トヨタマークXが生産終了し、日産フーガやスカイラインが大苦戦。2020年夏にはレクサスGSも生産終了となる。
いまや日本市場は空前の「セダン不況」といえるだろう。
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そんな日本市場にあって、90年代には老若男女から羨望を集めたセダンがあった。それがトヨタのウィンダムだ。
いったいどういうプロモーションの魔法を使ったのか、巷では「国際線のパイロットがよく乗っている」と言われていたウィンダム。
なぜ憧れを集められたのか、そもそもどんなクルマだったのか。旧車に造詣の深い片岡英明氏に当時の状況を伺った。
文:片岡英明、写真:トヨタ、ホンダ、日産
【画像ギャラリー】初代ウィンダムと同時期に出たクルマたち
高級セダンが誕生したきっかけ
1989年、元号が昭和から平成になり、物品税に代わって消費税が導入されるようになる。自動車の分野では、それまで重い税が課せられていた3ナンバーの高級車の税負担が軽くなった。昭和の時代より買いやすくなり、グッと身近な存在になったのだ。
この税制改正を見込んで、各メーカーは積極的に3ナンバーの高級車やプレミアムスポーツを発売している。
6代目マークII(1988年)
アッパーミドルクラスにマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟を送り出しているトヨタは、1990年代には高級セダンにもFF方式が増え、一大勢力になるだろう、と考えた。そこで企画されたのが「ウィンダム」だ。
この時期のトヨタの最高級FF車は、カムリの上級モデルとしてハードトップに追加された「プロミネント」だった。
上質なV型6気筒エンジンを積んでいるが、ミドルクラスだからマークIIなどより格下の印象は否めない。この上をいく3ナンバーの普通車の投入が急務だったのである。
しかもトヨタは高級車ブランドの「レクサス」を立ち上げ、北米を中心に販売を軌道に乗せようと意気込んでいた。
そのラインアップの重要なポジションに据えようとしたのがウィンダムだったのだ。海外ではレクサス「ES」を名乗り、ES300が日本より先に発売されている。
初代ウィンダム(1991年)
ウィンダムは1991年9月に日本で発売を開始した。販売チャネルはカローラ店だ。スープラとともにフラッグシップと位置づけられ、スタイリッシュな4ドアのピラードハードトップとした。
初代ウィンダムの魅力
ボディサイズは同じ時期に登場した9代目のクラウンとほとんど同じだが、全幅は1780mmと、30mmも広い。
ちなみにプラットフォームは1年後に日本で発売するセプター(海外向けカムリ)と共通だった。ホイールベースはクラウンより短い2620mmだが、FF方式だからキャビンは広く、後席でも快適だった。
全幅が9代目クラウンより広めに設計されており、快適性が高かった。
エンジンはES300と同じだ。新設計の3VZ-FE型V型6気筒DOHCを横置きにし、二重防振マウントによって搭載する。
排気量は2958ccで、200ps/28.0kgmの性能だ。トランスミッションは電子制御4速ATのECT-Sで、なめらかな変速が自慢だった。
サスペンスは4輪ともストラットだが、トップグレードの3.0Gは上下G感応式の電子制御サスペンション(TEMS)を標準装備する。
海外がメイン市場だから先進安全装備も抜かりはない。ABSはもちろん、トラクションコントロールや運転席エアバッグを装備し、2.5Lモデルを加えた93年夏には助手席エアバッグもオプション設定した。
この頃、ウィンダムの凝ったコマーシャルも話題となっている。CMに出演したのは、アメリカ人の若い実業家や国際線の機長、大学教授などだった。
レクサスがターゲットとする富裕層を積極的に起用し、ES300の日本版であることも強くアピールしている。
馴染みのないブランドだし、販売価格だって安くはない。だから当時、強気で出した月3000台の販売目標は達成できないだろう、と危ぶむ声が各方面から出された。
しかし、フタを開けてみると幅広い層の人がウィンダムに飛びついたのだ。「中の上」意識の強いドライバーの心をくすぐるCM戦略が功を奏したことは言うまでもない。モデル末期まで安定して売れ続け、いつしか「パイロット御用達」グルマの称号を与えられたのである。
好調な売れ行きだった2代目
当然、その2代目はキープコンセプトで登場した。ちょっと見ただけでは新型か旧型か分からないくらいエクステリアは似ている。
さすがにエンジンは新世代のV型6気筒だった。が、サスペンションなどは進化型だ。初代の成功でブランドイメージがよくなっているから、営業担当は強気だ。月に3000台の販売台数を打ち出した。周囲の心配をよそに、ウィンダムは好調に売れ続けている。
さすがに登場から丸3年になった1999年夏に行ったマイナーチェンジでは計画台数を月1500台に絞った。
2代目ウィンダム
そして2000年にはテコ入れのために、アメリカのファッションブランド、コーチの皮革でシートを縫製した特別仕様車の「コーチエディション」を投入したのである。販売は、その効果もあって息を吹き返した。
販売が伸び悩み、消えた3代目
3代目のウィンダムは2001年8月にベールを脱いだ。ハードトップからサッシュドアの4ドアセダンになり、当時のセルシオを凌ぐ広いキャビンスペースを手に入れた。
エンジンは3Lの1MZ-FE型V型6気筒ハイメカツインカムだけに絞り込み、そのミッションを5速ATに進化させている。しかし、3代目は北米ではヒット作となったものの日本では販売が伸び悩んだ。
3代目ウィンダム
2005年には月の販売台数がふた桁まで落ち込んでいる。かつての栄光は何処へやらで、翌年にカムリと統合する形で終焉を迎えた。
3代目はメイン市場である北米でレクサスファンに受け入れられるように重厚なデザインを採用し、車格は一段上がっている。だが、日本のファンが望んだのはピラードハードトップならではの低く伸びやかなフォルムだ。
キャビンの広さに関しては2代目までで満足していたから、それ以上を望まなかった。というわけで、2006年を最後にウィンダムは惜しまれつつ日本の自動車史から去って行った。
まとめ
初代と2代目のウィンダムが、その名のように勝ち名乗りをあげ、日本でヒットしたのは、スタイリッシュなエクステリアと上質で広いインテリアにある。ひと味違う異質のトヨタ車で、ドライバーやパートナーが上品に、美しく見えた。
もちろん、走りの実力も平均レベルを超えている。とくに快適性はレクサスクオリティだ。後席でも居心地がよく、静粛性と乗り心地もクラウンと互角かそれ以上の実力を秘めていた。
だからオーナーは胸を張って乗れたし、家族や仲間に自慢できたのである。こういった良質なパーソナルセダンがなくなってゆくのは惜しい限りだ。
もし復活したら声を張り上げて「Are You WINDAM?」と質問してみたい。
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