイヤ前・後:3.00-18・3.50-18
●燃料タンク容量:16L
●ホイールベース:1355mm
●乾燥重量:139kg
●発売当時価格:35万4000円
ヤマハ「RZ250」各部装備・ディテール解説
ヤマハ「RZ250」貴重なイメージスケッチ
文:中村浩史/写真:長野浩之
※この記事は月刊オートバイ2011年8月号別冊付録を加筆、修正、写真変更などの再編集を施しており、一部に当時の記述をそのまま生かしてある部分があります。
[ アルバム : ヤマハ「RZ250」 はオリジナルサイトでご覧ください ]
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みんなのコメント
いやいや、あの頃が絶頂期の前触れだったんじゃないか?
初代RZ250がデビューしたことで、後の350だったり
ガンマ250のアルミフレームが市販車に採用されたりと
ある意味RZは2ストブームに火をつけた
と個人的には感じてる
↑
2スト250·スーパースポーツの直接の原点となった。