スーパーGTを戦うJAF-GT車両見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回は2011年F1カナダGP。同日開催されたル・マン24時間の取材に向かい、テレビを通してカナダGPを観戦したコリンズでしたが、2時間を超える赤旗中断、そして最終周の逆転劇を目にし、現地に行かなくとも記憶に残ったレースだったと振り返ります。
初NASCARで驚いたアメリカ流の取材法。記憶に残る“F1は妥協したバレエ”のたとえ【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】
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私はカナダGPへ行ったことがない。上空を飛んだことはあるが、カナダの街を訪れたことはないのだ。それでも2011年のF1カナダGPは、私にとって非常に印象的なレースとなっている。
モントリオールで開催されるグランプリに行ったことがない理由は、毎年のようにル・マン24時間と日程がぶつかっているからだ。フランスにあるサルト・サーキットでプレスルームのスクリーンを通して何度もカナダGPを見たことはあるが……。2011年のル・マン24時間は15時で終了し、カナダGPの決勝レースが始まるまでに随分と時間が空いていた。
レース後、一緒にイギリスに戻るほかのジャーナリストやカメラマンたちと、車で帰る道中、私たちはル・マン 24時間の週末を振り返っていた。
2011年のル・マン24時間はアウディとプジョーの一騎打ちで、全体を通して激しい戦いが繰り広げられ、最終的にアウディが勝利を飾った。序盤に発生したアラン・マクニッシュ(アウディR18 TDI)の大クラッシュを目にしたことや、そのときに規則違反をしたカメラマン数人について、そして6周しか走れなかったアストンマーティンのLMP1マシン『アストンマーチンAMR-One』のひどさについても議論した。
私たちイギリスの取材陣はここ数年、帰りの道中にフランス北部の街ルーアン近くにあるホテルで1泊する。古いルーアン・レゼサール・サーキットについて調べていたときに、非常に便利で安いホテルを見つけたのだ。
このサーキットは1950年代から1960年代にF1フランスGPを6回開催しており、1997年に廃止されるまで国内レースの開催を継続していた。現在はコースの大半が公道になっているが、幽霊が出そうな、森を抜けるセクションの一部が残されている。
私は毎年のル・マン24時間出張の締めくくりとして、このコースを1周走るのが恒例だった。2011年は非常に疲れており、そのうえ空腹だったので、やめようとも思ったが、結局やることにした。そうして無事ホテルに着いてチェックインを済ませると、私たちは食事をしながらカナダGPを見るためにすぐにレストランに向かった。
そのときは私たちが唯一の客で、それぞれステーキとチップス、そして待ちかねていた大ジョッキの濃いビールを注文した。
食事が用意される間に、私はF1カナダGPの終盤の数周か、少なくともハイライト映像を見られるようにするために、ノートPCを取りに部屋に戻った。席に戻り、インターネットに接続し、生放送の動画(当時はイギリスのBBCだったと思う)にアクセスした瞬間、目にしたものに全員が混乱した。
そこには“赤旗”とだけ出ており、ずぶ濡れのサーキットに雨が降る画面が映っていた。仲間のひとりが「少し雨が降ったんだろう。そのうちハイライトの大部分が放送されるよ」と言う。
料理が出てきて、ひどい睡眠不足で疲弊していた私たちの脳に栄養が供給されていくが何か様子がおかしい。そのとき初めて私たちがみている映像がハイライトではないことに気がついた。ノートPCに映り出されたのは生放送だったのだ!私たちは70周のレースのうち26周を見逃しただけだった。レースがまだ続いていることを知った私たちはすぐに食事を済ませた。
レストランが閉まるというので、ウェイターにそれぞれ2杯ずつ大ジョッキのビールを追加で注文し、全員で私の部屋に向かった。
■1990年代を彷彿とさせるシューマッハーの“最後の姿”
レースはセーフティカー先導で始まり、セーフティカーは4周目に解除。7周目、ルイス・ハミルトン(マクラーレン)がチームメイトであり2009年のF1世界王者のジェンソン・バトン(マクラーレン)と接触してリタイアしたことが分かった。その後バトンはセーフティカー中のスピード違反でドライブスルーペナルティを受け15位までポジションを下げていた。
私たちはフランスのテレビでもレースが放送されていることを知り、ホテルの部屋の大きなスクリーンでレース見ることができた。私たちはビールを抱えてレースが再開するのを待つ。セバスチャン・ベッテル(レッドブル)がセーフティカーの後ろで首位にいて、2位に小林可夢偉(ザウバー)、3位にフェリペ・マッサ(フェラーリ)が続いている。
カナダGPもベッテルのレースのように見えた。ベッテルは2011年シーズンそれまでの6戦、第3戦中国GPを除く5戦で優勝しており、中国GPでは2位でフィニッシュしていた。2011年シーズンのベッテルは無敵に見えた。
だが、私は仕事仲間たちにミハエル・シューマッハー(メルセデス)はもっと調子を出せると思うと話した。このようなウエットコンディションはシューマッハーが得意としており、おそらくメルセデスMGP W02の力不足を相殺することになるだろうと。
正直なところ私はシューマッハーが勝つところを見たかった。シューマッハーのキャリアが終盤にさしかかっていることは明らかだったし、メルセデスのマシンはレッドブルやフェラーリ、マクラーレンに比べて競争力がなかった。シューマッハーが最後の優勝を飾ることができれば、彼の長いF1キャリアの最後を飾るのにふさわしいと思った。
雨が弱まり、コースが乾き始めた。シューマッハーはピットでインターミディエイトタイヤに履き替えたひとりだった。
35周目にレースが再開されると、翌36周目にバトンがフェルナンド・アロンソ(フェラーリ)と接触。アロンソのマシンは縁石に乗り、亀の子状態でリヤタイヤがスタックしリタイアとなった。バトンのマシンもダメージを負い、ピットで修理しなければならず、彼は最下位にまで順位を落としたが、それはバトンにとって5回目のピットストップだった。
この時点までにバトンはハミルトン、アロンソと接触し、ふたりをリタイアさせ、1回のドライブスルーペナルティを科されていた。バトンにとって、これ以上悪くなりようのない最悪の日に見える。
注目のシューマッハーは非常に快調に見えた。シューマッハーはマーク・ウェーバー(レッドブル)をヘアピンで抜き、その後ニック・ハイドフェルド(ロータス)も抜き去り、4位まで順位を上げた。シューマッハーの前方には3位にマッサがおり、2位にはこの日絶好調の可夢偉がいる。
コース上にはっきりと乾いたラインが現れてきており、マッサは可夢偉を追い抜こうとした。そのとき、ふたりはシューマッハーのことを忘れていた。
51周目、可夢偉がターン8でレーシングラインを外しマッサと交錯したところ、ターン9の立ち上がりでシューマッハーは一気にふたりを追い抜いた。これでシューマッハーは2位につけ、ベッテルよりも勢いがあるように見えた。
この時点で、私たちのル・マン24時間の取材で蓄積された疲労は消え去り、レースはスリリングで、何かすごいことを見ることになりそうだと感じていた。シューマッハーはベッテルに迫ろうとしており、まるで1990年代のF1を見ているかのようだった。
そんななか、バトンが6度目のピットストップを行いスリックタイヤに交換する。
スリックタイヤを選ぶのは勇気ある戦略のように思えた。ドライのラインはあるが、それは非常に幅が狭く、もしバトンがそのラインを外したら、クラッシュするだろう。同じスリックタイヤを履いたマッサがバックマーカーを追い抜こうとした時にスピンを喫しており、それを証明していた。
しかし、他のマシンが次々とスリックタイヤに替えるためにピットに入り始めるなか、いち早くスリックタイヤを装着したバトンは見事なドライビングを見せ、彼らを抜き去り、4位までポジションを上げた。
■F1史上最長のレースは予想もつかない展開に
それでもレースの優勝争いはシューマッハーとベッテルのふたりに思えた。しかし55周目、可夢偉と接触したハイドフェルドのマシンがコース上にパーツを散乱させたことで4度目のセーフティカーが導入され、各車は差を詰める。
マーシャルのひとりがコース上で転んだのを見て私たちはテレビの前で大笑いした。立ち上がろうとした彼が目にしたのは、フェラーリV8エンジンを搭載したザウバーC30をドライブする可夢偉がまっすぐ自分に向かってくるところだった。彼はその場を動かなかったが、可夢偉はもう少しでマーシャルを轢くところだった。かわいそうなカナダ人のマーシャルはコース上で転んだところを何百万人の人々に見られたわけだ。
マーシャルはクルマのヘッドライトに捕らえられた鹿のように躊躇していたが、再び転び、可夢偉は彼をよけて走り抜ける。マーシャルは再び立ち上がったが、今度はビタリー・ペトロフ(ルノー)に轢かれそうになっていた。
61周目にレースが再開されると、シューマッハーはレッドブルのもう1台ウェーバーの追撃を受ける。だがウェーバーは水たまりの上を走るミスを犯した。
64周目、最終シケインでミスをしたウェーバーをバトンがかわし3位にあがるとシューマッハーを視界に捉えた。そして65周目、メルセデスエンジンを積んだマクラーレンはワークスのメルセデスのスリップストリームを利用し、シューマッハーを抜き去る。残り5周でバトンは2位に浮上した。
私たちはこれで勝負がついたと思った。なぜならトップを走るベッテルはバトンのはるか前にいたのだ。私は今でも、この日最後となる4度目のセーフティカーがでなかったら、どうなっていただろうと考える。だが、確かなことはこのセーフティカーでシューマッハーの優勝のチャンスは潰えた。
ドライのラインは幅が広くなり、シューマッハーはウェーバーにかわされ、4位に順位を落とした。たとえセーフティカーが出なかったとしても、シューマッハーはベッテルに勝つことは決してできなかっただろう。ドライコンディションではメルセデスのパフォーマンスはレッドブルに及ばなかったのだ。
そして2011年のカナダGP以降、7度のF1世界チャンピオンは、このレース以上に優勝に近づくことはなかった。
終盤を迎えたレースではバトンが絶好調。バトンはベッテルを捕らえたが、抜くことはできないだろうと私たちは話していた。ベッテルがドライのラインを防御するのは簡単なことだと思ったからだ。
バトンはコースの濡れた部分からでは追い抜くことができない。だがバトンは心配する必要はなかった。ファイナルラップのターン6でベッテルはコースの濡れた部分に足を取られ、ハーフスピンを喫してしまう。その瞬間をバトンは逃さず、ベッテルを仕留めて首位に立った。
それは素晴らしい展開で、私たちは興奮して叫んだ。他の部屋で眠っている人たちを起こしてしまったかもしれないが、このようなレースは誰も目にしたことがなかったのだ!
ファイナルラップでベッテル、ウェーバーのレッドブル勢が反撃に出る時間はなく、バトンがレースを制した。レコードブックを見ると、このレースはF1で史上最長のレースとなっている。雨による2時間の赤旗を含み、スタートからフィニッシュまで4時間以上かかったという。
レースが終わり、ル・マン24時間帰りで36時間も起きていた私たちに疲労が戻ってきた。
翌日、イギリスに戻る前に私たちは食料品を買い(当時はフランスの方が、物価が安くて品質も高かった)、そしてルーアン・レゼサール・サーキットを更に数周走ってから帰路についた。サーキットを走っている最中、私たちはル・マン24時間のことはほとんど忘れているかのようにF1カナダGPのことばかり話した。
現地には行かなかったが、2011年のF1カナダGPは私にとってとても記憶に残るレースだった。
【FORMULA 1】 2011 Canadian Grand Prix: Race Highlights
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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。
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