「エンジニアが乗りたいと思ったバイクを、作りたいように作る」
CB1000SF/CB1300SFの背景に見えるものは、欲しいバイクを自由に作ろうとする意志に賛同し、バイクづくりのドグマ(教義)を貫いたエンジニアたちの熱意だった。
CB1000SF、後継車CB1300SFのLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)を務めた原 国隆(はら くにたか)氏、完成車テストを担当したLPL代行の菊池 理(きくち おさむ)氏、CB1000SF~CB1300SFのエンジンを担当した小笠原 敦(おがさわら あつし)、2005年モデルCB1300SFデザイン担当の伴 哲夫(ばん てつお)氏の言葉から、BIG-1誕生の真実に迫る。
*当記事は2012年発売『PROJECT BIG-1 1992-2012 20th ANNIVERSARY』(八重洲出版)の記事を抜粋・再編集したものです。
【画像22点】初代CB1000SF、ダブルプロリンクのCB1300SF(SC40)、軽量化したCB1300SF(SC54)…進化の過程
「初代BIG-1」ことCB1000SF……全員がその大きさに賛同した
原──とにかく当初は、自分の乗りたいバイクを作っただけ。私を含めた関係者が、社長のところに「ラインアップに載せてください」と、クレイモデルを持ち込んでプレゼンテーションを行なったことで、東京モーターショーに出すことができた。
そうしたら、予想以上の反響があってびっくりした。各部の造形には作り手のこだわりが感じられたし、ホンダを表わす白赤のカラーリングにもインパクトがあった。「CB1000」という名前にもCBで育った人たちが共感を覚えてくれたのではないかと思う。
菊池──僕自身、岸(デザインを担当した岸 敏秋氏)と中野(プロデューサー的立場だった中野耕二氏)が考えていたモデルを見て「うおー、コレだ!」ってなった。18インチとか、ビッグタンクとか、すごくプロポーションがよかった。実現してみたいと思ったし、今までにない大きさは「売れる」と思ったね。
伴──もともと、岸さんは自分が似合うバイクが欲しかった。僕も岸さんも身長が180cm近いから「またがって足を着いて構えると、このくらいの車格が必要になる。だから18インチが欲しい」という理屈。それに足着き性を無視してでも、格好よさを優先しているところがあった。
通常ならテストライダーが否定から入るような構成のはずなのに、(小柄な)菊池さんが「まとめてやる」って言ってくれた。それがなかったら、多分このバイクは世に出ていなかったでしょう。
菊池──今考えると、自分の乗りたいバイクだという直感があったんだね。「こんな(大きい)の誰が乗るんだ?」ってまわりが言うから、163cmの自分が「俺が乗るんだ!」って言えば黙ってしまった。それがよかった。
原──18インチのタイヤで、菊池さんともめるかなと思ったら「やりたいなら、18インチでいいよ」って言ってくれた。
菊池──だってカッコよかったからね。でもタイヤの銘柄はAVONしかないぞってね。
原──とにかく自分たちで「感動だ、感動だ」と言っていた。それが感動性能とかエモーショナルって言葉になっていったわけだけど、「乗っていてドーンとくるのがいいね」とか「タンクも太いからドーンとくる」とか「ヒューンのホンダからドンドンってフィーリングを感じるバイク作りをしたいね」とか、もう好き勝手に話していた(笑)。
CB1000SFのエンジンは「大きいからいい」
原──CB750のK0やFでは外装でフレームを隠していたけど、BIG-1はフレームの各セクションが主張している。特にサイドカバー前側の部分でサイドパイプ式のダブルクレードルが主張する部分はポイントになった。ところが、このフレームに合わせると4連キャブが入らず、なんとかギリギリの線でコネクティングパイプを通した。そこからは「エンジンがカッコ悪い」だの「6速が入らない」だの、いろいろあったね。
小笠原──5速ミッション採用は、騒音規制が理由。(ベースとした)CBR1000Fはフルカバードだから防音ができて6速ミッションが入るけど、エンジンがむき出しのBIG-1は5速にせざるを得なかった。エンジン出力は、パーシャル進角を採用しドライバビリティの向上を目指した。フルスロットルにいくまでのリニアリティやレスポンスがよくなっている。
もともとがCBR1000Fの高回転型エンジンがベースなので、吸排気のセッティングだけで性格を変えているような部分がある。したがって、この進角の開発はかなり意識してやっている。1000ccなんだから、全開域よりもまずは通常域のピックアップや、使いやすさ実現をしようと思いましたね。
原──本当は空冷にしたかった。自分の普遍性が空冷だったから、どうしてもやりたくて検討したものの、相当厳しい排ガス規制が予想されていたし、価格の抑制も考えてあきらめた。でも、その一方で「エンジンのフィンを付けたい」からと、エンジンの片側をフィン付き、反対側をフィンなしにして、30人か40人ほど集めて……。
伴──興味を持ってくれそうな若い社員を集めて、どっちがいいかアンケート取ったら……。
原──もう、1ラウンドでノックアウト。ほとんどがフィンなしを選んだわけで、「ええ!!君たち違うのか?」って言った覚えがある。もう最低だったよね(笑)
小笠原──もともとベースのエンジンは見せるために作ってない。これっぽっちも考えていない。格好よく言ってみれば、本当の機能美だけ。でも、それが初めて見えたら、かえって新鮮に感じたのかもしれないね。
原──そういえばエンジンは約12度前傾しているんだ。K0も15度くらいで、エンジンがそびえ立っている力強さがある。もっと寝ていたら格好悪いなって思っただろうけど、縦横比のバランスがよかった。だからヘッドが大きく見える。そのサイズ感がビッグだった。だから、水冷らしさを認めるというか、最後に割り切った。
小笠原──実際に大きいです(笑)。エンジン屋にしてみたら、大きなエンジンをそのまま使ってあの形にしてくれたから楽だった。だって時代は「エンジンを小さくしろ、軽量化しろ」って言っていた最中ですよ。それを「外観命です」って開き直ったわけですから、時代に逆行していた。
原──見えないものが見えた瞬間に、新たなエンジンらしさが見えたということだね。
小笠原──ただ、デザイン主導で始まったのはよかったけれど、最初にデザイン室に行ったときに「オイルパン切っていい?」ときた。排気系の取り回しを決めるのにオイルパンが邪魔だと。エンジン屋にしてみれば「いいわけないだろう!」と。最初はラジエータもなかった。
伴──小さなオイルクーラーのみで、少しでも空冷っぽく見せる感じだった。
「意志を持たせた」CB1000SFのハンドリング
菊池──基本的に大きいバイクは曲がりづらい。それを「味」というメーカーもあるが、それじゃいかんなと。普通に街乗りできるレベルにありながら、楽しい部分……例えば峠でもちゃんと走れないといけない。本来ならフロントの分担荷重を増やして、フロントのグリップをキープしながら曲がるというのが楽だけど、もともとそういうレイアウトにできなかった。だから、リヤに荷重かけて、そこで方向を出す味付けにした。リヤタイヤが向いた方向にハンドルを切ってやるという意識で乗るような感じだね。
伴──「このバイクは曲げてやる、制御するって意志を持って乗るんだ」という菊池さんの言葉が印象に残っている。
菊池──大きく重いバイクだって、やることをやれば、ちゃんと曲がってくれる。ただの勢いだけでは曲がらない。シート高の高さなんかもそのために設定してある。もともとパッと見のバランスがよかった。エンジンとタイヤの位置が重要なんだけど、経験上、見たときに直感でいいと思うバイクは性能を出しやすいところがある。
原──18インチだけど、昔の重ったるさはない。タイヤサイズもあるけど、ヘッドパイプの位置とジオメトリーが圧倒的に違う。だから18インチで重い割には、ハンドルが自分で切れていくね。
菊池──フレーム剛性も相当、気を使って作り込んでいるからね。
23リットルの巨大タンクを作るため「製造ラインを変えた」
原──ヘアライン加工や、仕上げのバフ加工、こだわる部分はアルミパーツと、ネイキッドは全方向から見られるバイクなので、仕上げや成形には相当コストがかかっている。燃料タンクの成形が、一番大変だった。座ってハンドルに手を伸ばしたときの、体の収まりのよさ、包容力のある燃料タンクの形状が気に入っているけど、その絞り込んだ部分は、プレス成形時の伸び率が高くなる部分なので最初は角が割れまくった。最後は、油圧プレスのスピードで調整できたけど、最初は「ダメだ、ダメだ」って言われたよ。でも、これでその後の成形技術が進化したと思う。今なら同じことが普通にできるわけだから。
伴──あれは長さの問題でしたね。なにしろサイズが問題だった。製作所のラインもタンクが出てくる枠を大きくしましたからね。
原──それに当時は、パールホワイトとキャンディーレッドの塗り分けも簡単にできなかったんだ。
伴──苦労しましたね。白と赤の相性が悪く、塗料中の染料がにじみ混ざり合ってピンクになってしまう。きっちり焼付けしてから、塗り分ければいいんだけど、そうするとコストが跳ね上がる。だから製作所のほうでいろいろとトライして、溶け込まない塗料を開発してくれた。そういうこともあって、燃料タンクを作るにあたっては、いろいろと設備を変えましたね。アフリカツインのが塗れるんだから大丈夫だろうと思ったら、もっと大きかった(笑)
小笠原──見せないエンジンを「見せる」ということで困ったのは、外観を磨かなければいけなくなったこと。それまで「見せるように磨く」という考えはあまりなかったので、どうやったらキレイに磨けるか、いろいろと探ったりしましたね。また、ヘッド側面のH型のレリーフ部分だけ金型を新作している。CBR1000Fはそこには何もなく、アルミの肉がポコっと出ているだけ。それではさすがに格好悪いので、見栄えをよくしたわけです。
■ホンダCB1000SF主要諸元
[エンジン・性能]
種類:水冷4サイクル並列4気筒DOHC4バルブ ボア・ストローク:77.0mm×53.6mm 総排気量:998cc 最高出力:93ps/8500rpm 最大トルク:8.6kgm/6000rpm 変速機:5段リターン
[寸法・重量]
全長:2220 全幅:785 全高:1130 ホイールベース:1540 シート高800(各mm) タイヤサイズ:F120/70R18 R170/60R18 車両重量:260kg(乾燥重量235kg) 燃料タンク容量:23L
[車体色]
ホワイト×レッド、ブラック×グレーメタリック
[価格]
92万円(1992年発売当時)
1300になった「2代目BIG-1」CB1300SF(SC40)
原──BIG-1が世の中に出て、1年目である程度ファンが増えてくれてうれしいなと思っていたら、2、3年してだんだん売れなくなってきて……。「どうする?」と言っていうちに、ユーザー層が若い人たちに変わってきて、その人たちがシートの高さなどに「乗りづらい」というネガティブなイメージを持っていることがわかって、それで2代目CB1300SF・SC40ができた。
伴──燃料タンクが23Lから21Lになって、タイヤも17インチになり、いつの間にかエンジンにもフィンが付いていた。
原──190のリヤタイヤにしろと言ったのも、ダブルプロリンクにしろと言ったのも、全部オレだよ(笑)。BIG-1を進化させるテーマはふたつあって、ひとつはライバルが1200cc化したため、お客さんが1000ccという排気量に劣等感を感じていたことがはっきりわかったわけです。そこで1200を超える1300にした。
ところがマーケットがそれほど広がっていない状況で、まったく新しいエンジンを造るわけにはいかない。だからX4と2機種を同時に開発することで売価を抑制した。
これは会社からのオーダーだった。左右2本出しマフラーを採用したのは、排気量拡大に対応して性能を確保するため。もともと左右対称の排気レイアウトが好きだったので、初代の集合形式には少々抵抗があったのは事実。
そしてシート高。790が780mmになった程度だけど、少しはお客様のニーズを入れていかないといけないのだろうと、時代とともに考え方が変わってきた。でも、この大幅な変更を行なったことで、本当にあちらこちらで「根性なし!」、「魂を売ったのか!」って言われた。でも、そこそこに台数が売れたので、商品としては失敗ではなかったと思う。日経のヒット商品にも選ばれたほどだったし。
■ホンダCB1300SF(SC40)主要諸元
[エンジン・性能]
種類:水冷4サイクル並列4気筒DOHC4バルブ ボア・ストローク:78.0mm×67.2mm 総排気量:1284cc 最高出力:100ps/7500rpm 最大トルク:12.2kgm/5000rpm 変速機:5段リターン
[寸法・重量]
全長:2220 全幅:780 全高:1165 ホイールベース:1545 シート高790(各mm) タイヤサイズ:F130/70ZR17 R190/60ZR17 車両重量:273kg(乾燥重量249kg) 燃料タンク容量:21L
[車体色]
ホワイト×レッド、シルバー、オレンジ
[価格]
94万円(1998年発売当時、ツートーン)
軽量化を追求した「3代目BIG-1」CB1300SF(SC54)
原──ところが今度は「重い、軽快感がない」と言う意見がマーケットから出てきて、3代目のSC54に進化した。確かにSC40では、排気量の拡大に合わせて重くなっていた。そこで「マイナス20kg作戦だ」と言って、軽量化に目標を定めた。
伴──シリンダーヘッドをより大きくして、エンジンの逆三角形イメージを強調するなどの構想を持っていたが、自分の考えでは軽くならないと思ったので、デザインLPLを途中で変わってもらった経緯がある。
原──味付けにもこだわり、ハンドリング、音の感覚、クラッチダンパー、ドライバビリティにもこだわった。直押しヘッドのエンジン、車体足まわりと、各部の負担率を考慮し軽量化を進めた。特にホイールとタイヤが効いている。ユーティリティにも気を使って、シート下に最低限のユーティリティスペースを設けた。それから、重量の軽減を考えて、再びマフラーを1本に戻したが(騒音規制で)非常に厳しい時代になっていて、サブチャンバーを付けたものの非常に排圧が高かった。それで苦労した部分がある。ノックキングセンサーも付けてね。
小笠原──排圧が高すぎると高速ノッキングしやすくなる。現在の開発では、排圧を見ながら点火時期を決めるけど、初代はそれのハシりだった。
菊池──「ドン突き」で脅かすようなバイクにはしたくなかった。開け始めは穏やかで、ハンドリングに影響もなく、ピックアップもいい。そこからは開けた分だけ自然に回ればいいと思った。それと、じつはウイリーできることにはこだわっていた(笑)
原──そう言えば、1992年の8耐でマーシャルバイクにしたね。それで「ウイリーしろ、ウイリーしろ」ってあおったら、マーシャルバイクがウイリーしたと大会運営側からクレームが付いちゃったんだよ。それが土曜日で、その夜、鈴鹿に来ていた歴代社長が「原を呼んでいる」というから、「これはマズいことになったぞ」と思って、もう直立不動で参上したら、「もっとやれ。中途半端はやるな。メインスタンド前は全部やれ」と言われたんだよ。
それで日曜日は、調子に乗ってウイリーさせたら、デグナーカーブでオーバーランして焦ったな。あれで転んだら大問題だった(笑)。8耐へは2003年、2004年と2年参戦したけど、そこからスーパーボルドールやスーパーツーリングのバリエーションモデルへの進化があって、より幅広いお客様に受け入れられた。それが20年の結果につながったわけだね。それにしても8耐は楽しかったな。
伴──そりゃあ原さんは楽しかったでしょうよ。あれだけ好き勝手やったんだから(笑)
原──でも、オレ苦労したんだよ。おかげで髪の毛、なくなっちゃったし(笑)
菊池──本当に好き勝手やらせてくれたよね。
原──会社が泳がせてくれたんだよ。泳がせて自由に作らせることで新しい何かが出てくるわけで、それを誰かがやらないとダメだ。小さい金魚鉢に入れられたままだと、動きようがないだろう。オレなんか金魚であることを忘れてどこかに行っちゃった感じだけど。
伴──原さんは、自分が金魚であること忘れて、太平洋に出ちゃった(笑)
原──自分たちが乗りたいバイク作るんだ、「どうしてもコレじゃないとダメだ」ってね。昔の駄々っ子だよ。それでもやれたことは、本当にうれしいことだよ。
伴──でも、最初は隠れた部屋でやらざる得ない状況だったのは、本当のこと。「今さらなぜ、新技術もないことをやっているんだ」と言われたけれど、もうこっちは精神論みたいなところで作っていましたからね。
■ホンダCB1300SF(SC54・2003年)主要諸元
[エンジン・性能]
種類:水冷4サイクル並列4気筒DOHC4バルブ ボア・ストローク:78.0mm×67.2mm 総排気量:1284cc 最高出力:100ps/7000rpm 最大トルク:11.9kgm/5500rpm 変速機:5段リターン
[寸法・重量]
全長:2220 全幅:790 全高:1120 ホイールベース:1515 シート高790(各mm) タイヤサイズ:F120/70ZR17 R180/55ZR17 車両重量:254kg(乾燥重量226kg) 燃料タンク容量:21L
[車体色]
ホワイト×レッド、ブラック×シルバー、ブラック
[価格]
99万円(2003年発売当時、ツートーン)
■CB1000SF、CB1300SF(SC40)の開発リーダーを務めた原 国隆
1973年入社、2011年定年退社。本田技術研究所 二輪R&Dセンター。
浜松製作所採用の後、朝霞研究所(二輪R&Dセンター)に転勤し、CR250Rエルシノアの車体を手掛ける。その後、耐久レーサーRCBの車体設計、CB750Fスーパーバイク、RS1000RWなどの開発に関与。
市販車ではVF750FのPL(プロジェクトリーダー)から始まり、CB-1、CB750(RC42)、一連のBIG-1プロジェクト、Vツインマグナ、ホーネット250/600、X4、X11などのLPLを歴任するなど、スポーツ系モデルの戦略チームに所属。その後、ホンダロックに転籍し2011年に退職。
*写真、プロフィール、組織名は2012年取材当時のもの
■CB1000SFの完成車テストを担当した菊池 理
1975年入社。本田技術研究所 二輪R&Dセンター 企画室 主任研究員。
CB1000SF LPL代行。完成車テスト担当として、CBX400F以降の並列4気筒モデルのほとんどに関与。CB-1からは完成車テストを統括するLPL代行の立場で、GL1500、NSR250R(1988年型)、CBR250RR、CBR400RR、CBR600F、CB400SF、CB1000SFなどを担当。
*写真、プロフィール、組織名は2012年取材当時のもの
■CB1000SF~CB1300SFのエンジンを担当した小笠原 敦
1981年入社。本田技術研究所 二輪R&Dセンター 第3開発室 主任研究員。
「直列4気筒チーム」でエンジン設計を担当。3世代目のCB750、 CBR1000F、4気筒の250を手掛け、CB1000SF/1300SFを担当。その後はスクーターのリサーチ部門(R開発)を担当。さらにDCTなどの駆動系の開発にも携わっている。
*写真、プロフィール、組織名は2012年取材当時のもの
■2005年モデルCB1300SFのデザインを担当した伴 哲夫
1982年入社。本田技術研究所 二輪R&Dセンター デザイン室 主任研究員。
当初はカラーリング担当として2代目VT250F、VF400/500Fを手掛ける。NSR250RではPL設定となったが体調不良で一線から遠ざかる。1990年型NSR250を手掛けている最中に、隣で行われているCB1000SFの構想を見て、開発チーム入りを希望。
以降、2005年型CB1300SF、X11、シャドー、シャドースラッシャー、CBR954RR、CBR1000RRなどのデザインを担当。
*写真、プロフィール、組織名は2012年取材当時のもの
レポート●関谷守正 写真●打田 稔/ホンダ 編集●上野茂岐
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