モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1987年の全日本ツーリングカー選手権を戦った『レイトンハウス・スカイライン』です。
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北野元。1960~1970年代のモータースポーツを見ていたファンなら、知らぬ者はいない名ドライバーのひとりだ。
北野はホンダワークスから世界グランプリに出場するなど、2輪ライダーとして名を馳せたのち、4輪レースへと転向。1968年にはニッサンR381を駆り、同年の日本グランプリを制している。
また“ハコスカ”GT-Rで幾多の優勝を挙げ、マツダ・サバンナRX-3勢と激闘を繰り広げるなど、常にニッサンワークスドライバーたちのエースとして活躍を続ける。その後、北野は富士グランチャンピオン(GC)シリーズに参戦し、1978年を最後にドライバーとしての一線を退いた。
しかし、それから約10年後の1987年。再び北野がドライバーとして当時のハコの最高峰、全日本ツーリングカー選手権(JTC)へとエントリーした。
その現役復帰で北野がドライブしたのが、DR30型ニッサン・スカイラインRSターボをベースとした今回紹介する『レイトンハウス・スカイライン』である。
このレイトンハウス・スカイラインは、“日本一速い男”星野一義が率いるホシノレーシングが走らせた一台だった。星野は、グループAレースであるJTCでホシノレーシングがスカイラインを走らせるにあたって“愛する先輩”である北野に搭乗を依頼。日産もそれを了承したことで、1978年以来の“現役復帰”が実現したのだ。
北野は、1984年にジャパンスーパースポーツセダンレース(JSS)を戦っていたこともあるものの、トップカテゴリーへの復帰は前述のとおり1978年以来と9年ぶりの出来事だった。
星野の願いで叶った北野のスカイライン搭乗の一方、星野は国内F3000シリーズ、富士GC、グループCカーで争われた全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権など、多様なカテゴリーを戦っていたため、JTCへの参戦は叶わず。北野のパートナーは、レイトンハウスのサポートドライバーだった当時の若手、影山正彦が務めることとなる。
北野と影山がドライブしたレイトンハウス・スカイラインは、1987年の第2戦であった西仙台ハイランドから最終戦となった鈴鹿サーキットラウンドまでの全5戦を戦った。しかしながら、マシントラブルなども多く、目立った成績は残せないままシーズンを終えることになってしまう。
その後、北野がJTCで勝利を挙げるのは1989年のこと。星野とのコンビが叶ったその年まで待つことになるのであった。
[オートスポーツweb 2026年07月08日]
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