フェリペ・マッサは、2002年にザウバーからF1デビュー。2017年に引退するまでの間にグランプリ通算11勝、41回の表彰台フィニッシュ、16回のポールポジション、15回のファステストラップを記録している。
その彼のハイライトとなるシーズンは、なんと言っても2008年だろう。マッサはランキング首位のルイス・ハミルトン(マクラーレン)に対し、7ポイント離された形で最終戦ブラジルGPを迎えた。しかし、完璧な走りでトップチェッカーを受けた。一方のハミルトンは中団に沈んでおり、大逆転でのチャンピオン獲得が決まった……誰もがそう思った。
しかしハミルトンは、最終ラップの最終コーナーでティモ・グロック(トヨタ)をオーバーテイク。これで5位フィニッシュを果たし、史上最年少チャンピオンに輝くことになった。マッサとのポイント差は僅かに1だった。
今回公開された映画『HEROES』でマッサは、フェラーリとの関係がどうやって始まったのか、そしてそれを長い間秘密にしておかなければならなかったことを明かした。
「僕はイタリアとヨーロッパの(フォーミュラ・ルノー2.0)選手権を、同じ年に制した」
そうマッサは語る。
「その結果、多くの人たちが僕と契約を結ぼうとした。ある人は僕とフェラーリの会議を編成したんだ。その時は分からなかったけど、僕がやっていることを全て見ていたんだ。テストやテレメトリー、レースなどの全てをね」
「その後で彼らは、『OK、我々がやろうとしているのは、君とフェラーリのヤングドライバー契約を結ぶことなんだ』と言った。彼らはそれまで、そんなことをやったことはなかった。そしてこう言ったんだ。『でも、このことは誰にも言ってはいけない。秘密にしておく必要がある』とね」
「それで僕は、フェラーリと8年間の契約を結んだ。でも、誰にも言えなかったんだ。僕の家族にしか言えなかった……それは本当に大変なことだったよ」
「その後でザウバーでF1にデビューした。当時の彼らは、フェラーリのエンジンを使っていたんだ。そしてその後、フェラーリが決断したという連絡をもらい、2006年からフェラーリでレースをすることになった。それは僕にとって、夢が叶ったようなモノだった」
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