鈴鹿はドライバーズ・サーキットとよく言われる。そんなコースで素晴らしい実力を示したのが、マクラーレンに乗っていたキミ・ライコネンであろう。2005年の10月9日に行なわれた、日本GPでのことだ。
ライコネンはこのレースに臨む時点で、同年のチャンピオンを獲得できる可能性は潰えていた。前戦ブラジルGPで3位に入ったことで、ルノーのフェルナンド・アロンソが、チャンピオン獲得を決めていたからだ。
■ミハエル・シューマッハーのフェラーリ初載冠から25年……「あの鈴鹿でのレースは、経験してきた中でも最高レベルの1戦だった」
そして迎えた日本GP。当時の予選は、1周のアタック方式だったが、セッション中に雨が降り始め、アタック順が遅かったランキング上位勢は、軒並み下位に沈んだ。
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みんなのコメント
で、結局流石のキミとアロンソでしたね。20年後もアロンソが走っているとは想像だにしておりませんでしたわ。ちなみにキミのマクラーレンはニューウェィ作でしたね。 未だ日本人は優勝できておりませんね。。。(琢磨はインディー−500を二度制覇してますが、、、)カラッとした秋空の下の鈴鹿(雨も結構多かったが、、)が懐かしいです。
土曜日から鈴鹿へ行きました!
忘れもしない…
HONDAエンジンだけは明らかに回転数が違ったし
鼓膜が破れるかと思いました。
F1マシンが巻き上げる水飛沫は、ホームストレートのフジテレビの看板まで上がるのは驚きでした。
夕方頃は雨もやみ、当時フォーミュラ・ドリームに乗っていた塚越広大選手が圧勝のレース。
決勝は130Rで観戦しましたが、アロンソがミハエル·シューマッハをアウトから追い抜く瞬間を目の前で観たのもの、ライコネンが大逆転で勝った事も
生涯忘れる事は無い最高の思い出です!