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ホンダF1の「怖~いハナシ」創成期の不幸な事故と黄金期の黒星にまつわる「奇妙な縁」

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ホンダF1の「怖~いハナシ」創成期の不幸な事故と黄金期の黒星にまつわる「奇妙な縁」

ホンダの無敗神話を阻止した因縁のドライバーとは

 中高年であれば、1987~1994年に日本中を席巻した「F1ブーム」を覚えている人も多いでしょう。当時の日本は空前のバブル景気で活況を呈していたほか、日本車が技術的にも販売的にも頂点に達した時期でもあり、それらの影響によって自動車にそれほど関心を持たない層までF1を話題とするようになっていました。

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 加えてこのムーブメントの立役者的存在だったのが、「音速の貴公子」の異名が付けられたアイルトン・セナと、彼が駆るホンダエンジン搭載マシンの活躍でした。なかでもインパクトが大きかったのが1988年のF1世界選手権です。この年のセナはアラン・プロストをチームメイトにマクラーレン・ホンダで戦い、チームは16戦中15勝という圧倒的な強さを見せつけています。ゆえに、その頃のF1の話題と言えば、どこが勝つかではなく、マクラーレン・ホンダが全戦全勝を達成できるか否かが中心で、それは第11戦ベルギーGPの終了まで確実視されていました。

 ところが、第12戦イタリアGPでマクラーレンは予想外の事態に見舞われます。予選からレースをリードしていたセナとプロストでしたが、決勝レースでは35周目にプロストが想定外のトラブルでリタイア。ひとり残ったセナも2周を残したところで、こともあろうに周回遅れのマシンの追い越す際に接触事故を起こしてリタイア。優勝したのはフェラーリのゲルハルト・ベルガーでした。

 この結末にフェラーリのファンは「レース1か月前に亡くなったエンツィオの魂が奇跡を起こした!」と歓喜します。それは日本でテレビ放送を見ていた若いファンも同様でした。ただ、これはあまりにも理不尽な結果に自分をそう納得させるしかなかったという側面もあったようです。

始まりは本田宗一郎と中村良夫の対立から?

 しかし、F1ブーム以前からのファンは、セナが接触事故を起こした相手のドライバーの名を知ると、別の「目に見えない何かの力」を感じて戦慄したとか。

 その男の名はジャン・ルイ・シュレッサー。彼の長いレースキャリアの中でもF1で戦ったのは、ウィリアム・ジャッドからスポット参戦したこのレースだけです。そして、彼の叔父のジョー・シュレッサーは、ちょうど20年前のフランスGPでホンダRA302をドライブし、2周を過ぎたところでコントロールを失って事故死したレーシングドライバーでした。

 シュレッサーとは何者なのか、RA302の事故とはどんなものだったのかを語るには、時計の針を1960年代のホンダ第1期F1参戦まで戻さなければなりません。

 1960年代、二輪メーカーとしてマン島TTレースを制したホンダは、1963年に創業者である本田宗一郎の宿願であった自動車生産へと進出。それとともに、ホンダはモータースポーツの世界最高峰、F1への参戦を発表しました。ただ、そこには元航空技術者の中村良夫が入社したことが大きく影響しています。彼は東京帝国大学(現在の東京大学)航空学科の出身で、そこを1942年9月に卒業すると、第二次世界大戦中は「富嶽」や「火龍」などといった軍用機の開発を担当した逸材です。

 1958年にホンダの一員となりましたが、その際に本田宗一郎は中村良夫に対し、自動車産業への参入とF1参戦を早くも打ち明けています。

 ふたりは戦前からのモータースポーツ好きという点こそ一緒だったものの、その出自は大きく異なりました。かたや町工場からホンダを一代で大企業へと成長させた叩き上げの技術者、もう一方は理論派の航空畑出身のエリート技術者です。

 当然、技術へのアプローチも考え方も異なっており、本田宗一郎が天性の直感から課題に挑み、世間をアッと言わせる斬新な技術で解決を図ることを好んだのに対し、中村良夫はインテリジェンスとマネジメントを重視し、合理的かつ効率的な方法で問題解決を図るという違いがありました。

念願のF1初優勝を果たすも暗雲が…

 そのため、ふたりとも人命を最重要視する姿勢こそ変わりなかったものの、レースに対する姿勢はまったく違い、本田宗一郎にとってはレースというのは身体を張った命懸けの戦いと考えていたのに対し、中村良夫はレースというのはライバルより速ければ勝つことができるため、リスクを回避して安定した高性能を発揮するマシンを生み出すことこそが勝利への最短ルートだと考えていました。ゆえに中村良夫は、「スポーツマンシップを大事にしたい」と常々関係者に語っていたほどでした。

 まさしく、「水と油」状態の本田宗一郎と中村良夫は、ときに激しい意見の対立を見せながらも、共通の夢であるF1に参戦します。そして優勝という目標から、一致協力してマシンの開発に邁進しました。その結果、試作車RA270を経て開発されたRA271で1964年に参戦すると、続く1965年は中村が施した入念な高地向けセッティングが功を奏して最終戦のメキシコGPで初優勝を飾ります。ただし、その後の1966年と1967年のシーズンは、新たなマシンRA273の成績が振るわず、優勝を果たすことなく終わっています。

 なぜRA273は好成績を残すことができなかったのでしょうか。それは、RA273が完璧主義者であった本田宗一郎の意向を汲んだマシンであったからだとか。RA273は、パワーに優れる代わりに耐久性を重視したことで重量が過大となり、レギュレーション上の最低重量を200kg以上も超過していました。このことが、戦績が振るわなかった理由と目されていますが、ゆえに中村良夫は本田宗一郎に対する不信感を募らせていったと伝えられています。

 しかし、転機は1968年に訪れます。市販車の本格的開発に先立ち、レース予算が縮小された結果、イギリスに中村良夫をリーダーとするホンダ ・レーシングチームのガレージが設けられ、日本にあるホンダの研究所から独立して活動することができるようになりました。

 こうして、裁量権を与えられたことで、中村良夫はようやく自身の理想とする軽量マシンの開発に着手することが可能となります。しかし、同時に日本の本田宗一郎とイギリスの中村良夫といった体で、物理的な距離が大きくなったことにより、ふたりの気持ちも徐々に離れ離れになっていったのです。

 そして、このことが1968年のフランスGPにおける悲劇へとつながるのでした。次回は、その悲劇について振り返ってみようと思います。

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みんなのコメント

3件
  • m16********
    本田社長の空冷エンジン命令がなければ前年から熟成された水冷エンジンで数勝は出来たはず。
    そして無駄な死もなかった・・・
  • ow6********
    またこのネタ?
※コメントは個人の見解であり、記事提供社と関係はありません。

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