マネスキンのボーカルとしてイタリアから世界に飛び出し、今度はソロアーティストとしてのキャリアを歩み出したダミアーノ・デイヴィッド。地元ローマにてエスプレッソとタバコを片手に、新時代のポップミュージックに求められるアイコン像について語った。
マネスキンのフロントマンとしてお馴染みのダミアーノ・デイヴィッドは灰皿をいじっている。取材現場であるホテルの中庭から徒歩1分のポポロ広場では、ナンパ目当ての男たちがローマの街を行く女性に手当たり次第に声を掛け、菓子売りが観光客相手に客引きをしている。高級レストランのフォーマルな制服に身を包んだ男性スタッフが、帽子で鳩を追い払ってはウェイトレスたちの関心を引いている。1人に留まらず2人の道化師がジャグリングを始めるものの、やがて次々にオレンジを落とし始め、それを立ち止まって優雅に拾って投げ返す女性たちに向かってキスを投げる。デイヴィッドは呆れた調子で言った。「まるで全員がコメディアンのようです」
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しかし、そう言い放つデイヴィッドこそまさしく、ローマっ子特有のどこか危うい自信に満ちた男性的な色気を放つ、正真正銘のパフォーマンス・アーティストである。彼はロックンロールのグラマラスかつセクシュアルな魅力を極限まで肥大化させたようなバンドのリードシンガーであり、その世界的スターの階段を上り詰めるまでの過程もまたメロドラマ的展開に満ちている。
彼のストーリーは観光客で賑わうコルソ通りでの路上演奏に始まり、そこからいくつものドラマティックな展開を経て、上半身裸に革のパンツ、アイライナーにクリスチャン ルブタンのヒールという姿でヨーロッパ最大の音楽の祭典ユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝した瞬間、ひとつの大きなクライマックスを迎えた。
マネスキンの一員として、これぞまさにロックンロールというべき派手で男性的なパフォーマンスを披露した彼は、グッチの当時のクリエイティブ・ディレクター、アレッサンドロ・ミケーレを魅了すると同時にパパラッチの格好の的となり、一時は現職のフランス大統領からの激しい批難の対象にまでなった(詳細は後ほど)。
「ローマっ子独特のユーモアみたいなものが確実に存在しています」と、彼はタバコに火をつけながら言う。しかし、それは諸刃の剣になるとも警告する。「常に他人に対して厳しいジャッジの目を向ける土地柄ではありますね」
デイヴィッドについて言えば、その才能は何度も高く評価されてきた。実際、マネスキンをユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝に導いたのも、人気投票によって大衆の支持を獲得したからにほかならない。しかし、現在26歳になるデイヴィッドは世間からの厳しい批判にもさらされてきた。
マネスキンはロックバンドとして商業的に目覚ましい成果を打ち立ててはいるものの、現状、ロックは少なくともアメリカにおいてはジャンルとして絶滅危惧種であり、イタリアではほぼ存在しないに等しい。そのわずかなロックの信奉者たちですら、従来の価値基準を軸にマネスキンが果たして「本物」であるかどうかについて粗探しをするのに必死という状況だ。
とはいえ、2018年のアルバムデビュー以来、マネスキンはアメリカのオルタナティブ・チャートで11週間トップを飾るヒット曲を叩き出し、グラミーの最優秀新人賞にノミネートされたほか、MTVビデオ・ミュージック・アワードで各メディアのヘッドラインを飾り(主にデイヴィッドが着用していたTバック同然の革パンツの衣装による)、2022年にはアメリカン・ミュージック・アワードで「Beggin’」がフェイバリット・ロック・ソングに輝いた。
このとんでもなくキャッチーな一曲は、元々ザ・フォー・シーズンズが歌った1967年の楽曲をカバーしたもので、TikTokのFor Youページがきっかけで米ビルボードのトップ40に急上昇し、最終的にオルタナティブ・エアプレイ・チャートで1位を獲得した。アメリカのメディアがいまだマネスキンのロックバンドとしての真価について攻撃を繰り広げている間に、彼はメンバー各自のソロ活動を追求するためにバンドの一時休止を宣言した。
イタリア国内では、デイヴィッドはその名声ゆえに外を自由に歩くことすらままならない。今春リリースされる初のソロアルバム『ファニー・リトル・フィアーズ』について語るのに、彼は新緑が生い茂ったテラスの片隅に隠れるように身を潜めている。しかし、普段我々が知っているところの、地球上の男女を誘惑するために地獄からやってきたかのような、汗だくで絶望感に満ちた暗黒天使のようなイメージはまるで見受けられない。シャワーを浴びて香水を纏ったデイヴィッドは、上品でスタイリッシュなヘーゼルナッツ色のローファーとパンツに身を包んでいる。
今回リニューアルされた紳士的な装いからは、新たにポップミュージック界を視野に入れて舵を切っているような姿勢が窺える。昨秋、ジミー・ファロンがホストを務める『ザ・トゥナイト・ショー』に出演した際に披露した新曲は、その真意を勘ぐりたくなるほど感傷的で、彼はシャツばかりかダブルブレストのジャケットにネクタイ姿でパフォーマンスしていた。あえて喩えるなら、かつてのマネスキン時代の犬の首輪とメッシュの装いは、ジギー・スターダスト時代のデヴィッド・ボウイばりの“キャラクター”だったのかもしれない。
デイヴィッドは近くを通り過ぎたウェイトレスを「ボンジョルノ」と言って呼び止めるも、その優雅さに呼ばれたほうも思わず笑いがこぼれてしまうほどだった。ウェイトレスがコルネットとエスプレッソ、刺繍入りのナプキンを供する間も、彼はキャメルの煙が彼女にかからないように丁寧に配慮する。
「最初に芸名を名乗らなかったことを後悔してるんですよ」と、デイヴィッドは煙の向こうから語った。「過去にそうしなかったことをね」
ハリー・スタイルズやジャスティン・ティンバーレイク同様、デイヴィッドもまたプロとしてある命題に直面する岐路に立たされている。ロックバンドでの大胆さはポップスターとしての存在感に結びつくのだろうか? “ソロアーティスト・ダミアーノ”はついにアメリカでブレイクし、母国イタリアでの期待に応えられるのだろうか? そして、お尻の部分が全開の革パンツを再び穿く日は訪れるのだろうか?
「『よし、マネスキンで有名になったし、ここからさらに有名になって稼いでやろう』なんて動機でスタートしていたら、今頃、恐怖に震えていたでしょう」と彼は言う。ほかのメンバーなしに、いわば自分ひとりの実力が試されるシチュエーションも、本人にとって必ずしも不安ではないようだ。
「ストリーミングの記録を破ることが目標ではありませんから。むしろ恐怖を感じるとしたら、自分自身が心から納得できる音楽を作れるかどうかでした」。そう語る彼の口の中で、犬歯のトゥースジェムが太陽の光を受けて煌めく。「あるいは自分がハッタリだと自ら露呈することになるのかもしれません」
マネスキンがもたらした衝撃
「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」については、ヨーロッパ以外の国の人にはほぼ馴染みがないはずだ。簡単に説明すると、楽曲に特化したタレントコンテストをイメージしてもらえればわかりやすいだろう。ただし、ヨーロッパにおいて同コンテストはオリンピックにも匹敵する一大イベントであり、出場者は単なる個人の参加者を超えて母国の代表者として扱われる。
2021年の同コンテストにおいて、マネスキンは文字通りのワイルドカードであり、奇抜な演出で甘いバラードを歌うほかの出場者たちとは異質なジョーカー的存在だった。たとえば、華やかな衣装で宝石による装飾を施したウクレレを手に反ヘイトを訴えるバラードを披露したドイツ代表のイェンドリック、あるいは天使の翼を背負い愛について繊細に歌い上げるノルウェー代表のティクスらに交じって、イタリア代表のマネスキンは激情に駆られた荒くれ者の集団のようだった。
カスタムメイドのエトロのレザー衣装に身を包み、腰を突き出しながら歌うデイヴィッド、ドラマーのイーサン・トルキオ、ギタリストのトーマス・ラッジ、ベーシストのヴィクトリア・デ・アンジェリスの4人は、さながらロックの徴を合図にセックスの神のもとに集った暗黒界の反逆児たちである。パワーコードに乗せられた歌詞は、すでにデイヴィッドの大胸筋に彫られていたものだ。
彼らがテレビの向こう側にいる1億8300万人のオーディエンスに向けて披露した曲は、モトリー・クルー、プラシーボ、スキッド・ロウをブレンドしたようなサウンドだった。彼ら以前にもイタリアから稀にロックスターが誕生した例があったのは確かだが、マネスキンの登場はまるでポイズンかジューダス・プリーストが支配する別の惑星から降り注いだ隕石のような衝撃をもって受け止められた(ちなみに「Måneskin」とはデンマーク語で「月光」を意味し、本来の発音は「モウナスキン」に近い)。
なぜイタリア語のロックは浸透しないのかという問いかけに対して、デイヴィッドはその理由の一部はイタリア語の性質にあると言及している。イタリア語独特の弾むようなイントネーションは、たとえばイギリス英語の角ばった響きと比べて鋭角的なギターラインと相性が悪く、それがロックにおいて作詞をする上で非常に大きな足かせとなるという。「イタリア語では子音や硬い音が多く登場するので、(ロックに)歌詞をつけるのが難しいんです」
「歌詞に多くの意味を込める文化でもありますしね」と、タバコを吸いながら彼はゆっくりと考え込む。「ガンズ・アンド・ローゼズやメタリカの場合」は、歌詞が意味を伝えるよりも激しい音楽の構成要素として使われているとした上で、イタリアでは「そのような音楽を作ることが難しい」と言う。
さらにステージにおける強烈なパフォーマンスについては、単純に自分たちの音楽そのものがドラマ性を必要とした結果であるとも語っている。「4人がステージに立って、最強にパワフルなサウンドの壁を築き上げているわけです。その音楽に釣り合うように、自分たちの外見もそこに合わせていく必要があると感じているだけです」と、彼は肩をすくめる。
マネスキンは、ヤシの葉が生い茂ったこの中庭のすぐ外で路上演奏するところからスタートした。YouTubeには、まだ無名だった頃の彼らがスティーヴィー・ワンダーのカバーに果敢に挑戦する姿や、マネスキンとして完成される以前の初々しい姿が動画として数多く残されている(「まだ幼くて拙かった頃の映像です」と彼は言う)。
その後「スパゲッティ・アンプラグド」という最高すぎるネーミングのベニューでスカウト勢の目に留まったことから、オーディション番組『Xファクター』のイタリア版に参加する機会を得た。同番組への出演はソニーミュージックとのEP契約につながり、それがイタリア国内でトリプル・プラチナを達成。その後、ユーロビジョンのイタリア代表を選出するサンレモ音楽祭への出場を果たした。「自分たちがここまで一貫して成功してきた理由は、コンテストに優勝することを最終目標にしていなかったからです」と、彼は言う。
バンド側の意図は別にして、こうした一連のコンテストが非常に短期間のうちに彼らの人生を一変させ、スターダムへと押し上げるのに重要な役割を果たしたことは紛れもない事実である。それにはデイヴィッドの生まれつきの資質も大いに貢献している。彼の超自然的な魅力は、マネスキンのユーロビジョンでのすべての瞬間を映画のシーンに変えてしまった。ほぼ上半身裸で、革パンツが股の部分から盛大に裂けるというハプニングもあった。
さらにコンテストの終わりに波紋を呼んだ場面として、デイヴィッドが楽屋でテーブルに前屈みになっている姿が一瞬映り込んだことから、彼がコカインを吸っているのではないかという疑惑が巻き起こる事態にまで発展した。フランスの放送局のスタッフがBBCに語ったところによると、フランス大統領エマニュエル・マクロンからデイヴィッドのロックスター的な立ち振る舞いを理由にマネスキンを失格にすべきだと主張するショートメッセージが緊急で飛んできたという。
この一件について、デイヴィッドは『ニューヨーク・タイムズ』の取材に「幼稚かつ卑劣」な主張であると語り、『ビルボード』の取材には「侮辱的で、困惑するしかない」と話している。この日の彼は、手首を振ってウンザリだという仕草を示した。
その後、任意の薬物検査で潔白が証明された彼は、イメージと実体を混同する風潮について非難した。「いわゆる“セックス、ドラッグ、ロックンロール”的なステレオタイプは浅はかな上に時代遅れです」と、彼は『Numéro』のインタビューで語っている。「自分たちにとってロックとはまず何よりも音楽であり、ライフスタイルではないんです」
ユーロビジョンの受賞スピーチで一本の巨大なサラミのようなマイクをしっかりと握りしめた彼は、オーディエンスに向かって力強く訴えかけた。「これだけ言わせてください……ヨーロッパ全土に、全世界に。ロックンロールは永遠に不滅です!」
新しい時代のロックンロール
ロックンロールが生きているのか、それともとうの昔に死んでいるかの議論は別にして、それは本質的には音楽ジャンルというよりも、むしろアティチュードとして捉えられている。実際、かつては反コマーシャリズム、反大衆文化として、権威に反抗する役割をロックンロールが担っていた。しかし、こうした価値観に基づく神格化が1990年代初頭に極限に達し、その断末魔の叫びのようなグランジがアリーナロックを蹴散らすと、ヒップホップが反逆的ジャンルの代表格になっていった。
その後、オルタナティヴやニューメタルなどが栄えたのは事実であり、2000年代にはフランツ・フェルディナンドやザ・ストロークスのようなポピュラーシーンにも拡大するほどの盛り上がりをみせたバンドが批評的にも成功してきたのは確かだ。しかし、今日におけるロックはカルチャーの中心からは程遠く、さらに現在のストリーミング時代において、音楽界におけるミドルクラスの空洞化によってその傾向は加速の一途を辿っている。
マネスキンは、現代のZ世代間で知名度を獲得するにはもはや必須であるSNSを器用に使いこなし、ファッションやスタイルの点からもコンテンツを発信する機会を最大限に利用して楽しんでいる。実際、メットガラやファッションショーの最前列にデイヴィッドの姿が確認できるし、ディーゼルのクリエイティブ・ディレクター、グレン・マーティンスとの共同制作で発表されたカプセルコレクションには、デイヴィッドの胸、背中、上腕二頭筋に刻まれたタトゥーを再現したデザインのトップスが含まれている。
Spotify主催による3rdアルバムのリリース記念では、衣装デザインを担当したアレッサンドロ・ミケーレの司式による4人の結婚式に見立てたセレモニーを敢行している。ミケーレの前で4人は誓いの言葉を交わし、「アポロン、エルヴィス、そしてジミー・ペイジの名のもとに」祝福を受けて一体となった。ミケーレは私に「ダミアーノは素晴らしいパフォーマーであり、まさにステージにおける野獣です。彼の音楽に対する野性的なアプローチにただひたすら魅了されています」と語っている。
しかしながら、デイヴィッドはカルチャーの空白を埋める存在として、かつてのエルヴィス・プレスリーやレッド・ツェッペリンほど幅広い層からの支持を獲得することはできなかった。ここで浮き彫りになってくるのは、かつてのロックと現代のロックの違いについての認識がいまだにアップデートされないまま混同されている現状だ。特にアメリカの伝統的なロックの信奉者たちから、マネスキンは嘲笑とバッシングの的となってきた。
『ピッチフォーク』は2023年のアルバム『ラッシュ!』を「ありとあらゆるレベルにおいて想像を絶するほど最悪の作品」と派手に酷評し、「ヨーロッパのリアリティ番組の競争熱とインターネットのアルゴリズムが雪だるま方式で積み重なった結果もたらされた成功」「グッチをただ“着ている”だけでなく、グッチに“着させられている”バンド」と続けた。
『ニューヨーク・タイムズ』は「マネスキンは最後のロックバンドなのか?」という見出しで疑問符を掲げ、『アトランティック』はこれに追随する形で「これがロックンロールの救世主とされているバンド?」という辛辣な見出しを掲載した。
『ラッシュ!』は端的に言ってしまえば、いわゆるコック・ロック的な攻撃的かつ派手でドラマティックな要素を全面的に打ち出した作品だった。楽曲の半分をスウェーデンの超大物プロデューサーのマックス・マーティンが手掛け、主に英語と一部イタリア語で歌われたパワフルかつ抒情的な詩にポップな輝きをプラスしてその世界観を先鋭化する役割を果たしている。
マネスキンの言わば“イタリア版ホワイトスネイク”的な感性はジャーナリストたちには簡単には受け入れ難いものだった。とりわけ彼らが今の時代におけるロックの立ち位置について率直な言葉で表現した「Kool Kids」という曲は、批評家にとってさらに容認できない内容になっている。同曲のなかでデイヴィッドは「クールなキッズはロックなんて好きじゃない」と奇妙なコックニー風の訛りで吠え、「皆、トラップとポップしか聴かない」と続ける。
自身の過去の楽曲をまるで国民的詩人の書いた詩のように温かい目で振り返るデイヴィッドは、そこに興味深い独自の解釈をつけ加えた。「ここ数年でポップという言葉は誤って解釈されるようになったと思います。“ポップ”とは“ポピュラー”から来ていますよね。もし、それが人々に受け入れられやすいものだとしたら、ロックだろうとテクノだろうと何であれ、それはポップだということです。私たちもポップでした。ガンズ・アンド・ローゼズだって、ある意味、あの時代のポップでした」
これはともするとスルーされがちな点だが、X世代の代表的なオピニオンリーダーたちは、この事実を受け入れるまでに何年もの時間を要した。ロックはその発展途上段階と比べ、今ではより広義な意味を持つようになっている。もはやかつての70年、50年、あるいは30年前のロックと同義だった「反逆」の代名詞ではなくなっているのだ。
確かにマネスキンはロックから数々の要素を引用している。ストラトキャスターを執拗に舐めまわす仕草や、「ああ、マンマミーア/君の愛を僕に吐きかけて」という歌詞や、やたらと自信満々のオーラなどがそうだ。しかし、ポップの大物プロデューサーやハイブランドとの提携、巧みで秀逸なショート動画配信は、すべて新時代のポップのルールのもとに機能している。それについてデイヴィッドは、ロック信奉者の神経を確実に逆撫でするであろう悠長な物言いで、ポップのジャンルを超えたクロスオーバーは何もロックだけに限らず、ありとあらゆるジャンルの間で昔から行われてきたと指摘する。
「レコード会社と契約して、ストリーミング・プラットフォームに曲を載せた時点で」と言いかけて、エスプレッソを飲み干して彼は続けた。「それはもうポップなんですよ。大衆に向けてポップを提供しているわけです」
ひとりのソロアーティストとして
目の前で3本目のタバコを手にするデイヴィッド(David)は、ここから約270キロ離れたフィレンツェのダビデ像(David)を想像せずにはいられないほど端正なルックスをしている。その穏やかで少し物思いに耽る様子は、マネスキンで過剰なまでに性的魅力をアピールしていた姿とは真逆である。
2024年後半のインタビューで、デイヴィッドはメンバーがそれぞれ自分のやりたいことを追求することがバンドにとって「最も健康的」なことだと語っている。さらにポッドキャスト番組『ザック・サング・ショー』では、マネスキンの次回作は「自分たちがやりたいと望んだ上で、しかも楽しんで臨める音楽」になるだろうと言及している。
今回の分裂のニュースにファンは当然のことながら嘆き悲しみ、オンライン上の関連フォーラムは活動休止に関する投稿で溢れ返り、運営側がバンドの将来を悲観する声で乱立するスレッドに対して削除要請を出す事態にまで発展した(ちなみに、そのようなコメントの大半が「AHHHHHHHHHHHHHHHHH!!」という絶叫から始まっていた)。
とはいえ、バンドの離別は昔から自然なことであり、むしろ定型パターンですらある(ザ・ビートルズ、ザ・ストゥージズ、ザ・リプレイスメンツのメンバーらのその後の活躍を見れば納得だ)。メジャーバンドの看板であるデイヴィッドのようなフロントマンにとって、自身のそれまでのキャラクターを踏襲すべきか、それともそこから距離を置くかは、新たなプロジェクトに乗り出す上で最初に迫られる決断のひとつである。初期の動向を見る限り、デイヴィッドは自身を以前のペルソナとは正反対に位置づけているように思われる。
先行リリースされた魅惑的なパワーバラード「Born with a Broken Heart」のMVはその変貌ぶりを示すように、往年の名優クラーク・ゲーブルが乗っていたような1950年代型のジャガーでハリウッドの撮影現場に登場するシーンから始まる。ゆったりとした鮮やかなブルーのスーツに身を包み、完璧にセットされたポンパドールでぼんやりと宙を見つめるデイヴィッドの顔をバックダンサーのピンクの羽根飾りが優しく覆っていく。
胸のタトゥーがチラつくなかで名優オマー・シャリフのようなエキゾチックな顔立ちで「ベイビー、君に僕を癒すことはできない/僕のハートは生まれつき壊れているんだから」と、まるでハリー・スタイルズもしくはザ・キラーズが歌っていそうなサビを朗々と歌い上げる。マネスキン時代にはステージ上で隣のメンバーとキスまで披露していた姿とは対照的に、ポップ版のデイヴィッドは上品でエレガントなスタイルに舵を切ったようだ。
ポップはストーリー性が重要視されるジャンルであり、成功と挫折、そして胸に訴えかけるテーマが要求される。この度リリースされるソロアルバムは、端的に言えば「恋の病に悩む大人のイタリア人男性の物語」だ。それはより洗練されたコンセプトであり、どこか古き良き時代の男性的な魅力を感じさせつつも、押しつけがましくなく、ヨーロッパ的な品位を感じさせる。「イタリア的な洗練されたエレガンスを体現したかったんですよ」と彼は言う。「すべてにおいて上質なクオリティが貫かれているように」
アルバムのクレジットにはジャスティン・ビーバーやマルーン5の楽曲を手掛けたことで知られるジェイソン・エヴィガンをはじめ、ケイティ・ペリーやデュア・リパなどの作品で知られるサラ・ハドソンなど一流どころのソングライターおよびプロデューサー陣が名を連ねている。エヴィガンは、デイヴィッドのマネスキンとソロでの方向性について「まったく異なる2本の映画のよう」とコメントしている。
エヴィガンとハドソンは『ラッシュ!』の楽曲にもいくつか携わっており、マネスキンの体現しているロックにも、デイヴィッドのソロキャリアについても深い理解を持っている。デイヴィッドを「カメレオンのよう」と評するハドソンは「真心のこもったラブソングで、男性の弱さを表現したいと思いました」と語り、「だって、彼はただ見ているだけでも美しいですからね」と付け加えた。
ふたりがデイヴィッドについて共通して高く評価している点は、彼の天性ともいえるドラマティックな表現者としての資質だろう。それはロックとポップが重なり合うちょうど中間あたりに位置している。上質なメロドラマは人々を圧倒し、その極端に揺れ動く感情の振れ幅に自らを委ねるような快感を大衆にもたらしてくれる。エヴィガンが次のように語るのもそのためだろう。「映画に喩えるなら、マネスキンが『クロウ/飛翔伝説』だとしたら、デイヴィッドのソロは『きみに読む物語』と『甘い生活』の中間のような作品といったところでしょうか」
ホテルの中庭で、デイヴィッドは姿勢を変えて言った。「私はそこまで自分を真面目に捉えているわけじゃないと知ってもらいたいんですよ」
ということは、今回のポップに振り切れた表現は、ある種カリカチュアされた自身の姿が反映されているのだろうか? 「うん、そうですね」と彼は言う。とはいえ、その的確なバランスについても意識しているようだ。「ステージ上の自分ももちろん私です。ただ、それはあるバージョンの自分であって、そのパーセンテージのバランスが存在しているわけです。それに関しては、毎回その晩、観客に何を伝えたいかによって変化しますね」
彼は再び姿勢を直してから少しの間を置き、ゆっくりと口を開いた。「ロックをやっているときは、観客から何かしらを引き出すことに全神経を集中させています。ポップの場合は、もっと自分のためにやっているように感じます」
DAMIANO DAVIDミュージシャン。1999年生まれ、伊ローマ出身。高校時代に結成した4人組ロックバンド、マネスキンでボーカルを担当。ユーロビジョン・ソング・コンテスト 2021での優勝をきっかけに世界的な人気を獲得し、これまでにリリースされた3枚のアルバムはいずれも本国イタリアを中心にプラチナディスク認定を受けている。2025年5月にはソロデビューアルバム『ファニー・リトル・フィアーズ』が発売予定。
From GQ.COM
By Mina Tavakoli
Translated and Adapted by Ayako Takezawa
PRODUCTION CREDITS:
Photographs by Dan Jackson
Styled by Katie Grand
Hair by Lachlan Mackie
Skin by Gianluca Ferraro at Etoile Management
Tailoring by Alison O’Brien
Produced by Macro
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