3駅比較に潜む都市イメージの序列
都市の印象とは、誰が、何のために、どのように形づくってきたのか。過去、池袋に貼られていた「ダサい」というレッテルーー。その起源と、それが続いてきた仕組みを、交通と都市開発の視点から探る。
【画像】「なんとぉぉぉぉ!」 これが50年前の「池袋駅」です! 画像で見る(計13枚)
かつての東京には、都市ごとに明確な“格”があった。新宿はビジネスと歓楽の中心。渋谷は若者文化の発信地。そして池袋は――その名前は新宿や渋谷と並べられながら、なぜかいつも「格下」とされ、「ダサい街」と呼ばれてきた。
だが、池袋は本当にダサかったのか。それとも、そう語らせた別の力があったのではないか。
池袋の庶民的な本質
バブル前夜の1980年代、池袋は格段に“ダサイ街”扱いされていた。当時の東京では、軽薄でネアカな価値観、いわゆる今でいう「ウェイ系」が正義とされていた。光るガラスのファサード、パステルカラーのファッション、そして消費こそが都市の魅力とされた。
池袋の本質は、今も昔もディープで気取らず、庶民的で自由な繁華街だ。しかし当時の東京では、雑多さや生活感は「遅れている」「洗練されていない」と見なされた。そのため、池袋の魅力は時代の“美意識”と噛み合わなかった。
新宿は都庁の移転(1991年)により「政治と行政の中心」としての権威を獲得した。渋谷は青山・原宿と一体化し、「若者文化の最前線」としての地位を固めていった。これに対し池袋は、特別な象徴を持たなかった。
「なんとなく雑然としている」
という曖昧なイメージを押し付けられていた。
駅直結消費の終点化問題
池袋の街づくりには、物理的なハンディもあった。街が「東」と「西」で大きく分断されていたのである。東口には西武百貨店と三越、そしてサンシャインシティ。西口には東武百貨店と丸井。これらは駅に直結しており、結果として「駅で完結する買い物」が主流となった。
駅から外に出る必要がない。よって、人は街を歩かない。歩かないから、発見も、にぎわいも生まれない。街が「面」ではなく
「点」
で消費される状況が、都市としての体験価値を著しく下げた。
さらに、郊外から流入する利用者の多くは、西武線・東武線といった私鉄沿線の住民である。彼らにとって池袋は終点であり、乗り換え地点であり、「目的地」ではなかった。通過するための街。滞留しない都市。
このとどまらなさが、池袋の存在感を希薄にし、都市としての意味を問われる土壌を作っていた。
1990年の劇場開業効果
「このままではダサいまま終わる」。そうした危機感のもと、池袋の人々が頼ったのは、芸術だった。
1990(平成2)年、東京都が長年計画していたクラシック対応の本格劇場「東京芸術劇場」が西口に完成。これは、街の格を変える象徴的施設だった。これを核とする形で、JR・東武が共同でメトロポリタンホテルやメトロポリタンプラザを建設。駅を中心に回遊できる都市としての再編が進められた。
とはいえ、劇場とホテルだけでは都市全体の滞在時間は伸びにくい。そこで1990年代に立ち上がったのが
「池袋ルネッサンス構想」
である。かつて戦前には池袋にはアトリエ村文化が存在し、「池袋モンパルナス」と称された芸術の都だった。この記憶を現代に再生させるというもので、ベデストリアンデッキで駅を覆い、サンシャインから大塚駅までを一体化するような構想まで描かれた。
だがこの計画は、バブルに沸きすぎた分だけ、現実との落差が大きく、実現には至らなかった。
多様性が生んだ新たな魅力
池袋が本当に変わり始めたのは1994(平成6)年だ。池袋PARCOの別館「P’PARCO」、インテリアショップ「インザルーム池袋」、大型CDショップ「ヴァージンメガストア」が相次いで開業した。これにより、渋谷や新宿に流れていた若者たちが池袋で“止まる”ようになった。
これは都市としての意味の変化を示す。旧来のファミリー向けという池袋のポジションは崩れ、若者が主体の新しい都市空間へと再構成された。しかも、それは「渋谷のようになろう」という模倣ではなく、
「池袋らしさ」
を活かした多様性の受容だった。
サンシャイン通りにはオタク文化や乙女ロード、チャイナタウンが広がる。昭和の猥雑さが残る裏通りには、現代のトレンドが混ざり合う。池袋は、ひとつの文脈で語れない都市へと変貌した。
評価軸変化が導く都市革新
いま池袋は“勝っている”と見る向きがある。しかし、それは過去に貼られたダサいという評価を否定した結果ではない。かつて都市空間に過剰に付与されていた印象の多くが、時代とともに価値の位相を変えたことが大きい。池袋がもともと持っていた雑多な店構えや人の出入りの多様さ、無署名的で誰でも受け入れる空間の在り方は、当初は「まとまりのなさ」や「野暮ったさ」として否定されていたが、後に「多様性」や「包摂性」と読み替えられた。
この転換は、池袋側の努力だけによるものではない。都市評価を下す側の視点や価値判断の基準自体が変化したのだ。つまり、池袋が変わったというより、
「都市の見方」
そのものが変わったのである。評価の視座が可視性や記号性に偏っていた時代には、池袋のような領域は正当に扱われにくかった。しかし、都市において明確な輪郭より曖昧さや重なり、逸脱の余地が求められるようになると、池袋は遅れていたのではなく「先取りしていた」と解釈され始める。
評価を下したのは誰か。当時の都市を論じたメディアや開発事業者、広告代理店など、語る力を持つプレイヤーたちである。彼らは空間に意味を与える過程で、明るく均質で用途が明確な都市を理想とした。その文脈から外れるものは劣った場所とされた。池袋が持つ複層性や無秩序性は、測定不能ゆえ市場の文脈に乗りにくかった。だが都市が必ずしも商品である必要がないと認識されると、池袋は本来の機能性を評価されるようになった。
その意味で、池袋の復権は他都市との勝敗で測れない。競争という枠組みから自由になった時こそ、都市は本来の資質を発揮できる。都市は記号化された理想像に近づくことで価値を持つのではなく、人が移動し滞在し関係を編み直す場所として意味を持つ。その点で池袋は、評価軸の変化を見極めながら自身の特性を過度に捨てず更新してきた数少ない例だ。
ただし、こうした経緯があっても、評価を下す主体が誰でどのように空間を規定しているかは、まだ十分に可視化されているとはいい難い。池袋がたまたま復権できたのは、
・特殊な地理や交通動線
・私鉄ネットワークとの関係
が奏功した面もある。ほかのダサいとされる都市が同様の転回を遂げられるかは、別の課題として残されている。
都市が生き延びるとはイメージを上書きすることではない。既存の語られ方を、どれだけ更新可能なものとして捉え、必要に応じて書き換えていけるかにかかっている。池袋は今、東京の中でその書き換えが最も早く柔軟に進んだ都市のひとつである。
池袋レッテルの逆説
池袋に貼られたダサいというレッテルは、結果的に都市に自省を促し、変化をもたらした。一方で、その評価基準がいかに恣意的で流動的なものかを忘れてはならない。
もし今日、別の都市が遅れている、イケてないと評価されているなら、そこに“明日の池袋”が存在する可能性がある。
私たちが移動し、交わり、滞留する空間。その価値は数値やブランドだけでは測れない。都市は誰かが語る物語だけで評価されるのではなく、自らを語り直す力も持っている。池袋はその証明である。(猫柳蓮(フリーライター))
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みんなのコメント
糸井重里さんの「おいしい生活」や「ほしいものがほしいわ」などのコピーは天才的だったと思います。すいません、昔話で。