ジープ:CJ-6(生産台数5万172台、1955-1975年)
1948年に発売されたブルックス・スティーブンス設計の初代ジープスターは、しばしばジープのモデルと見なされるが、実際には親会社であるウィリス・オーバーランドから販売されていた。1948年から1950年にかけて1万9132台が生産され、確かに少数ではあるものの、ジープスターを「ジープで最も希少なモデル」と呼ぶのは正確ではない。
【画像】日本でも販売されていた! ロータスベースの希少な韓国製スポーツカー【キア・エランを詳しく見る】 全34枚
その栄光(?)はCJ-6のものだ。CJ-5のロング版で、ホイールベースを20インチ(約50cm)延長している。しかし、需要は少なかった。20年にわたる長い生産期間で販売されたのは、5万172台だ。
キア:エラン(生産台数1056台、1996-1999年)
キアはロータスからM100エランの権利を購入し、数回の改良を加えた上で1996年に発売した。リアランプを再設計(ロータスはアルピーヌ製クラスターを採用していた)し、いすゞ製1.6Lエンジンから自社製1.8Lエンジンに換装している。キア・エランは1056台が生産され、大半は韓国国内向けだが、一部は英国や日本にも輸出された。
ランボルギーニ:シルエット(生産台数54台、1976-1979年)
イタリアのデザイン会社ベルトーネは、ランボルギーニ・ウラッコをベースとする、シルエットというタルガトップモデルの設計に携わった。1976年に発表されたシルエットは、ウラッコと多くの部品を共有していたが、あくまでも別のモデルとして販売された。生産台数は54台に過ぎず、同社の歴史において目立たない存在だが、一般向けに販売されたランボルギーニ初のオープントップモデルという点で重要だ。
シルエットは、ランボルギーニの限定生産モデルよりも希少である。例えば、2019年発表のハイブリッド車シアンは63台限定だ。
リンカーン:ブラックウッド(生産台数3356台、2001-2002年)
フォードF-150をベースにしたリンカーン・ブラックウッドは、あまりにも不評だったため、米国では2002年モデルイヤーのみ販売された。メキシコ市場では2003年モデルイヤーに再登場したが、3356台で生産中止に。見た目に反して実用性が低かったことが不振の理由だ。特に後輪駆動のみという設定と、カーペット敷きの荷台を備えている点が不評だったようだ。
メルセデス・ベンツ:W188(生産台数760台、1951-1958年)
「W188」という開発コードネームで呼ばれた300Sは、1951年のデビュー当時、メルセデス・ベンツのラインナップの最上位に君臨していた。4ドアのW186と一部部品を共有するが、はるかに豪華で、それに応じて価格も高かった。1955年には改良型300 Scが登場し、クロームメッキの装飾の追加や燃料噴射装置の採用などさまざまな改良が施された。価格もそれに伴い上昇し、まさにステータスシンボルとなった。
W188は1950年代のメルセデス・ベンツの中で最も高価なモデルだった。1951年から1958年にかけて760台が生産され、内訳はクーペ314台、コンバーチブル446台である。これは1954年から1957年にかけて3258台が販売された名車300 SL(W198)よりも希少だ。
ポルシェ:912E(生産台数2092台、1976年)
レースのホモロゲーション目的で337台生産された959は除外し、今回は1976年モデルイヤーに販売された912Eを取り上げる。米国市場で914の後継として位置づけられ、911よりも手頃な価格設定となった。
オリジナルの912と同様、912Eもフォルクスワーゲン製の空冷水平対向4気筒エンジンを搭載している。排気量2.0L、燃料噴射装置(車名の『E』の由来)を備え、最高出力86psにチューンされた。その他の仕様は911とかなり似通っているため、ほぼ同等のシャープで俊敏なハンドリングを誇る。米国では1976年モデルイヤーに2092台の912Eが販売され、1977年に924へバトンタッチした。
サーブ:ソネット(生産台数6台、1955-1957年)
サーブの技術者ロルフ・メルデは納屋でソネットを製作した。彼は欧州各地のレースに出場できる、軽量でシンプルなスポーツカーを作りたかったのだ。その後さらに5台が製作されたが、レギュレーション変更により改造市販車での出場が認められたため、サーブはプロジェクトを中止した。生産台数は合計6台のみ。
サーブのもう1つの知られざるモデルは、9-4Xだ。2010年のロサンゼルス・モーターショーで発表されたキャデラックSRXベースのSUVである。サーブが破産申請する前に、GMのメキシコ・ラモスアリスペ工場で814台が生産された。2代目9-5ステーションワゴンはさらに希少で、量産には至らなかった。
スバル:R1(生産台数1万501台、2005-2010年)
スバルが1954年に開発した1500は、わずか20台しか作られていない希少車だが、試作段階にとどまり、量産化には至っていない。1500はスバルの名を冠した初の乗用車だが、本特集の趣旨から外れてしまうため今回は見送る。限定生産のWRX STiも対象外だ。
したがって、ここでは2005年から2010年にかけて、「360の後継車」として販売されたR1を紹介したい。日本の軽自動車規格に適合した2ドア車で、5年間でわずか1万501台しか生産されなかった。
スバルの希少車といえば、トラヴィックも忘れがたい。タイのGM工場から供給された7人乗りミニバン、オペル・ザフィーラのバッジエンジニアリング版(OEM)である。2001年から2004年にかけて日本で約1万2000台が販売された。
トヨタ:BXD20 メガクルーザー(生産台数149台、1996-2001年)
1996年から2001年までのトヨタ・メガクルーザーの生産台数については、意見が分かれている。大半の資料では149台という数字を引用しているが、151台や132台が正しいとする資料もある。確かなのは、日本の自衛隊向けに開発された車両の民生版で、ホンダNSXと同等の価格で販売されていたことだ。生産台数が極めて少なかった理由の1つだろう。
ボルボ:P1900(生産台数67台、1956-1957年)
ボルボ初のスポーツカーであるP1900は、あまりにも大失敗に終わったため、これが「最初で最後」にならなかったことに正直驚かされる。当時のCEOアッサール・ガブリエルソン(1891-1962年)が1953年に米国を訪問した際、グラスファイバーボディ車の人気に気付いたことから開発が決まった。カリフォルニア州のグラスパー社がP1900のボディ設計を支援し、生産技術も伝授したと伝えられている。
グラスファイバーの成形には膨大なコストがかかり、また母国スウェーデンでは2人乗りロードスターへの関心も低かった。オープンカーで風を感じながら走るというコンセプトは、アビスコよりもハリウッドの方が適していただろう。結果として、P1900は67台しか販売できなかった。後継車であるP1800にはオープンモデルは存在しない。
フォルクスワーゲン:カントリーバギー(生産台数1956台、1967-1968年)
フォルクスワーゲンは定義上、大衆向けの量産車メーカーである。同社のモデルのほとんどは数十万から数百万台単位で生産されるが、ごく稀に例外も存在する。
その1つが、オーストラリア部門が開発したビートルベースのオープントップモデル、カントリーバギーだ。どこかキューベルワーゲンを思わせる外観である。主に農民、サーファー、軍の兵士などをターゲットに、アウトバックと呼ばれるオーストラリア内陸部に適した車両を開発するというコンセプトだった。水陸両用化も目指したが、ドイツ本社がコスト抑制のため却下した。カントリーバギーはわずか1956台生産された後、廃止となった。
その他、生産台数の少ないフォルクスワーゲンのモデルとしては、小型バンのタイプ147(約6100台)、ブラジルで販売されたSP2(約1万1000台)、そして驚くほどシンプルな造りのEA489(約2600台生産)などがある。
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