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ベン・アフレック語る──監督業から離れた理由、ハリウッドとAI、ゴシップとの向き合い方

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ベン・アフレック語る──監督業から離れた理由、ハリウッドとAI、ゴシップとの向き合い方

先鋭的なヴィジョンを掲げて制作会社を設立して以来、ベン・アフレックは第一に経営者、第二に監督、そして第三に俳優として映画制作に携わってきた。だが、世界で最も有名な映画スターのひとりであるという事実は、そう簡単に覆るものだろうか?

ベン・アフレックの制作会社アーティスツ・エクイティの会議室の窓からは、南に何キロも広がるロサンゼルスの街が見える。右側には海があり、左にはダウンタウン。その間を鳥たちが静かに飛び交っている。山火事が発生して街を飲み込みはじめてからまだ2週間も経っていない1月の月曜日、鳥たちの姿が不思議と心を落ち着かせる。生命が戻りつつあることを示す兆しに感じられるのだろうか。

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背が高く、髪に少し寝癖がついたまま、ミットのような大きな手を差し出したアフレックは、報道とは異なりほとんど被害を受けなかったが、他のみんなと同様に神経質になっていた。「私についても報道されていましたよね」と、彼は申し訳なさそうに言う。「家が全焼したとか、いろいろなことが書かれていました」

だが実際、彼の家は全焼しなかったし、その家から1ブロック離れたところに借りている家も全焼しなかった。とはいえ、大勢の人と同じように彼もまた、一時的に避難しなければならなかった。こうした情報を正すのは、アフレックにとって日常茶飯事だ。「考えていたんですよ。今回のインタビュアー(この記事の筆者である私のことだ)はきっと、3つの『デイリー・メール』の記事を読んで私がどんな1週間を過ごしたのかを想像しているんだろうなって」

アフレックが広く知られるようになったのは、友人のマット・デイモンとともに脚本と出演を務めた1997年の『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(以下グッド・ウィル・ハンティング)』からだ。それから途切れることなくスポットライトを浴び続け、もう少しで30年目を迎えようとしている。その間着実にキャリアを重ね、アカデミー賞を2度受賞し、またその執拗さと激しさにおいて他の追随を許さないほど過剰なタブロイド紙の詮索を受けてきた。

「有名人のメロドラマを追うのが好きな人は一定数いますから」とアフレックは言う。「その人が作ったり出演したりしている映画とは無関係なメロドラマをね。みんなが興味があるのはいわば世間的なメロドラマで、気づいたら自分がそのドラマの登場人物になっているわけですよ。自分が脚本を書いたわけでもなく、監督したわけでもなく、自分が出演していることにすら気づいていないのに、間違いなく出演しているんです」

このメロドラマによってアフレックは、古典的とすらいえる物語の登場人物となった。急に注目されたと思ったら、劇的な転落を経験し(ここでよく引用されるのは、当時の恋人で後に復縁するジェニファー・ロペスと共演した2003年の『ジーリ』だ)、2007年の『ゴーン・ベイビー・ゴーン』、2010年の『ザ・タウン』、そしてアカデミー賞作品賞を受賞した2012年の『アルゴ』によって監督として段階的に復活を遂げ、かつて画質の粗い写真に収められた、自身の背中に彫られた不死鳥のタトゥーのように、再び上昇するという物語だ。

この話は、正確に言えば正しくないが、真実の要素を含んではいる。アフレックは大人になってからの大半の日々をずっと、このメロドラマの登場人物としての自分を相手にシャドーボクシングをして過ごしてきた。今日に至るまで、彼はいまだに自分のことを『グッド・ウィル・ハンティング』で演じたあまり賢くないタイプや、あるいは2000年代初頭のタブロイド好みのプレイボーイだと思い込んでいる人々に会うと言う。この映画でデイモンは天才の役を演じたが、「マットの数学の才能は、天才にはほど遠いですけどね」とアフレックは言う。

現実のアフレックは52歳で、2度の離婚を経験した3児の父親であり、ほぼ毎日オフィスに通っている。「もう中年です」と言う彼の口調は、そこまで悲観的ではない。メディアは何年にもわたり毎週のように彼のカムバック・ストーリーを引き合いに出し続けているが、彼は長いあいだ映画の主役として(アーティスツ・エクイティの入り口には、他のものに交じって、アフレックが着用した古いバットマンのスーツが飾られている)、また最近では経営者として、ハリウッドのまさにトップレベルに君臨してきた。

アフレックは2年余り前、悪名高い不透明で複雑なスタジオの資金調達システムから主導権を取り戻すため、デイモンとジェリー・カルディナーレと共にアーティスツ・エクイティを設立した。彼が最後に監督した『AIR/エア』(2023年)はアーティスツ・エクイティの作品で、2016年に意外なヒット作となったアクション映画『ザ・コンサルタント』の続編『ザ・コンサルタント2』もそうである。全米では4月に公開されたこの作品で、アフレックは再び主演を務めている。

そんななかでも、彼の人柄としか言い表しようのないものをアフレックは失わずにいる。以前「最もセクシーな男」に選ばれた彼は、同時に荷物を落としたり、コーヒーをこぼしたりする姿を日常的にパパラッチに撮られている男でもある。それに、自分を放っておいてくれないセレブ業界に対するコンプレックスに長年苦しめられてきたにもかかわらず、インタビュアーの前では驚くほど正直で饒舌になる。最初のインタビューの最後には、喋りすぎたことを謝ろうとしたくらいだ。

「ある意味、私のインタビューはあまり面白くならないような気がします。振られた話題なら、なんでも話してしまいますから」とアフレックは言う。最後の部分はそのとおりだ。

名声との付き合い方

──タブロイド紙といえば、今週読んだ記事に、FBIがあなたの家を訪問したというものがありました。いい例ですね。FBIは確かに私の家にやってきました。でも実際に何があったかを話せば、私が家に帰ると「FBIが私の家に来た」という記事が出ているのを見つけたんです。「これはおかしい」と思ったので、電話して「すみません、FBIですか? 家に来たんですか? 何か話があるんですか?」と訊きました。そうしたら「え? 知りません」と言われ、電話を色々な人に回された挙げ句、ようやく責任ある立場の人が出て、「ああ、でもあそこがあなたの家だとは知らなかったんですよ」と言われたんです。近所で連邦政府高官の家に空き巣が入った事件があったようで、そこでFBIが近辺を回り、所構わず呼び鈴を鳴らしていたそうなんですが、私の家の外で張り込んでいたカメラマンたちが、FBIのジャケットを着た人たちが家に入っていくのを見かけたことで「FBIがベン・アフレックの家に来た」という話が生まれたというわけです。その記事を書いた人は、マンデヴィル・キャニオンの3、4km上空でヘリコプターに激突したドローンに関する捜査と、FBIが私の家に来たことが関係しているかのような話をでっち上げています。でも結局、関係などしていません。実際、私たちはドローンが飛んでいた場所からかなり離れた場所にいましたしね。ですから、私の家にFBIが来るのを見かけたと言われても、私には何のことだかさっぱりわからなかったんです。私が関わったことといえば、実際に起きたことを突き止めて真相を解明することだけでした。

──見知らぬ人が目の前に現れて、昨日フェデックスの小包が届きましたよね?などと言われるのは、今でも奇妙なことに思えますか?不条理でばかげているとはわかっています。私の人生における日々の出来事や、一緒にいるところを写真に撮られている人たちとの会話には、ニュースになるようなことは一切ありません。よくあるのは、「~さんは~の最中にこんなことをしている」というように、2つの事柄の間に何らかの関係があることをほのめかすような大胆な書き方ですね。言い換えれば、大きな出来事というのは常に何らかの形で起きているわけですよ。世界的なことであれ、たとえば、パーキングメーターにイライラするというような、個人的な出来事であれ。そうしたことはすべて、笑い飛ばせるというのもわかっています。

そうして結局、「私は自分の人生で何が起きているのかを知っている」ということが重要なのだと思うようになりました。そしてもっと重要なのは、子どもたちもそれを知っているということ。元妻と私は、子どもたちがスーパーでタブロイド紙の見出しを見かけたら、こう言うようにしていました。「ここに書いてあることがいつも本当だとは限らないんだよ。もしそうだとしたら、君たちには15人のきょうだいがいることになる。ママが妊娠したっていう記事もたくさんあるからね」と。それに、幸運なことに私は、共同親権を持つパートナーとして、子どもたちの母親でもあるジェニファー・ガーナーといい関係を築いています。彼女は本当に素晴らしい人で、ふたりでうまく協力してやっているんです。人に過剰に注目されるのは何よりも頭痛の種ですし、フェデックスの話よりもひどいことがあるのは確かです。いまだに理解できません、なぜ自分が興味の対象になるのか……。

──持論はないんですか?私は自分の見え方に、そこまで注意を払っていないのだと思います。だから、荷物や配達物を受け取りに行くときに、人が待ち構えていて写真を撮られても気にしません。それこそ、もっと賢い人や戦略的な人もいるのでしょう。たとえば「こんなTシャツを着ているところや、飲み物をこぼしたところを見られたくない」というように。でも私はただ「そんなこと、どうでもいいじゃないか、くだらない。自分はただコーヒーが飲みたいだけなんだ」と思うんですよ。だから、そういったことも関係しているのかもしれません。人々はより作為的な、作り上げられた写真を見るのに慣れていますから。私の人生にはドラマなんてありませんよ。だから、人と同じような出来事があったとしても──あなたはきっと心のなかで今、つい最近離婚したばかりなのにドラマがないなんて言えない、と思っているかもしれません。直感的にそう思ってしまうのは理解できますが、そういうことは全部大人にはよくある話ですから。センセーショナルに書きたてている割には、実際に私を目の前にしてそのことについて尋ね、私が「実際は、こういうことだったんです」と話したら、すぐに記者たちの目は退屈のあまり虚ろになってしまうと思いますよ。

──私が今何を考えているかわかりますか? あなたは確かにジェニファー・ロペスと離婚したばかりです。そして、彼女が昨年発表したドキュメンタリー映画『グレイテスト・ラブストーリー・ネバー・トールド』には、あるシーンがあるんですが──いや、1つではなくもっとあるんですけどね。というよりも、映画のそもそもの前提として彼女は「私たちはプライバシーを大切にしていますが、アーティストとして公的な側面もあるので、ふたりのことをたくさん見せていこうと思っています」というスタンスですよね。あなたも映像に映っていますが、これを聞いたときのあなたの顔は──あくまで推測ですが──深いため息をつきながら「ああ、また始まった」と言っているように見えます。でも同時に「私はこの人を愛しているし、応援しているんだ」と言っているようにも見えるのですが。1つには、「このドキュメンタリーに関与するのなら、自分に正直なやり方で、しかも面白いやり方でやってみたい」と思っていたというのがあります。それは、面白い考察になると思ったからです。前にお話ししたように、私よりもうまく巧みに名声と付き合えているように思える人はたくさんいます。ジェニファーもその1人。私は彼女よりも少し控えめでプライバシーを尊重する性分なんです。恋愛関係でよくあるように、こういうことに対する態度はいつも同じとは限りませんよね。だから、どうすれば折り合いがつけられるのだろう、興味深いなと思ったんです。というのも、あなたが言ったことはまさに真実だからです。私は彼女を愛しているし、応援している。彼女を信じているし、彼女は素晴らしい人です。ぜひそこを観てもらいたいと思っています。あの映画の中で、というよりも使われた部分で私は、「船の船長と結婚して、『私は海に出るのは好きじゃない』なんて言わないものだ」と言っています。どんな関係を持つことになっても、最初からわかっていることは、受け入れなければならないんです。そして重要なのは、それが大きな亀裂が入った原因ではなかったということ。あのドキュメンタリーを観て、「ああ、このふたりが抱えていた問題がわかった」とは言えないんですよ。

──私たちは今、あなたの制作会社アーティスツ・エクイティの会議室にいますが、実際に9時から5時までここで働いているんですか?ええ。そうしはじめた理由は、自分にとって最も重要なのは、親であることと同時に、子どもたちのそばにいることだと気づいたからです。そして自分のためだけにオースティンやルイジアナなどへ映画を撮りに行けば、二度と戻せない時間を失うことになると悟ったからです。当時子どもたちは8歳、11歳、14歳でしたから、彼らとの大切な時期を逃したくないと思いました。そこで、遠出をせずに自分の仕事ができる方法を考え、それに合わせてスケジュールを組もうと考えたのです。

──これまでのキャリアで、休みを取ったことはありますか?取ろうと思って取ったことはないですね。経験が人を作ると言いますよね? 俳優になるために苦戦していた時期もありますが、その年月は実際よりも大きく長く感じられます。今振り返るとこのときは、人生の一部にすぎませんでした。でも10代や20代前半は、うまくいくかどうか、チャンスがもらえるかどうか、わからない時期が続いていましたね。ただ「自分は俳優で、映画監督で、脚本家兼ウェイターだ」と自己紹介せざるを得ない状況から抜け出して、実際にそうした仕事で生計を立てていきたいという強い願望がありました。そうして初めて仕事をする機会を得て、その後15年かそこらは、足を止めたらチャンスが得られなくなるといった恐れの方が強かったように思います。

──お父様も脚本家や映画監督を志望されていましたが、うまくいかなかったそうですね。その「絶対に足を止めてはいけない」という強い気持ちは、あなたの育った環境と関係していると思いますか?それはあるでしょうね。父は俳優にも監督にも脚本家にもなりたいという野心を持っていました。子ども時代、父から見て取ったのは、自分の望みを達成できていないことに悩む姿でした。父は自動車整備士で、バーテンダーで、用務員で、大学なんかの施設の清掃や保守の責任者でもありましたからね。間違いなく父が望み通りにできていないことは気づいていました。同じように何かを成し遂げられなかった親を持つ他の俳優たちとも、そのことについて話したことがありますが、何ていうか、落ち着かない気持ちになりました。そういう親を持つ者にとって、仕事を断ることはとても難しいんです。この業界における真の矛盾ですが、皮肉にも、ノーと言える能力の方が実はずっと役に立つんですよ。

経営者として目指すもの

──リスクと報酬を全員で共有するという考えのもと、2年半前にアーティスツ・エクイティを創設されましたが、これまでのところは順調ですか?とてもうまくいっています。この会社が理念として掲げていることに、アーティスト、監督、俳優たちは、映画の完成度にとって最も有益なことにお金を使う自由を、より幅広く獲得するという考えがあります。これによるデメリットは、同時に責任も負わなければならないこと。予算オーバーになれば、それは自分の責任になります。ですが、このやり方なら、誰もがより健全な方法で同じ目的を目指せるようになると私は信じています。弊社のスタッフの賃金についても、前回見直したときは、彼らがこれまでもらった最高金額より15%も上回っていました。それはボーナス制度を導入しているからです。私たちはいくつかの異なるモデルを実験的に導入しているのですが、1つ目のモデルは「みんなで目指す目標はこれで、達成できれば、スタッフ全員に追加報酬があり、ボーナスも追加される」というものでした。そうすることによって、みんなもっと力を合わせるようになるんですよ。

──今後、アーティスツ・エクイティはどうなっていくと思いますか?これまで私たちは多くの作品を制作し、多くの映画を世に送り出してきました。まだ一般公開されていなくても、自信を持っている作品はたくさんあるし、これから制作を始めようとしている作品も多々あります。そういう意味では、それが第一段階のような気がしています。第二段階としては、統合しようとしているデータプロジェクトがあって──

──それはAIのことですか? あなたは「AIを受け入れよう」と言う、この業界では数少ない人物のひとりのように見えますが。いや、実は……AIについて話すとき、私は業界として何をすべきかについて、より大きな視点で話しているだけなんです。言うまでもなく私自身はAIを使っていませんが、この業界と映画という芸術にとって、AIがどのような意味を持つことになるのか、すごく注意して見ています。初めてAIを見たときは、恐怖を感じましたね。このままではやられてしまう、と思いました。私たちがしていることが簡単に複製されてしまうなんて、何ということだろうと。人間がありったけの力と時間を費やして取り組み、外に出ていって映画を撮影し、物語に命を吹き込もうとしているというのに、パソコンでならキーを押すだけでそれができてしまうんですから。でも、キーを押すだけでは実際にはできないんですよ。それどころか、率直に言って私たちがしていることは、他の大半の業界や仕事よりもAIの介入に、より大きな耐性があるのかもしれません。ですが同時に、AIは便利なツールとして使えるはずなんです。私が強い関心を持っている理由には、たとえばAIの介入によって生じる収益の振り分け方をはっきりさせたいというのがあります。今その流れをはっきりさせておかなければ、かなり難しくなると思います。

──あなたが以前おっしゃっていたのは、人は自分たちだけの『メディア王~華麗なる一族~』のエピソードを作ることができるということですよね。そう言われると、暗いディストピアのように思えてしまうのですが。もしあなたが『メディア王~華麗なる一族~』に出演していたとしたら、組合が介入して交渉すべきで、あなたはどんな番組や作品についても、「AIによって再生産されないようにしたい」と言うべきです。それはつまり、あのセリフを言ったのは私ではないとか、あんな演技はしていないということがありえるから。それについて不快であることを伝える。でも、もしAIの使用に賛同するなら、それで儲けている人たちと同じように私も報酬をもらいたい、と主張しなければなりません。あくまでもどうするかを決定したり指示したりするのは人間であり、またそれによって変わる人間が得る報酬の割合の仕組みが明確にされているべきだと思います。

──では、もし誰かがあなたのところにやってきて、「『グッド・ウィル・ハンティング』のシネマティック・ユニバースを作るから、若い頃のマットとベンの権利が欲しい」と言われたら、何と答えますか?わからないですが、必ずしも快くは思わないでしょうね。誰もそんなことを訊いてきたことはありませんから、よくわかりません。それにあの映画は、そうしたことが不可能だった時代とのつながりを感じさせるので、変だなとも思います。でも、人の遺産は売れていきますし、率直に言って、それは素晴らしいことだと思います。もし受益者が私の姿形を売りこんで、VISAカードのコマーシャルのナレーションか何かをやらせたいと言ってきたら……私に何が言えます? とことんやってくれ、どうせ私はいないのだから。自分の孫にとってまだ価値があるものならば、どうぞ売りこんでくれ、という感じですかね。

──経営者としてだけでなく、映画業界の予言者としてのお話を伺えて興味深いのですが、現役俳優として『ザ・コンサルタント2』の撮影に臨まれたわけですよね。何か背中を押されるものがあったのでしょうか?この業界に入ったとき、私は監督志望でしたし、実際にそれまで短編映画を監督していて、また脚本も書こうとしていました。もちろん俳優にもなりたいと思っていました。あの頃は、いわばDIY的な映画制作がなされるようになっていた時期です。(ニック・)カサヴェテスをはじめ、インディペンデントの映画制作者たちが出てきた90年代というのは、『レザボア・ドッグス』や『クラークス』、『スラッカー』、そして(1989年の)『ドゥ・ザ・ライト・シング』など、いわゆるスタジオシステムの外にいる人たちによって作られた映画があった時代でした。そうした映画は面白かったし、野心に溢れていた。映画をやりたいという強い願望が生まれた頃に私が学んだのは、「ハーヴェイ・カイテルに出演してもらえば、100万ドルを手に入れて『レザボア・ドッグス』を作ることができるんだ」ということでした。ですから『グッド・ウィル・ハンティング』の脚本を書いているときですら、そうした商業的なことを常に頭に入れておかなければならなかった。考えたのは、大予算の映画で出演が私たちであれば誰も投資しないだろうから、ボストンの部屋や通りを舞台にした小規模な映画にして、高い制作費はかけないようにしよう、でも、大物俳優を出演させなければ誰も制作してくれないだろう、ということでした。ならば、その俳優が何週間も稼働しなくてすむように、脇役を作ろう。でも大物俳優も含む全員に素晴らしい独白をさせ、心に残るセリフを言ってもらおう、などと考えていましたね。ですから、自分が制作しているものと、それにかかる費用、そしてそれをどうやって人々に届けるかの関係性を考えるという意味では、経営者的なものの見方はいつも頭のなかにあったわけです。

実生活を反映した役選び

──『グッド・ウィル・ハンティング』の脚本の共同執筆者であるマット・デイモンは、俳優以外のことをやりたいようにはほとんど見えないという点で、あなたとは興味深い対比を示しているように思えます。私は俳優をやりたいのも山々ですが、映画を監督することに一番満足感を覚えます。あなたはこれからきっと、役者としてのキャリアをマットと比較しようとしているんですよね。それについて私が言えるのは、マットは映画をやるかやらないかを決める根本的な基準として、誰が監督するのかを重視することを、私よりも早く学び、理解していたということです。それは非常に賢いことだと思います。彼はそうして選んだ映画にいくつも出演してきました。別にだからといって私が「(マーティン・)スコセッシもダメ、(スティーヴン・)スピルバーグもダメ、あなたの映画になんか出ません」と言っていたわけじゃないんですけどね。私たちはふたりともチャンスに恵まれた環境にいるし、それに応じるだけです。

──今、もう一度俳優に戻るのはなぜですか?自分の仕事がすごく好きになりはじめたのは、やるかやらないかの選択ができる境地にようやく達したときだと思います。監督業が中心になっていくなか、ふと、自分が本当に好きな作品で演じてみようと思ったんです。

──なぜその境地にたどり着くまで、長い時間がかかったのでしょう?私は遅咲きですからね。

──そうなんですか?実は、ある意味ではそうなんです。それに私は、自分が経験したことのない人生経験を演技にできる俳優に畏敬の念を抱いています。それは私にはない才能ですから。俳優として私ができるのは、自分に大きな影響を与えた経験の断片を、演じる人物のニーズに合うように組み立て直すことくらいだと思います。

──あなたはあまり個人的な経験を役に活かす俳優だと世間で思われていないかもしれませんが、これまで演じてきた役には、たとえば『グッド・ウィル・ハンティング』にはお父様の要素が見て取れますし、『ハリウッドランド』や『ゴーン・ガール』には名声やスポットライトを浴びることが描かれ、またより最近では『ザ・ウェイバック』でアルコール依存症の役を演じるなど、あなたの人生が垣間見られるように思います。そうしたことの多くは、後になって顕著になりましたよね。もっと顕著になったと言った方がいいかもしれません。『ザ・ウェイバック』では、「いいか、私がアルコール依存症から回復途中であることを、みんなもう知っているんだから、それと向き合おうじゃないか」という感じでした。それほど気にしていなかったんです。もしかするとその影響を過小評価していたのかもしれないですね。アメリカ中のアルコール依存症から回復しようとしている人たちを代表するスポークスマンになろうなんて狙いはありませんでしたから。それを恥じているとか、そういうことでもないんです。ただ、5年以上禁酒していると、そのことが頭の中心から外れて、人生における重要な関心事ではなくなる。でも当時は間違いなく、それについて格闘していましたし、考えていました。そして、実際に経験していることならば、もっとリアルに演じられ、もっと深く人々とつながることができるということもわかっていました。幸いにも、私は子どもを亡くしてはいないですが、それがこの物語の核心であり、人生においてそれ以上に悪いことは考えられません。ですから、両方の組み合わせなんです。自分の人生経験を持ち込むこともあれば、想像しなければならないときもある。

できることなら、禁酒しているということは知られたくありませんでした。その方がいいと思うからです。自分が望んでそうしたことを人に知られるようになったわけでもありません。でも、文句も言えない。この仕事をして、この人生を歩んでいる以上、あんなことになれば、人々に知られることになるとわかっていたし、実際そうなりました。以前は考えられませんでしたが、今ではあの経験を自分の人生の一部として、心から感謝して捉えられるようになりました。実際はそういうことです。

約30年のキャリアを振り返って

数日後、私はアフレックと、アーティスツ・エクイティにある彼のオフィスでもう一度会った。キャビネットには、MTVムービー・アワードの特徴的なポップコーン型のトロフィーの横に、2つのオスカー像が置かれている。

それまで彼を取り巻いていたタブロイド紙による火災関連の報道はいくぶん収まり、アフレックは落ち着いているように見えた。もしかするとそれは、風格あるブルネロ クチネリのカーディガンを着ていたからかもしれないが。「一級品しか着ないし、流行にも敏感なんです」と、彼は自虐してみせる。

──前回のインタビューを終えて、どうでしたか?そうですね、まず初めに、きちんと言いたいことが伝わっているといいなというのはあります。ジェンと彼女のドキュメンタリーのことを尋ねられて、そのことや私生活について少し話しましたが、私の感情や意図や信念がきちんと伝わってさえいれば、話すことは構わないと思っています。それを踏まえたうえで、私が彼女をすごく尊敬しているということが伝わっていればいいのですが。

それと、公私の生活の間に引かれた境界線にどれだけ居心地の良さを覚えているかという点に対して、ジェンと私の考え方が違うと推測したり、探ったりしたいと思うのはわかります。でも、話した内容のどの部分が使われようとも、私がそれについて否定的であるとか、批判的であるという印象を与えないことを願っています。彼女に対しては尊敬の念しかありません。誰かが別れたとなると、根本的な原因などを特定したがる傾向がありますよね。でも正直なところ、前にも話したように、真実はおそらく人々が信じたり、興味を持ったりすることよりもずっと平凡なのです。

──大きな出来事は特にないという意味で、平凡?ええ。スキャンダルもなければ、メロドラマも、興味をそそることもありません。実際、誰かに「何があったの?」と尋ねられても、「こういうことがあったんだ」という端的な答えにはなりませんよね。何があったかと言えば、自分たちの人生や関係を、みんなと同じように普通に解決しようとしていたにすぎないのです。そして、歳を重ねるにつれて、これは私にも当てはまり、ほとんどの人にも当てはまることだと思うのですが、「誰々のせいだ」とか「あの出来事があったから」なんてことはなくなっていきます。本当に、カップルセラピーの会話を聞いているみたいになっていくんです。しばらくすると、他人のカップルセラピーなんて聞き流すようになるでしょう? 初めは「明らかにこの人は問題を抱えているし、ふたりの間には問題があるんだな」と思ったとしてもね。そうしたことを私が公開したくないのは、ただ恥ずかしいからです。とても無防備なことに思えますから。

──前回伺った話を思い返すと、あなたがタブロイド紙の報道について頻繁に質問される理由には、それについてあなたが非常にうまく答えられるからというのがあるのではないでしょうか。世界とそこでの自分の居場所について、明らかによく考えていますよね。そういったことについて理解するために、分析を余儀なくされてきたからです。いったい何なのだろうと。というのも、「毎日同じ服を着ていれば、どの写真も区別がつかなくなるだろう」とか「だらしない人間だと思われてもいい」と、自然と考えるようになっていくんです。でも、それじゃだめなんです。そんなこんなしていたら、コーヒーをこぼす哀れなアフレックのミームになってしまうだけなんですよ。それはそれで面白いんですけれどね。ですから、それは単にどうしたらいいかを考えることに時間を費やしてきた結果だと思います。

──あなたは52歳です。『ザ・コンサルタント2』のような映画に出演したとき、「あと何回アクション映画に出られるだろう?」と考えたりはしますか?体力的にですか? それはもちろん。以前は「格闘シーンもスタントも全部自分でやる」と意気込んでいましたが、今は「どの時点でスタントマンが来てやってくれるの?」という感じです。その理由には、彼らの方が私より上手だということがありますし、見栄えのする人にやってもらいたいものでしょう? まったく利己的な見方をすれば、自分でやってもただ怪我をして疲れるだけですからね。それについてはマットとも話していたんです。彼はクリストファー・ノーランの映画に出演する予定で、スタントのリハーサルをたくさんやる羽目になっていますよ。それも、参ったな、こんなことをやるのは随分久しぶりだ! という感じで。彼は格闘シーンに本格的に取り組まなくてはなりません。『ボーン・アイデンティティー』のために彼がやったことを思い出させる、それくらいの勢いでね。

でも、なぜ私が『ザ・コンサルタント』を面白いと思ったのかというと、ひとつには、自分にとって興味深い人物についてのドラマと、観客にとって馴染みがあって、より商業的と見なされるジャンルやストーリーテリングの手法とを融合させるのが好きだからです。そして蓋を開けてみれば、より観客層が大きいことがわかりましたし、私が興味を持っているような登場人物のドラマティックな物語にも、より忍耐強く付き合ってくれることがわかりました。ただし、より金がかかったVFXシーンへのギアチェンジがあれば、ですけれど。それに『ザ・コンサルタント』は、一風変わった男とその弟をある意味すごく興味深く描いていて、まさに私にぴったりな作品だったんですよ。

──あなたはハリウッドでのキャリアを子どもの頃から築いてきましたが、ご自身のキャリアについて考えたりしますか?私の俳優としてのキャリアは変わっていて、ある意味で人とはずれているように思います。満足して、演技が楽しいと思えるようになるまで、演技を続けることができたのは本当に幸運です。初めの頃はたくさんの映画に出る必要がありました。今、若い頃に出演した映画をわりと客観的に観返したりもしています。『グッド・ウィル・ハンティング』とか『恋におちたシェイクスピア』とか、『マネー・ゲーム』とか『チェンジング・レーン』などを観ながら、「いい演技してるじゃないか。こいつ、自分が何をやっているのかよくわかってもいなかったくせに、なんとかやってのけていいもの残してやがる」なんて思いながら観ていますね。自慢できないような演技もありますし、ああ、これは本当にひどいと思うものもある。自分は一体何をしていたんだろう? と思うことも。それでも業界にいられたわけですから、ラッキーです。私のキャリアは基本的に2つの曲線を描いていて、もしあの時点で終わっていたら全然違っていたかもしれません。監督業は、キャリアを立て直す一助となったし、それによってより賢くなり、より注意深く、思慮深くなることができました。

──キャリアを立て直すという話をされましたが、それは2003~2005年のことですよね。たくさんの映画に出演するも実を結ばず、まだ『ゴーン・ベイビー・ゴーン』も監督していない時期のことだと思います。しかし20年経った今でも、たいていのジャーナリストたちは、カムバックを示す図表のなかで、今のあなたがどこに位置するのかという筋書きを作ろうとしているように感じられます。まさにそれは嫌味が込められた褒め言葉ですよ。あなたに会った人が「実際に会うと、かなりイケメンなんだね」とか「きみは実はすごくいい人なんだな!」とか言うようなもの。実際に私は、本気でカムバックを果たさなければならなかったし、たくさん仕事もしなければなりませんでした。すごく勉強になりましたね。

私に起きた最高の出来事のひとつは、若くして大成功を収め、突然多くの人に好かれ、面白くてカッコいい人間になり、大して面白くないジョークでもみんなが笑ってくれるようになったと思ったら、今度は人気がなくなり、ダサくなり、もし関係を持ったとしても、その人のキャリアにとって何のプラスにもならない、もしかするとマイナスにすらなるかもしれないやつになったということです。心から信頼していたり、友人だと思っていたりした人たちとの関係がどうなったか。また身近な話だと、そうなっても自分と話してくれるのは誰なのか、誰が電話してくれるのか。自分の世界がそうやって変わっていくのを、目の当たりにしました。

──監督業がカムバックのための道だったとおっしゃいましたが、今こうして、他の人が監督した作品に出演されることに正直驚いています。監督をすれば、あらゆる不確定要素をコントロールできますが、俳優の場合はそうでもないですよね。そのとおりです。俳優はコントロールできません。それは重要な教訓です。

──これは少し特殊な状況だったのかもしれないですが、あなたが自ら話していた『ジャスティス・リーグ』の撮影中、ロンドンのホテルの部屋でひとりで惨めにお酒を飲んでいたという話を思い出しました(訳注:『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』や『ジャスティス・リーグ』でバットマンを演じたアフレックは、2019年に正式にバットマン役を降板し、その後シリーズの制作からも手を引いた。そこには『ジャスティス・リーグ』の制作トラブルや、アフレックのアルコール依存の問題が関わっていたことは、本人が語っている)。しかもかなり飲んでいました。

──そうでしたよね。あなたが「もう二度とあんなことはしない」と思っていたとしても、無理はありません。あれが本当に耐え難い経験だった理由はいくつもあります。そしてそれはどれも、スーパーヒーロー映画に出演していたからといった単純な力学と関係しているわけではありません。あの特殊なジャンルに再び足を踏み入れようとは思わないのは、そうした嫌な経験があったからではなく、ただ単に当時興味があったものに興味がなくなったからです。ですが、あのような経験をもう一度したいとは思いません。計画や理解、期待の点で、足並みが揃っていないところがたくさんありましたから。でもだからといって当時の私がその点で、軒並み素晴らしかったわけではありません。私にも落ち度があり、重大な失敗をしました──撮影の過程においても、人生におけるその時期においても。

──俳優としての失敗、それとも人間としての失敗ですか?俳優としての失敗は、いろいろな出演作を観て判断してください。でも、私の失敗というより、なぜあの経験が嫌なものになったのかという理由には、私が毎日仕事にたくさんの不幸を持ち込んでいたということがあります。現場にポジティブなエネルギーをあまり持ち込めなかった。問題を起こしたわけではありませんが、ただ現場にやってきて、自分の仕事をこなして家に帰るだけでした。でも、それ以上のことをしなければならないんです。とにかく言いたいのは、今のこの仕事(アーティスツ・エクイティ)は、そのような状況を避けるためのものだということ。パートナーシップ、映画制作者、出演者、そして提携しているスタジオの体制を整えることで、以前のようなズレが起きないようにし、より良い仕事ができるようにしたいと考えています。

──バットマンを演じていた時期を振り返って、まとまった考えや後になって考えたことはありますか?本当に楽しい時間でした。バットマンの映画を作るのは最高でしたし、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』もすごく好きです。『ザ・フラッシュ』にカメオ出演したことも、『スーサイド・スクワッド』でヴィオラ・デイヴィスと数日一緒に仕事ができたことも良かった。クリエイティビティに関して言えば、自分がバットマンを演じるうえで抱いていた考えや熱意が気に入っていて、それは年老いて、ぼろぼろになり、傷ついたブルース・ウェインと重なる部分があるように思います。それはまさに『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』で、私たちが追求したものでもありました。ですが、いざ作りはじめると、観客の大半よりもずっと年齢層が高い観客向けのものになっていったんです。当時、私の息子でさえ怖くて映画を観ることができませんでした。その様子を見たときに私は「大変だ、どうにかしなければ」と思いました。そのときに、そのままの道を進んでいきたい監督と、若い観客を取り戻したいスタジオの意見が食い違ったんだと思います。そうなると、2つの主体、2人の人間がまったく違うことをやりたがっていることになり、最悪の結果を招いたのです。

不完全な人物を演じたい

──その後は『僕を育ててくれたテンダー・バー』や『最後の決闘裁判』などで脇役をいくつかこなしましたが、その後はまた中心人物を演じるようになります。なぜ主役のほうが能力を発揮できるのか、考えたことはありますか?それがわかるほど自意識過剰ではありませんよ。でも、人々が私について書いたり、表現したりするのを見てきました。たいていは評論なのですが、私は自分が知っていたり、興味を持っていたりする主要な批評家の書いたものはほとんど読むようにしています。先日、ある批評を読んでいたら、そこには確か「言うまでもなく、アフレックは見事に汚れた主役を演じきっている」と書かれていて目を引きました。心のなかで「それは私の専門分野だからね」と思いながら読みましたけどね。『ゴーン・ガール』で演じた典型的な人物から、「そう、彼は主人公だが、実際はものすごく不完全な人間だということをみんな知っている」という役柄まで演じていますから。そういうキャラクターに引きつけられるんですよ。人は不完全だからこそ面白い。だからそうした役に没頭できるのかもしれません。

また、私が公人あるいは半分公人の生活を30年近く続けていることも、その理由の1つだと思います。悲観的で誇張された時期が続いたこともありましたし、その時間の長さを考えれば、「汚れた主役」という印象を持たれても納得できる気がします。たとえば、マット・デイモンと私では人々が抱く印象はまったく違うでしょう。よくある比較ですが。

──きっとあなたもそうだと思いますが、今でもあなたとマットを『グッド・ウィル・ハンティング』の登場人物と同一視している人に会うことがあります。あの映画を作ったときには、観た人がみんな、多かれ少なかれ、私たちを登場人物だと思い込んでしまうなんて思ってもいませんでしたよ。考えていたのは、この役になりきって、説得力を持たせられる演技をすればするほど、自分のためになる、ということでした。あの映画を作った目的は、マットと私が俳優としての仕事を得ることでしたから。人々は初めて私を観るわけですから、役柄は私そのものだと思い込ませるのはとても簡単でした。

でも当時のインタビューを読み返すと、「自分の知っているなかで一番難しい言葉を使おうとしているな」と思います。祖父に少し似ているようなところもある。「自分はバカじゃない。ほら、こんなに賢いんだよ」と一生懸命言っているのですが、それは残念なことです。「私を見てください。私はこんな人間で、こんなことができるんですよ」と主張するエネルギーは、いつも逆効果をもたらしますから。なぜこの男は私に、この車を一生懸命売りつけようとしてるんだろう? と思うのと同じですよ。

──『グッド・ウィル・ハンティング』の後、突然大作に出演する機会を得ますが、その大作のなかには脚本やコンセプトが完全に首尾一貫しているわけではないというものもありますよね。それがわかったとき、追い詰められたように感じませんでしたか? 今でこそ有名になった『アルマゲドン』のDVDのコメンタリー・トラックで、あなたは「論理破綻した映画だな」と口にされていますよね。あれは私のキャリアのなかでも、自分を褒めてやれる功績の1つです。少なくともDVDコメンタリーの歴代トップ5には入るでしょうね。それはさておき、誰にも何も言われなかったんですよ。何年か経ってコメンタリーが話題になるまで、誰も聴いていなかったし、気にもしていなかったのだと思います。ただ、コメンタリーで長々と話している自分に、なんていうか……あそこで話したことは全部真実なのですが、ショックを受けて、愕然としましたね。100%本当のことですが、そういうことじゃないんですよ。あの場であんなふうに全部ぶっちゃけて話すべきではないんです。

そもそも「これはすばらしい作品になるぞ」とは思っていませんでした。ハリウッドの大作アクション映画に出るなんて最高だと思っていたんです。確かに、映画を撮影する間、理にかなった物語にすることにそれほどみんなが興味を持っていないときもあって、驚きました。ビリー・ボブ(・ソーントン)が宇宙のミッション・コントロール・センターか何かのシーンについて長々と話していたのを覚えていますが、「いや、もういい。もうこの話はやめるよ。私はただ、納得できる映画に出たいだけなんだ。わかるだろう? でも、もういい。そんなことを気にする必要なんてないんだ。少なくとも、この映画では。クソ食らえだ」と言っていましたよ。そしてその場にいた人たちのなかで私だけが、「オーケー、この現場では他でのルールは適用されないってことですね」という感じで。でも、自分は小さな存在であるのに対し、もっと大きいことに従事しているという感覚がありました。だから、マイケル(・ベイ、『アルマゲドン』の監督)に対して偉そうに「石油掘削作業員を訓練して宇宙飛行士にする方が、宇宙飛行士を訓練して地面に穴を開けさせるよりも簡単だというのはどうして?」と言い放ったときは、自分が象に乗った小さなアリのように思えました。

──ハリウッドではどれくらいの間、アリのように思えていたのですか?『グッド・ウィル・ハンティング』が公開されたのと同じ月に、別の映画が公開されたんですが、公開前からみんなに災難だと言われていました。爆弾のようにひどい打撃を食らうことになると。というのも、その映画は『タイタニック』だったんです。それでも、『グッド・ウィル・ハンティング』は驚異的な成功を収めました。きっと『タイタニック』を観に行った人たちが劇場でチケットが完売しているのを見て、「くそっ、他に何があるんだ? ボストンの青年がロビン・ウィリアムズと共演している映画でも観るか」となったのでしょう。

だから、有名になったという感覚はあまりありませんでした。一晩で世界が変わるような経験があるとすれば、私はそれを体験したのかもしれません。というのも、その年のアカデミー賞授賞式は、『タイタニック』というメガヒット映画がノミネートされていたおかげで、過去30年間で最高の視聴率を記録したからです。テレビでその様子を観ていた何千万人という人たちに──『グッド・ウィル・ハンティング』は観ていなかったはずですが──私たちが作ったちょっとした夢物語はとても魅力的に映ったのでしょう。そのとき私は『ドグマ』の撮影中で、アカデミー賞のために飛行機でロサンゼルスに戻り、またピッツバーグに戻りました。撮影現場に戻ると、私たちの小さな粗末なトレーラーの外に大きな人だかりができていたのを覚えています。「なんてすごいんだろう。このことはずっと忘れない」と思って、思わず写真を撮りましたよ。きっとこれは一瞬のことなんだろうと思っていました。私は25歳でしたし、こんなのどうかしていると思ったんです。ある人物が別の人物の体に乗り移るような映画がありますが、そんな感じでした。ああ、こんなふうにしてリンゴ・スターか誰かの体に入り込むんだなと。

──他人の人生のようだったんですね。まさに他人の人生でした。その感覚に慣れるには、実際とても長い時間がかかりましたね。だから、質問にお答えすると、そのときに起きた変化は確かに覚えています。自分がとてもちっぽけに感じられていたのが、大きくなったとは思いませんでしたが、前に押し出されたような感じがしたんです。それに、どうすればいいかわからないこともありました。たとえば、どうやって振る舞えばいい? 何をすればいい? この状況をどう対処する? というように。バカなことをしたり言ったりして恥をかくこともありました。というのも、本当にわかっていなかったんです。ここで『ジャッカス』みたいなことをやればいいのか? 素っ裸でアカデミー賞の舞台を駆け抜けていく、それが私に与えられた役柄なのか? ってね。自分は招かれざる客であるような、あるいはこんな名声はすぐになくなるという感覚がありました。それで、「きっとカメラに向かって振り向いて、大げさな表情を作った方がいいのだろう。間違いなくいずれ退出させられるから」と思うようになったんです。それには長い時間がかかりましたね。プレーブックはないですから。

──前回のインタビューでマットの話題に触れたとき、ついでの冗談だったと思いますが、「もしスコセッシやスピルバーグが電話してきたら、その電話を受けただろう」とおっしゃっていましたね。『プライベート・ライアン』は受けたでしょうね。マーティン・スコセッシから電話がかかってきて、ウェイター役をやれと言われても引き受けますよ。スティーヴン・スピルバーグは歴史に残る偉大な映画監督の1人です。クリストファー・ノーランについても同じように思っています。ノーランが監督する姿を見るためだけに、撮影現場にマットを訪ねに行くかもしれません。これは冗談でもなんでもありませんよ。

──現代の卓越した監督たちから、どこか俳優として見落とされているように感じたりはしていますか?それはありません。他の俳優たちは、演技に対していくつかの異なるアプローチをしていることに気づきました。ゼロサムゲームのように見ている人もいます。たとえば、この俳優があの役をやれば、自分の邪魔になるとか、もしこの俳優を押し潰してやれば長いウェイティングリストが1人分短くなるか、ひょっとしたら自分がその役をもらえるかもしれない、とかいうように。自分で自分の仕事を生み出しているような感じがします。「なんでマーティ(・スコセッシ)はレオ(・ディカプリオ)を使うんだろう? 私でもいいはずなのに」なんて言っているわけではありません。そうじゃないんですよ……。もし私が何かにこだわるとしたら、監督としての自分をどう見るかということだと思います。それこそ、何か評価されたいことがあるかと聞かれれば、それだと答えるでしょうね。1つ挙げるなら、それだと思います。でも、自分が否定されているとか、妨害されているとは思っていません。本当に自分は幸運だと思っています。

──以前に尋ねたことに戻るのですが、今の話を踏まえると、なぜ監督だけをやらないのでしょうか?それは、とても消耗する仕事だからです。私がこれまで監督した映画でひとつ後悔しているのは、子どもたちから父親と過ごす時間を奪ってしまったこと。私は映画を作るのが大好きです。『ザ・タウン』を作るのも最高でした。でもその結果、子どもたちと離れている時間が長くなってしまった。成長段階で見逃してしまった些細なこともたくさんありますし、それを思うと胸が痛くなります。アーティスツ・エクイティでの仕事の素晴らしいところで、私がすごく気に入っているところでもあるのは、ロサンゼルスにいられることだと思います。午後2時30分に仕事が終わったら帰路につき、子どもたちがバスを降りる3時45分には家に戻れるんです。そうしたことができる生活を送れる。それは私にとって、かけがえのないことであり、何よりも幸せなことなのです。

BEN AFFLECK俳優、映画監督、プロデューサー、脚本家。1972年生まれ、米カリフォルニア州バークレー出身。1997年に主演した『チェイシング・エイミー』でブレイクし、同年にマット・デイモンと共同脚本を手がけた『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』でアカデミー脚本賞を受賞。『アルマゲドン』『デアデビル』などの大作に出演した後、2007年に『ゴーン・ベイビー・ゴーン』で長編監督デビュー。2012年の監督・主演作『アルゴ』はアカデミー作品賞を受賞した。主演最新作『ザ・コンサルタント2』は2025年4月に全米公開された。

From GQ.COM

By Zach Baron
Translated and Adapted by Fraze Craze

PRODUCTION CREDITS:
Photographs by Gregory Harris
Styled by George Cortina
Hair by Teddy Charles at Nevermind Agency
Skin by Jo Strettell using Sisley Paris
Tailoring by Susie & Hasmik Kourinian
Set design by Stefan Beckman at Exposure NY
Produced by Camp Productions

文:GQ JAPAN Zach Baron
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