日本車のモデルチェンジサイクルが長くなってきている。現在は軽自動車と一部の車種を除き5年未満でフルモデルチェンジするケースはほとんどない。
と言って現行モデルで10年を超えて販売が続けられているモデルが激増しているわけではない。ほとんどは10年たたないうちにフルモデルチェンジを迎えるか、そのまま消滅という道をたどっている。
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そんな日本車のなかには、20年レベルで販売され続けたモデルも存在する。日本の超ロングセラーモデルを紹介していきたい。
文:永田恵一/写真:TOYOTA、MITSUBISHI、HONDA、SUZUKI
【画像ギャラリー】20年以上継続確定的モデルもある現行ロングセラーモデル
初代&2代目トヨタセンチュリー
販売期間:30年(初代:1967~1997年)、20年(2代目:1997~2017年)
1967年にデビューした初代センチュリー。購入するには審査がある、という都市伝説的な譲歩が流れるほどの威厳はほかの日本車にはない特別な存在
トヨタ2000GTが高性能スポーツ&GTとして世界基準に挑戦したいっぽうで、センチュリーは世界のプレステージサルーンを目標に開発が進められた。両モデルとも1967年と同じ年にデビューしているのが凄い。トヨタにとって記念すべき年といえるだろう。
日産プレジデントが1965年にデビューしていたから後追いのカタチとなったが、プレジデントがアメリカの高級車に倣ったデザインを採用したのに対し、センチュリーは日本オリジナル、『和』のテイストを重んじた。これは現行の3代目まで脈々と受け継がれている。
初代センチュリーは当時欧米でも珍しかったエアサスを採用するなどトヨタの野心作だった。
初代センチュリーは、30年間にわたり販売されたが、1960年代から1990年代という日本車の激動の時期をフルモデルチェンジなしに生き抜いたのが凄い。
エクステリアは1986年に大幅変更されフルモデルチェンジ並みの変貌を遂げ、3LからスタートしたV8エンジンは最終的には4Lまで拡大、安全基準、排ガス基準などその時代に合致させるために細かく改良され30年というロングタームで販売が続けられた。
1982年にビッグマイチェンを敢行しエクステリアデザインは洗練されたが、後期モデルには初期モデルのような味はなくなった
初代の後期型のデザインテイストを踏襲して登場したのが2代目で、クルマに詳しくない人なら初代と見分けがつかないと言われていたほど酷似していた。
2代目の最大のトピックは、不世出といわれている5L、V12DOHCの搭載だろう。初代は日本専用モデルだったが、2代目の後期には少数が欧州に輸出された。
センチュリーは誰もが購入するクルマではない。初代モデルでは、購入するのに審査があるなどの都市伝説的なものまで出たのは特別なクルマの証だ。
初代から現行の3代目まで一貫として匠の業により少量生産されている日本車では稀有な存在だ。だからこそ20年、30年と作り続けられたのだろう。
初代の後期モデルのエクステリアを忠実に踏襲した2代目。5L、V12DOHCはセンチュリーの専用エンジンで不世出の名作。海外でも高級車としての評価は高い
初代三菱デボネア
販売期間:22年(1964~1986年)
丸4灯ヘッドライト、逆スラントノーズは当時のアメリカのトレンドから応用。メッキホイール、ホワイトリボン付きタイヤなどアメ車っぽい初代デボネア
三菱が初めて手掛けた高級サルーンで、トヨタクラウン、日産セドリック/グロリアと比肩するサルーンとして開発が進められ、1964年にデビュー。
写真を見てもわかるとおり、日本車っぽくないし、どの三菱車にも似ていないアメリカンテイストのエクステリアデザインを採用。
このクルマが珍しいのは、22年間にわたり販売されたにもかかわらず、エクステリアがほとんど変わっていない点だろう。『走るシーラカンス』と呼ばれたのはこのためだ。とはいっても三菱が放置していたわけではない。
デビュー時の型式はA30で、A31、A32、53年排ガス規制に適合のA33となっているように進化はしているが、見た目があまり変わらなかったのが災いした。ちなみに最後期モデルは、フロントグリルのエンブレムが排気量を示す2600からMMCに変更されている。
初代デボネアは1964年から22年にわたり販売されたが、エクステリアは大きな変更がない。これは日本車では珍しいパターン
さらに1986年まで販売されながら、初期モデルで採用された3速ATをずっと使っていたのもある意味驚異的だった。
一般ユーザーが購入するケースは稀で、ほとんどが三菱グループのハイヤーとして利用されていたため、出回っていた中古車の大半は黒のボディカラーだった。1990年代初頭には、中古の初代デボネアを買ってバニング系チューニング施すのが一部で流行した。
デボネアは2代目、3代目も販売されたが不遇なまま消滅してしまった。
3代目スズキジムニー
販売期間:20年(1998~2018年)
初代、2代目のイメージを打破するかたちで登場した3代目ジムニー。ボディサイズの大型化により走りの進化は目覚ましかったが、デザインは賛否わかれた
1970年に初代がデビューしたジムニーはモデルチェンジサイクルが長いクルマで、初代は11年、2代目は7年、そして今回り上げる3代目は20年となっている。
3代目は1998年の軽自動車の規格の改正に合わせて登場したから、それがなければ2代目は10年スパンで販売されていたはず。
3代目は初代、2代目で培ってきたジムニーのイメージを破ったモデルと言える。硬派なまでのオフロード性能は踏襲しているものの、丸みを帯びたエクステリアデザインはジムニー好きからは不評だった。
2000年にジムニーL、2002年にジムニーJSと二度2WD(FR)モデルを追加。ジムニー=4WDという常識も覆したが、すぐに4WDのみとなったように、販売のテコ入れのため迷走していた感は否めない。
しかし、スズキはジムニーの進化の手は緩めていなかった。日本車の場合、長く販売されているモデルは1~3型くらいのものだが、3代目ジムニーは10型まで存在。
3代目も長く作ることで認知されたが、原点回帰した現行ジムニーは爆発的ヒット。SUVブームが後押ししたとはいえ、この雰囲気こそジムニーだ
長く作っているだけではなく確実に進化させていたのだ。既存のジムニーのイメージを打破したが、長く作っていたおかげで3代目も認知され安定人気となったのは不思議。
そのジムニーも先祖返りした現行の4代目が空前の大ヒット。いったんは3代目が認知されたが、やっぱりユーザーは初代、2代目の再来を望んでいたのですな。
トヨタランドクルーザー(70系)
販売期間:20年(1984~2004)
名車の誉れ高き40系の後継モデルで世界中の道で鍛えられ、世界中で愛された。日本では販売台数は多くなかったが販売が続けられた
トヨタのヘビーデューティの4WDのビッグネームがランドクルーザーで、車名としては1954年以来65年も継続している日本車の最長車名だ。
70系は名車と誉れ高い40系の後継モデルとして1984年に登場。ランドクルーザーの系譜は少々複雑で、BJ・FJ→20系→40系→70系、60系→80系→100系→200系となる。
70系は長い歴史を持つランドクルーザーで最も長く販売されたモデルだが、その理由は、世界中で支持されていたというのが最大の理由。日本では2004年に販売を終了したが、海外では継続販売されていた。
今でこそ日本車のグローバル化が顕著だが、70系は世界のいろいろな国・地域で愛され続けていて、その結果日本でも異例の長期間販売された。
ラダーフレーム構造による高い堅牢性・耐久性やラダーフレーム構造による高い堅牢性・耐久性や4WD性能はそのまま現代的なエクステリアで復活したランクル70
豊田章男社長は、クルマは道が鍛える、とアピールしているが、それを早くから実践していたのが70系ということになる。
その70系は2014年にランドクルーザー70シリーズ生誕30年を記念してバンとピックアップの2タイプが期間限定で販売されアッという間に完売しいまだ衰えぬ人気を見せつけた。70系は中古車としてもいまだに高値で取引されている。
2代目ホンダバモス
販売期間:19年(1999~2019年)
何の変哲もない軽ワンボックスのバモスだが、当時は世界最高レベルの衝突安全性能を持ち、背が高いのに優れたハンドリングに仕上げられていた
ストリートの後継としてホンダの軽商用バンのアクティバンをベースに軽乗用ワンボックスに仕立てたのがバモス。ゴルフカートを彷彿とさせるオープンタイプの軽トラックのバモスホンダの名前を復活させたということで、ここでは2代目という扱いとする。
2代目バモスは2019年1月で19年の歴史に幕を下ろした。
商用車ベースのワンボックスの代名詞、スズキエブリイワゴン、ダイハツアトレーワゴンの対抗馬としてホンダは市場投入。
デビュー時の月販目標台数が2500台ということとからもホンダもそれほど売れるクルマではない、という認識だったに違いない。
2003年にバモスよりももっと使い勝手、スペースユーティリティに優れたバモスホビオを追加。このモデルで得られたデータがN-VANにフィードバック
2003年には遊びに使えるクルマとして、バモスよりも広いカーゴスペースを持つはモスホビオを追加して販売増強を狙った。
ホンダは脱力しているようにも思えるが、世界最高基準の衝突安全性能を備えていたし、見た目に反して走りの楽しさではライバルを寄せ付けなかった。
バモス、バモスホビオとも20年近く販売されたが、ホンダがN-BOX、N-VANをもっと早く登場させていれば、ここまで長くは販売されていなかったかもしれない。
しかし、バモス&バモスホビオがあったから、N-VANが誕生したともいえる。今やホンダは軽自動車王国と化しているが、陰ながらその構築に貢献したのがバモスと言える。
大人気のN-VANは、実質バモス&バモスホビオの後継モデルと言っていい。ホビオでも驚かされたが、N-VANの使い勝手の良さは驚異的レベル
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みんなのコメント
出稿前に一回で良いから読み直せ!!