■居住性よりスタイリング命の3ドアハッチバック・クーペ
1980年代後半から1990年代初頭のバブル景気全盛期は、現在と人気車種が大きく異なっていました。
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当時はセダンやクーペが人気で、いまよりも豊富な車種から選ぶことができ、とくにクーペはデートやスポーツドライビングに最適とあって、若者から絶大な支持を得ます。
そこで、現在は極端に数を減らしてしまった、懐かしの3ドアハッチバック・クーペを5車種ピックアップして紹介します。
●トヨタ「セラ」
バブル期の景気の良さを具現化したようなスポーツクーペが、1990年にデビューしたトヨタ「セラ」です。
エンジンやシャシは、当時販売されていたコンパクトカー「スターレット」が流用され、全長3860mm×全幅1650mm×全高1265mmのコンパクトなクーペでしたが、最大の特徴はガルウイングドア(バタフライドアとも呼ばれる)を採用していることです。
滑らかな「昆虫」のようなスタイリングに、大きなガラス面を持つガルウィングの組み合わせは、30年経ったいまでも斬新かつスタイリッシュです。
ただし、当時のガラスはUVカットやIRカット機能などが貧弱で、夏場はエアコン全開でも暑く、また外から見え過ぎる、ガルウィングドアが開閉しにくいなどと、デートカーとして評価が低かったことから、販売が低迷。
価格は160万円(消費税含まず、5速MT)からとかなり安価に設定されましたが、1995年に生産を終了するまでの販売台数は国内向けで1万5000台程度にとどまりました。
●日産「NXクーペ」
日産「NXクーペ」は、B13型7代目「サニー」をベースにクーペタイプのモデルとして、1990年に発売。
先代サニーのクーペ版だった「RZ-1」の鋭角なイメージから一転して丸みをおびたデザインはカジュアルなイメージで、北米市場の「ちょっとおしゃれで、知的で流行に敏感な」女性をターゲットに開発されました。
デザインは、カリフォルニアのNDI(日産デザインインターナショナル)が手がけ、北米で人気だった「300ZX(Z32型フェアレディZ)」のモチーフも織り込まれており、左右のルーフを脱着できる「Tバールーフ」仕様も300ZXと同様に設定されていました。
ボディサイズは全長4140mm×全幅1680mm×全高1310mmとコンパクトで、エンジンは1.5リッター、1.6リッター、1.8リッターの、いずれも直列4気筒DOHCを搭載。トランスミッションは、4速ATと5速MTが用意されていました。
TVCMに当時としては斬新な「モーフィング」と呼ばれるコンピューターグラフィックスを利用して、話題となりました。
日本ではクーペのスポーツ志向が高まってきた関係で、「シルビア」や「180SX」の影に隠れてしまい販売は苦戦して、発売からわずか4年後に生産を終了しました。
●ホンダ「CR-X」
1983年に、シビックが第3世代で大きく様変わりするよりも少し前にデビューしたのが「バラードスポーツ CR-X」です。
シャシはシビックと共用され、全長3675mm×全幅1625mm×全高1290mmと、非常にコンパクトなボディで、車重はわずか800kg(1.5i)という軽量さを誇り、格上のスポーティカーと同等以上の走行性能を持ち、2+2の実質2人乗りながら若者を中心に大人気モデルとなりました。
1984年には1.6リッター直列4気筒エンジンを搭載した「Si」が登場し、1987年に発売された2代目は、低回転域と高回転域での高出力を両立した「VTEC」エンジンを搭載。1.6リッターの自然吸気エンジンでトップの160馬力を発揮しました。
2代目のボディサイズは全長3755mm×全幅1695mm×全高1255mmと十分にコンパクトなボディに、強力なエンジンを搭載することで高い走行性能を実現し、こちらも人気を集めていました。
しかし、1992年に登場した3代目の「CR-X デルソル」は、2シーターのオープンモデルへと方向転換。この方向転換がユーザーに受け入れられず、1998年をもって生産を終了し、CR-Xは消滅しました。
■クーペから撤退して、もはや幻となったモデルとは!?
●三菱「エクリプス」
現在ではSUVを中心に販売している三菱ですが、かつてはスタイリッシュなクーペを数多く輩出していました。
特に北米ではクーペの需要が日本以上に高かったので、1989年に北米専用モデルとして発売したのが「エクリプス」です。
エクリプスはアメリカの工場で生産されていましたが、1990年に日本に左ハンドルのまま輸入して販売しました。
ボディサイズは全長4395mm×全幅1690mm×先行1320mmと、アメリカ製としては非常にコンパクトで、曲面を多用した流麗でスタイリッシュなフォルムが特徴でした。
基本的なコンポーネンツは、当時の「ギャラン」で使用されたエンジンやシャシを流用しており、ハイパワーなモデルでは、十分にスポーツカーといえる走りを披露します。
1994年に2代目へと進化し、コンバーチブルモデルも導入されましたが、バブル崩壊後ということもあり販売は低迷したため、この代で一旦販売を終了。
2004年に左ハンドルのオープンモデル「エクリプス スパイダー」が販売されましたが、もはや2ドア車の市場は縮小しており、2006年で完全に販売を終了してしまいました。
●いすゞ「ピアッツァ」
現在はトラックなど商用車メーカーとなっているいすゞですが、かつては自社開発の乗用車を数多く販売していました。
その代表的なモデルとして、いまでも一部に熱狂的なファンを持つモデルが「ピアッツァ」があります。
1981年まで生産された、日本を代表する名車「117クーペ」の後継モデルとして1981年に登場したピアッツァは、117クーペと同じく巨匠ジウジアーロによるデザインの美しいクーペです。
通常はコンセプトカーと市販車ではデザインが大きく変わりますが、ピアッツァはジウジアーロがデザインしたコンセプトカーを、ほぼそのまま市販化したことで大いに話題となりました。
ボディサイズは全長4385mm×全幅1675mm×全高1300mmの5ナンバーサイズに収まり、主要なコンポーネンツは、当時のいすゞの主力だった「ジェミニ」と共用。
1980年代に始まった国産メーカーのパワー競争に応えるべく、デビュー当時の135馬力から1984年のマイナーチェンジでは、クラス最強の180馬力を誇る2リッターターボエンジンを搭載しました。
また、1985年にはドイツのチューナー「イルムシャー」の手によってチューニングされた「ピアッツァ イルムシャー」を発売。
さらに、1988年には、同じGMグループのロータスによりチューニングされた「ピアッツァ ハンドリングbyロータス」を発売することで、高い人気を誇りました。
しかし、基本設計の古さは否めず、他メーカーが新型モデルを登場させるなか、1994年にFFの2代目ピアッツァを発売しますが、販売は低迷。
1994年にピアッツァの生産を終了してSUVの販売に注力しますが、2002年にはいすゞが乗用車生産から撤退してしまいました。
※ ※ ※
日本ではクーペというと趣味的な要素が強く、わずかなラインナップから選ぶしかありません。
一方で海外メーカーは、まだまだクーペをたくさんラインナップしていますが、高価なモデルばかりです。
かつてのようなエントリーモデルは海外でも少なくなり、若者でも手が届くモデルは、ほとんどないのが現状です。この状況は残念ながら好転することはないでしょう。
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