イギリス人ドライバーのジョニー・ハーバートは、1989年~2000年までの12シーズンに渡ってF1に参戦し、161戦に出走。3勝を挙げ、7度の表彰台を獲得した。そんな彼のF1デビューまでの道のりは、波乱に満ちたものだった。
1988年、国際F3000(現FIA F2)に参戦していたハーバートは、ブランズハッチで行なわれたレースで多重クラッシュに巻き込まれ、足と足首に重傷を負った。足を切断する可能性もあったほどの大きな事故だったが、ハーバートはその後リハビリに励み、1989年のF1開幕戦ブラジルGPにベネトンチームの一員としてやってきた。
■美しきF1マシン:「シューマッハー初表彰台。若き日の相棒」ベネトンB191B
当時のベネトンのチーム監督は、ハーバートの長年の師匠であるピーター・コリンズであった。しかし当時、後に監督となるフラビオ・ブリアトーレがチームに参画し始めており、彼はハーバートの起用を疑問視していた。
「フラビオはまだF1の世界に来たばかりだったが、僕がちゃんと走れるかどうか懸念していたようだった」とハーバートは当時は振り返る。
「プレシーズンテストの際に彼は突然、プログラムにないレースディスタンスの走行を僕に要求したんだ」
「燃料を満タンにして、僕はコースに出ていった。ただピットウォールには誰もいなくて、みんな裏のホスピタリティに戻っていたんだ。僕が10周くらいしか走れないだろうと思っていたからだ。でも1時間半後、僕はガス欠でコース上に止まっていたんだ!」
「それが何よりもの証明になったと思う。(ブラジルGPが行なわれる)リオに着いた時、(チームオーナーの)ルチアーノ・ベネトンとピーター、そしてフラビオと僕とでミーティングをした。彼らが『本当に走れるのか?』と聞いてきたので、僕は『ああ、レースディスタンスを走ってそれを証明したよね』と返した。そしたら彼らは言い返せなくなっていた」
「不測の事態に備えて、エマニュエル・ピロがローマ空港で待機していた。でも僕は(チームメイトの)アレッサンドロ・ナニーニを予選で上回り、そのままレースに臨んだ」
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