アルメニア/リトアニア出身のアーティストで作曲家のアンドリウス・アルチュニアンの日本で初個展「Obol」が、東京・銀座の銀座メゾンエルメス ル・フォーラムにて開催中だ。「冥界のクラブ」をコンセプトとした展示について、アルチュニアンとゲスト・キュレーターの岩田智哉に尋ねた。
アルメニア/リトアニア出身のアーティストで作曲家でもあるアンドリウス・アルチュニアン。彼の日本で初となる個展「Obol」が、東京・銀座の銀座メゾンエルメス ル・フォーラムで開催されている。
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アルチュニアンは、これまでに第59回ヴェネチア・ビエンナーレにおいてアルメニア・パビリオン代表を務めたほか、第14回上海ビエンナーレ、第15回光州ビエンナーレ、第17回リヨン・ビエンナーレに参加するなど、国際的な舞台で精力的な活動を展開。本展においては、2年にわたる展示構想を経て、日本に滞在しながら制作を行った。来日後、期せずして日本の環境に影響を受け、たった1ヶ月の制作期間のなかで作品の構想をまるっと変えたという。
The 5th Floorディレクターで本展のゲスト・キュレーターを務める岩田智哉同席のもと、日本から受けたインスピレーションや制作プロセスについて話を訊いた。
音が導くあの世への入口
──今回が日本で初めての個展開催となりました。展示ではサウンド、インスタレーション、彫刻などマルチメディアを扱っていますが、キャリアのスタートはどこにありましたか?
アンドリウス・アルチュニアン(以下、アルチュニアン):作曲家としての活動が出発点にあります。大学で音楽を学んだのち、現代アートにも興味をもち、今まで彫刻やインスタレーション、映像、パフォーマンスなどマルチメディアで作品を発表してきました。でもそれらに通底するのは「音」です。リサーチをする際も、常に音楽的な視点をもっています。その過程で、異なるコンテクストやコンセプトと接続した時に、物語的で歴史性のある作品が立ち上がるのです。音を意識しながらものごとを見ることが楽しく、構想の初期段階からどんどんと想像が広がっていく過程が面白いんです。
──本展のコンセプトは「冥界にあるクラブ」だそうですね。現実世界でもクラブという場所は、行く人/行かない人が大きく分かれる特殊な場所だと思います。どうして冥界、そしてそのなかでもクラブを描きたかったのでしょうか?
アルチュニアン:「クラブ」という空間を、あらゆる意味での政治やともに存在するための規範を超える、超越的な場として捉えています。日中、社会を縛っている特定のルールが、クラブという空間の中では崩れ、そこには別のルールやコードが現れます。だからこそ、クラブカルチャーはとても生き生きとしていますし、多様なライフスタイルに受け入れられる空間でもあります。歴史的にも、クラブはクィア文化や、異なる政治的出自をもつ文化に結びつく場所でした。そのため、冥界を一種のアンダーグラウンドなクラブとして想像することで、このダイナミクスを遊び心をもって表現すると同時に、クラブの美学を取り入れられたとも思います。でも、現実世界と大きく異なる点は、もうここにいない人々のためのクラブとして存在することです。だからこそ、いくつかの作品はその美学に応える形になっています。例えばクラブの入り口で、中に入る直前に低音だけ聴こえる、あの感覚を大事にしました。作品では、「変容をもたらす空間にこれから入る」という感覚を再現したかったので、実際に高い周波数をすべてカットし、低い周波数だけが聴こえるようにしています。
──個人的にクラブという場所に親しみがあるのでしょうか?
アルチュニアン:もちろん、行ったことはあります。ただ作家として信じているのは、芸術は特定のコミュニティに属することを超越することができるということです。アーティストはある分野に入っていき、観察し、そして異なる分野からさまざまな要素を借りることができます。たとえ冥界を訪れたことがなくても、これまで様々な文化圏の人々が想像してきた冥界から、自分なりの冥界を導き出すことができるのです。もちろん、個人的にクラブを体験したことも、今回の展示を考える上では重要でした。しかし、作家としては、周囲の世界をさまざまな視点で観察することが重要です。特定のクラブや文化について語っているわけではなく、むしろ異なる要素を融合させるような、特定のシンクレティック(混成的)な想像力の話として取り扱っています。
ビチューメンとの邂逅
──本展の構想は2年前から始まり、実際の滞在制作は山梨のスタジオで1ヶ月間だと伺いました。どのようなプロセスで開催までに至りましたか?
アルチュニアン:「1ヶ月の制作期間」と聞くと短いように聞こえるかもしれませんが、自分にとっては通常どおりでした。というのも、これまでも制作のほとんどの時間をリサーチや準備、コンセプト作りや構想のマッピングに費やし、実際に形にしていくのは集中して短期間で行う、というやり方を取っているからです。
──日本にきてからプランが変わったところなどはありますか?
アルチュニアン:実を言うと……計画のすべてが変わってしまいました。それは全くネガティブな意味ではなく、素晴らしいことです。自分にとって、現地で制作することは重要なことです。その土地からの制約や可能性、そしてさまざまな示唆に影響を受けながら制作することは、精神的にも物質的にも非常に大切な時間です。いま振り返ると、ほとんどの作品は、日本に来る前に想像していたものとは全く違う仕上がりになっています。
──隣で見ていた岩田さん視点では、どのような変化がありましたか?
岩田智哉(以下、岩田):アンドリウスが制作をしていた山梨のスタジオに週に何日かは通うようにしていましたが、みるみるうちに変化していくのを目の当たりにしました。なかでも特に彼に刺激を与えたのが、ビチューメン(瀝青:れきせい)です。この素材との対話のなかで、もともと考えていたイメージが変わっていく、展覧会を塑像していくような感覚でした。それが短期間のうちに詰め込んだ結果というよりも、本当に素材と対話して無理なく、こうなるべきだったと言えるような形に収斂したと思います。
──おっしゃる通り、ビチューメンも本展の核のひとつです。どのようなコンセプトでこの素材を使っているのでしょうか?
アルチュニアン:以前から、ビチューメンについて関心がありました。古くから地中に存在するものとして私たちの生活にも使われてきた素材です。たとえば、エジプトのピラミッドでも重宝されたそうです。実用的でありながら神秘的でもあるという二面性に惹かれました。そこからインスピレーションを得て、神聖なものから俗なるものへ、また俗なるものから神聖なものへと、絶えず移り変わるという概念的な方向性も本展に込めています。催眠を誘発するような、あるいはトランス状態へ誘うような方法で展示を構成しているといいますか。
たとえば(ビチューメンを纏った)ザクロも往来を表しています。ザクロは、豊穣の象徴でありながら、その果汁が血のように見えることから死の象徴でもあります。この血のような果汁が、神聖な世界と俗世界の間を行き来するために必要だったんです。
──来日してから、新潟に足を運んで初めてビチューメンを見たそうですね。
アルチュニアン:新潟の胎内市美術館という天然の原油が湧出し、それについての展示を行っている場所にいきました。知識としては知っていましたが、実際にビチューメンが地下から地中に上がってくる際に、泡がぶくぶくと立ち、その音が冥界の神のささやきのように聴こえました。まるで未来の予言をしているかのような、なにか地下に眠っているモンスターが私たちに喋りかけているような音にも聴こえて不思議な体験でした。それは、展示全体の比喩のようにもなりました。決して安定せず、一日を通して、時間の経過とともに形を変え続けるのです。
──岩田さんは隣で同行していて、どのように感じましたか?
岩田:僕はアンドリウスを通して初めてビチューメンを知りました。過去に彼が作品として扱っていたのも知っていたし、今回の展示のプロポーザルをもらった時からリサーチはしていましたが、身体感覚としてどのような素材なのか分かっていませんでした。新潟で目にした時、アンドリウスが話したように、井戸のようなところに籠を落として引き上げてくるんですね。その音も、匂いも独特で、色も真っ黒だと想像していましたが、意外と透明感がありました。人工的なものではなく、自然物なんだなと感じられて、知識とのギャップが新鮮でした。アンドリウスのイマジネーションが喚起されるのを近くで共有できた貴重な体験になりました。
虚像としてみる広告看板
──ビチューメンを用いた作品とは異なりますが、鏡面で様々な言語が流れる電光掲示板を使った作品についても教えてください。
アルチュニアン:冥界における広告看板として機能しています。というのも、この冥界のストーリーは単なるイマジネーションではなく、私たち人間がもつ欲望、政治性、環境、儀式が反映されているものとして展示しています。冥界も現実世界と変わらず、資本主義のシステムをもった場所でもあるのです。まるで地下世界の王国がその臣下たちに、規則や原則を告げているかのような作品になります。流れている音も、アルメニアの古代の呪文や唱え言葉に基づいています。それは、アルメニアのフェルト職人たちによってつくられたスラングに由来しているんです。
歴史的にフェルト産業は非常に汚れた職業と考えられてきました。そのため、彼らは社会の中で、まさにアンダーグラウンドのような位置に置かれ、泥棒や売春婦、音楽家とともに暮らしていました。そうした背景のなかで、秘密を守るための独自言語としてスラングが誕生したのです。その言語の中には、英語でいう「アポトロパイック魔術(悪を避ける魔法)」の呪文も含まれていて、この作品でも取り入れています。でも現実的に、この言語を話す人はもう存在しておらず、当時の正しい発音については誰も知ることができません。そこで、今回はスタジオで4人の歌手とともに、丸1日で即興演奏を行い、呪文のように聞こえるかを探求しました。最終的にはそのサンプルをもとに、1000個以上のサンプルを作り、レーザー投影の映像に伴うサウンドを完成させました。
──いま気になるインスピレーションはありますか?
アルチュニアン:直近の出来事だと、胎内市美術館で見た漫画ですね。正確にストーリーを覚えているわけではないのですが、プリンセスが暮らす村が何者かに襲撃され、彼女は川にビチューメンを流して火をつけて反撃したという話で、とても印象的に感じました。この漫画に限らず、常に神話や儀式には惹かれます。というのも、現代的なイマジネーションの世界で、どのように再解釈されるかに興味があるからです。
例えば、今回展示しているネオン作品「ゲリュオンとヘラクレス」。これはヘラクレスの神話に基づいた作品です。神話では、ヘラクレスはある島に行き、ゲリュオンという人物を殺して羊を奪うストーリーになっています。しかし、現代の作家であるアメリカの詩人アン・カーソンは、著書『Autobiography of Red』のなかで、ゲリュオンとヘラクレスを時間を飛び越えるゲイの恋人として描いています。ある時は1932年のブエノスアイレスでコーヒーを飲み、別の時はポンペイの火山が噴火する場面に戻り、また紀元前3世紀の中国にいたりします。
私はこの物語にとてもインスパイアされました。なので、自分も神話や物語の世界で時間を跳躍させる方法へのオマージュとしてネオン作品を作りました。東京で再制作したのですが、理由としては、日本の公共空間においてネオンは長い歴史があるものです。それを屋内に取り入れて、さらにこの古代ギリシャ神話を現代詩の視点で再解釈し繋ぎ合わせる。そうやって単に歴史に押し込めるのではなく、現代の私たちにとって意味のあるものとして語り直すことに面白みを感じるからです。
アンドリウス・アルチュニアン/Andrius Arutiunian1991年、アルメニア/リトアニア生まれ。「聴く」ことのハイブリッドな形式、ヴァナキュラーな知識、そして現代的な宇宙論を扱うアーティストで作曲家。アルチュニアンのリサーチはしばしば、時間性、共鳴、そしてオルタナティヴな世界の秩序を実験的に探究する。催眠的かつ謎めいた形式に関する遊び心に溢れた思索を通して、アルチュニアンのインスタレーション、映像およびパフォーマンス作品は、音楽的および政治的な調和という概念に挑戦する。
ゲスト・キュレーター岩田智哉/Tomoya Iwata 1995年、愛知県生まれ。キュレーター。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科修了。アジア各地のオルタナティヴ・スペースを訪れ、それぞれのローカルのアートシーンにおけるオルタナティヴとインステテューションのダイナミズムについてのリサーチを行う。また自身もそのようなスペースを運営する実践者として、展覧会に限らない広義のキュラトリアル実践を通して、既存のシステムに対するオルタナティヴの可能性を模索する。2022年4月より、キュラトリアル・スペースThe 5th Floorのディレクターを務める。主な展覧会に、「さかむきの砂」(kudanhouse、東京、2025年)、「ANNUAL BRAKE」シリーズ(The 5th Floor、東京、2024年/2023年/2022年)、「between / of」(The 5th Floor、東京、2022年)。
「Obol」アンドリウス・アルチュニアン会期:2026年2月20日(金)~2026年5月31 日(日)
開館時間:11:00~19:00(入場は18:30まで)
※ギャラリーは基本、銀座店の営業に準じています。
ただし、開館日と開館時間についての最新の情報はホームページをご確認ください。
入場料:無料
休館日:水曜日
会場:銀座メゾンエルメス ル・フォーラム 8・9階(中央区銀座5-4-1 TEL 03-3569-3300)
主催:エルメス財団
協力:モンドリアン基金、東京日仏学院、リトアニア・カルチャー・カウンシル
関連展覧会「Deep in the Sway」アンドリウス・アルチュニアン、アヌラック・タンニャパリット、AFSAR (Asian FeministStudio for Art and Reserch)、プラジャクタ・ポトニス
会期:2026年2月21日(土)~ 5月10日(日)
会場:The 5th Floor(東京都台東区池之端3-3-9 花園アレイ5F)
キュレーター:岩田智哉
詳細はThe 5th Floor のウェブサイトでご確認ください。
写真・高橋マナミ
文・倉田佳子
編集・遠藤加奈(GQ)
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