1993年からフェラーリのチーム代表を務め、その後FIAの会長も務めたジャン・トッド。フェラーリにとってはかなりの功労者であるものの、今はそのフェラーリと連絡を取っていないと、トッドが語った。
1990年代前半、フェラーリは大苦戦していた。1990年こそアラン・プロストがマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとタイトル争いを繰り広げたが、翌1991年には未勝利。以後1994年のドイツGPでゲルハルト・ベルガーが勝つまで、未勝利が続いた。
■フェラーリ副会長がハミルトンに寄せる期待「ハミルトンとルクレールのバトルは両者の助けになる」
この苦境に喘いでいた中、フェラーリのチーム代表に就任したのが、トッドだった。トッドは1993年シーズン途中にチームに加わると、少しずつ勝てるようになっていった。
ただこの頃、急激な躍進を果たしたのが、ミハエル・シューマッハー擁するベネトンであった。1991年のベルギーGPでデビューしたシューマッハーは、ちょうど1年後のベルギーGPで初優勝。1994年には初のチャンピオンに輝くと、翌1995年も連覇してみせた。
トッドはこのシューマッハーに白羽の矢を立て、電撃的に獲得。1996年からフェラーリに迎え入れた。その後、ベネトンの躍進を支えたロス・ブラウンやロリー・バーンらを迎え入れ、最強の体制を構築。2000年から2004年まで5年連続でダブルタイトルを獲得、コンストラクターズタイトルは1999年からの6年連続獲得ということになった。トッドは、この黄金期最大の立役者とも言えよう。
しかし2009年の3月にフェラーリを離脱。同年10月にはFIA会長に就任した。
トッド曰く、黄金期を形作ったにも関わらず、今ではフェラーリとは何の連絡も取り合っていないのだという。
「チームを去ってから、何人かのメンバーとは話をした。しかし、FIA会長を辞任してからは、連絡を取っていないんだ」
トッドはイタリアの新聞”ラ・レプブリカ”のインタビューでそう語った。
「そのことは、この素晴らしい会社に私がどれだけの時間を費やし、どれだけの成功を収めてきたのかということを考えると、とても驚いた」
「加入した当初、設計事務所はイギリスにあり、マラネロには古くて使えない風洞があった。でも我々はそこから、一歩一歩宝石を作り上げていったんだ」
ただトッドが連絡を取り続けている、フェラーリ時代の関係者がひとりだけいる。それがシューマッハーだ。2013年のスキー事故以来、公には姿を見せていないシューマッハーだが、トッドは「定期的に、そして大きな愛情を持って」訪問しているという。
「我々のつながりは、一緒に仕事をする以上のモノだ。彼は私の人生の一部だ。でも、今ではF1から遠く離れている」
そんなフェラーリには今季、シューマッハーと同じ7回のチャンピオンを獲得したルイス・ハミルトンが加入する。しかしトッドは、ハミルトンがフェラーリの救世主となり、次のタイトルに導くとは考えていないようだ。
「フェラーリがドライバーのせいで負けたと言う人はひとりもいない」
ハミルトンと、シャルル・ルクレールのコンビについても分からないと、トッドは言う。
「そのコンビが前よりもいいのか? 私には全然わからない」
「2025年がフェラーリにとって成功の年になるかどうか、私には判断できない。それは、マシンのレベルによって左右されることになるだろうね」
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みんなのコメント
アレジやベルガーの様にドライバーなら連絡は来るんじゃないか。