モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1989年の全日本ツーリングカー選手権を戦ったHR31型ニッサン・スカイラインGTS-Rがベースの『カルソニック スカイライン』です。
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『レイトンハウス・スカイライン』名手復活。レイトンブルー鮮やかな“ホシノの鉄仮面”【忘れがたき銘車たち】
1968年にニッサンR381を操り、日本グランプリを制するなどかつてニッサンワークスドライバーとして活躍した名手、北野元。北野は1978年を最後に一時的に一線を退いていた。
だが、北野を慕う後輩、星野一義に誘われるかたちで1987年にグループA車両で競われた全日本ツーリングカー選手権(JTC)で“現役復帰”を果たす。そのときドライブしたのが、星野率いるホシノレーシングが走らせるレイトンハウス・スカイラインだったことは、以前の本連載でも紹介した通り。
その後、北野は引き続き1988年もベース車がHR31型のニッサン・スカイラインGTS-Rとなり、カルソニックカラーを纏うようになった“ホシノ”のスカイラインをドライブする。ただこの年の北野のパートナーは和田孝夫であり、星野とともに戦うことは叶っていなかった。
復帰から3年目となる1989年、北野はいよいよ星野とコンビを組み、1988年から引き続いて使用されたHR31型のカルソニック スカイラインをドライブすることになる。星野にとっては、この1989年がJTCへの本格参戦初年度。スポット参戦の経験はあったが、シーズンを通してのJTCに参戦するのは初めてのことだった。
北野×星野の新コンビで迎えた1989年、開幕戦の舞台は西日本サーキットだ。このレースでカルソニック スカイラインは、いきなりポールポジションを獲得してみせた。決勝こそエンジントラブルのためリタイアとなったものの、優勝への期待を感じさせる速さを見せたのだ。
続く第2戦は西仙台ハイランド。ここでもカルソニック スカイラインはポールポジションを手にしてみせる。すると今度はトラブルなく決勝を走り切り、見事にトップチェッカー。北野は復帰後初の勝利を星野とともに手にしたのである。
その後、カルソニック スカイラインはポールポジション2回、予選2番手1回を記録するなど速さこそ見せたものの、トラブルの多さからリザルトには繋がらず。翌年よりBNR32型スカイラインGT-Rがデビューすることもあり、HR31型での戦いはこの年をもって終了した。
加えて北野も1989年をもって、再びの引退を決意。かつてニッサンワークスドライバーとして名を馳せた名手は、日産の名車、スカイラインで最後の輝きを放ち、一線を退いたのであった。
[オートスポーツweb 2026年08月05日]
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