先日のF1スペインGPでは、レッドブルのマックス・フェルスタッペンがメルセデスのジョージ・ラッセルと接触。ペナルティを受けたフェルスタッペンは後に謝罪したものの、意図的な接触と思われる動きを見せて本人も故意であることをほのめかす発言をしたため、物議を醸した。
こういった、ダーティと言われるアクシデントはF1の長い歴史の中でも数多く見られてきた。今回はその中でも有名なものをいくつか紹介する。
■プロストが明かす苦悩。SNSで送られる”憎しみ”のメッセージ「幸か不幸か、アイルトンについて考えないわけにはいかない」
■1975年モナコGP:ハントVSデュパイエ
モナコでのオーバーテイクの難しさは最近も話題となったが、50年前のレースでもそれは同じであった。このレースでは、64周目のミラボーでティレルのパトリック・デュパイエがヘスケスのジェームズ・ハントのインに果敢に飛び込んだ結果、ハントのマシンは行き場を失いバリアにクラッシュした。
これを受けてハントは激昂。興奮状態で、マシンを撤去しようとするマーシャルと揉み合いになった。そして1周走ってミラボーに戻ってきたデュパイエに対して、拳を振りあげて抗議したのだ。当時はセーフティカーも存在せずイエローフラッグが振られるのみで、マシンが撤去される傍らコース上で待ち構えるハントのすぐ横をF1マシンがハイスピードで駆け抜けた上、彼はコースを横断して(今であれば罰金もの)バーへと向かうのであった。
■1982年ドイツGP:ピケVSサラザール
ホッケンハイムでのネルソン・ピケとエリセオ・サラザールの接触は、1988年イタリアGP終盤で起こったアイルトン・セナとジャン-ルイ・シュレッサーとの接触と似たものがある。マクラーレン・ホンダの全勝が周回遅れのマシンによって止められたという後者のアクシデントも有名だが、前者は接触後の顛末も含めて語り草となっているため、今回はこちらを紹介する。
当時ディフェンディングチャンピオンだったブラバムのピケは、トップを走行中にオストカーブ手前のシケインで周回遅れのサラザールをパスしようとした際、サラザールは譲らず接触。2台は絡みながらタイヤバリアにクラッシュした。
ピケはシートベルトを引き裂く勢いですぐさまマシンを降り、ヘルメットを被ったままのサラザールを突き飛ばして蹴りの動作を見せるなど(空振りに終わるが)怒りをあらわにした。
■1987年ベルギーGP:マンセルVSセナ
前年にはウイリアムズのピケとナイジェル・マンセル、そしてマクラーレンのアラン・プロストによる三つ巴のタイトル争いが繰り広げられたが、惜しくも王座を逃したマンセルの傷は癒えていなかった。そんな中で迎えた第3戦のベルギーGPで、マンセルはロータスのアイルトン・セナと首位を争う中で接触。マンセルは怒り狂った。
ポールポジションからスタートしたマンセルは、不調のライバルを尻目にレース序盤をリード。しかしクラッシュによる赤旗でレースが再スタートとなると、そこでセナにトップを奪われた。マンセルはスタブローでアウトから抜きにかかったが、そこで2台は絡むことになったのだ。
その後マンセルはロータスのガレージへと乗り込み、セナの胸ぐらをつかむ騒動に。メカニックたちが割って入ったことで、マンセルはドアの外へと誘導された。
■1989年日本GP:セナVSプロスト
あまりにも有名な“セナプロ”の接触の第一幕。当時、マクラーレン・ホンダでタイトルを争っていたセナとプロストのライバル関係は既に激化しており、プロストは翌年のフェラーリ移籍を決断すると、イタリアGPでは表彰台で優勝トロフィーを観衆に投げ渡してロン・デニス代表を怒らせるなど、チームとの関係は冷え切っていた。
そんな中で迎えた日本GP、選手権をリードするプロストはここでタイトルを確定させられる可能性があった。セナはスタートに失敗するも猛追し、シケインでプロストのインをついたがここで2台は接触。セナはレースに復帰してトップチェッカーを受けたが、シケイン不通過が問題視され失格となった。
こういった形でフランス人のプロストのタイトルが決定したため、セナはフランス人のFIA会長ジャン-マリー・バレストルによる陰謀であると公然と非難した。
■1990年日本GP:セナVSプロスト
歴史に残る接触は2年連続で起きた。この年も鈴鹿がタイトル決定戦となったが、今度はセナがフェラーリのプロストをリードしている状態だった。
ポールポジションのグリッド位置を巡ってレース前から一悶着あったが、結局スタートでは2番グリッドながらクリーンなレコードライン側から発進できたプロストが好スタート。しかしセナは1コーナーでプロストに突っ込み、両者リタイア。セナのチャンピオンが決まった。
元々、ポールシッターがレコードライン側につけることは審査委員から承認を受けていたが、バレストル会長によって覆された。そのためセナは後に、「自分が正しい位置からスタートできないなら、プロストに先行された場合は1コーナーで行くつもりだった」と、FIAの偏向に対する抗議の意味も含めた故意の接触だったことを認めた。
■1992年フランスGP:シューマッハーVSセナ
1992年のフランスGPのスタート直後には、アデレードペアピンで当時フル参戦1年目だったミハエル・シューマッハーがセナに突っ込み、セナはリタイアに追い込まれた。
その後レースは赤旗中断となったが、レーシングスーツから私服のセーターに着替えたセナはグリッドでシューマッハーを呼び出し、“ドライビング・レッスン”という名の厳しい説教をした。この様子はTVカメラにも収められたが、マイクを向けようとした者は怒るセナに払い除けられた。
■1994年オーストラリアGP:シューマッハーVSヒル
この年のF1を席巻したベネトンのシューマッハーの初戴冠は、後味の悪い幕切れを迎えた。
度重なる失格や出場停止によって、ウイリアムズのデイモン・ヒルをわずか1ポイントリードした状態で最終戦を迎えたシューマッハー。そこで彼は36周目のターン5でウォールに軽くヒットしてしまい、ダメージを負ったところにヒルが迫ってきた。
しかしシューマッハーは、インに飛び込んできたヒル(シューマッハーもヒルの存在を視認していたように見える)に寄せていく形でターンインし、両者接触。ふたりは共にレース続行不可能となり、タイトル争いがここで決着した。
1995年イギリスGP:シューマッハーVSヒル
前年の遺恨を引きずる両者の関係は、前戦フランスGPでシューマッハーが『ヒルにブレーキテストされた』と主張したことでさらに悪化。シューマッハーを憎く思うヒルの地元イギリスの観衆が見守る中、シルバーストンの緊張感は高まっていた。
レースはヒルがポールからリードしていたが、ピット戦略でシューマッハが前へ。46周目に仕掛けるもバックマーカーの影響で追い抜きを断念したヒルは、ニュータイヤのアドバンテージが失われつつある中でプレッシャーを感じたが、シューマッハーに強引に突っ込み2台はグラベルの餌食となった。
この一件でウイリアムズのフランク・ウイリアムズ代表はベネトンのフラビオ・ブリアトーレに謝罪する事態に。ヒルには「ライバルに対して優位なマシンを持ちながらも苦戦している」との印象が強まることになり、これが翌1996年にタイトルを獲得しながらもチームを放出される一因となった。
■1997年ヨーロッパGP:シューマッハーVSビルヌーブ
1997年のタイトルは、ウイリアムズのジャック・ビルヌーブとフェラーリのシューマッハーにより争われた。ヘレスで迎えた最終戦、1ポイントリードしていたシューマッハーは、48周目にインから追い抜きを仕掛けてきたビルヌーブに向かってステアリングを切り、接触した。
3年前のアデレードとは違い、この動きは功を奏さなかった。シューマッハーはそのままリタイアとなったが、ビルヌーブは走行を続けて3位でフィニッシュしたことで逆転タイトルを手中に収めた。
この件はこれで終わりではなかった。FIAはシューマッハーの動きを問題視し、彼を1997年のチャンピオンシップから除外することを決定。過去に例を見ない重い処分が下った。
■1998年ベルギーGP:シューマッハーVSクルサード
雨の中行なわれたこのレースは、デビッド・クルサードにとって思い出したくもない1日だろう。
当時マクラーレンのクルサードはスタート直後にコントロールを乱し、グリッドの約半数が巻き込む歴史的なマルチクラッシュの元凶になった。さらに赤旗で仕切り直しとなったレースでは、トップを走るシューマッハーに周回遅れにされる際にミスコミュニケーションがあり、追突事故を起こしてしまった。
クルサードは先に行かせるべくスロットルを緩めたが、水煙で視界が遮られていたシューマッハーはそのまま追突。3輪でピットに戻ったシューマッハーはマクラーレンのピットへ殴り込み一触即発となったが、フェラーリのスタッフに制止されたため乱闘は避けられた。
■2017年アゼルバイジャンGP:ベッテルVSハミルトン
“火の国”と呼ばれるアゼルバイジャンでは、しばしばドライバーの怒りの炎も燃え上がる。2017年のアゼルバイジャンGP、セーフティカーラン中にメルセデスのルイス・ハミルトンにブレーキテストをされたと感じたフェラーリのセバスチャン・ベッテルは、ハミルトンの横に並びかけて意図的にホイールをぶつけたのだ。
ハミルトンは当時、セーフティカーの速度が遅すぎることに不満を訴えていた。ベッテルは自身の主張を一貫した貫いたが、スチュワードがデータを精査した結果、ハミルトンが意図的に減速したとは認められないと判断。ベッテルには10秒のストップ&ゴーペナルティとペナルティポイント3点が科された。
■2018年アゼルバイジャンGP:リカルドVSフェルスタッペン
今となっては忘れ去られそうになっているが、かつてレッドブルには実力伯仲のふたりのドライバーが揃っていた時期があった。後の4度のワールドチャンピオン、マックス・フェルスタッペンと、ダニエル・リカルドのコンビもそのひとつだった。
2018年当時のレッドブルはパワーユニットでライバルから後れを取り、アゼルバイジャンGPの優勝争いは望めない状況だったが、フェルスタッペンとリカルドの4位争いは優勝争いかのように白熱していた。一度はフェルスタッペンを抜いたリカルドだったが、ピットストップの後に再びポジションを奪われてしまい、ホームストレートで再び追い抜きを仕掛けていたところだった。
しかし、一旦アウトに振ったリカルドがブレーキングでインに飛び込んだ瞬間、一度はアウト側をディフェンスしたフェルスタッペンもイン側に戻ってきたことでリカルドが追突。両者リタイアとなった。
この騒動に対するチームの対応がフェルスタッペン寄りだと感じたリカルドは、同年限りでレッドブルを離脱することになった。
■2021年イギリスGP:ハミルトンVSフェルスタッペン
このシルバーストンでの接触は、メルセデスのハミルトンとレッドブルのフェルスタッペンによるタイトル争いが苛烈になっていく上での“前菜”のようなものに過ぎなかった。
COVID-19のパンデミック以降初のフル観客動員レースとして、祝祭的な雰囲気があったイギリスGP。スプリントからハミルトンとフェルスタッペンの争いは激しさを増していたが、決勝レースのオープニングラップでは、旧ホームストレートを向けた先のコプスコーナーで2台が接触してしまった。
コプスに向かってインから仕掛けたが、進入の角度的にもう少し引く必要のあったハミルトンと、毛頭譲る気などなかったフェルスタッペン——。ふたりの思いは交錯し、ハミルトンの左フロントとレッドブルの右リヤがコンタクトしたのだ。
フェルスタッペンはコース外へ弾かれ大クラッシュしたが、一方のハミルトンは10秒ペナルティをものともせず優勝。この結果に、フェルスタッペン陣営の不満は爆発した。レッドブルはフィルミングデーを使って当時テストドライバーのアレクサンダー・アルボンによる事故の再現まで行ない、ハミルトンに更なる処分を求めたが、再審査には値しないとのFIAの判断が下された。
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