いまや大人気のミニバンというジャンルを確立したモデルも
平成の元号が間もなく終わろうとしている。31年間続いた平成という時代はバブル景気の絶頂期と崩壊、阪神大震災や東日本大震災といった大規模災害、長かった不景気など、激動の時代であった。激動だったのは日本車の大躍進や次々と変わったユーザーの志向の変化など、時代を映す鏡とも言われるクルマも同じだった。そこで平成の終わりを期に、平成を駆け抜けたインパクトあるクルマを良かった方、悪かった方含めて振り返ってみたいと思う。前回の平成元年編に続き、今回は平成2年編をお送りする。
勝手に殿堂入り! 50年後も語り継ぎたいニッポンの平成スポーツカー10選
■平成2年(1990年)ってどんな年?
平成元年年末に記録した株価の最高値は下落をはじめ、バブル経済に陰りが見えてきたものの、それでも好景気には変わらなかった。テレビ番組では昨年作者のさくらももこさんがご逝去されたが未だに続きている「ちびまる子ちゃん」と、民放ドラマとしては異例の1年間というサイクルで、こちらも未だに特番が放送される「橋田壽賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」が始まった年でもあった。また自動車業界では軽自動車の規格が若干のサイズアップと排気量が550ccから660ccに拡大されたことも話題になった。
1)トヨタ・初代エスティマ&マツダ・初代MPV
初代エスティマと初代MPVの登場まで、3列シートの多人数が乗れる日本車というのは商用車ベースの1BOXカーか、日産プレーリーや三菱シャリオという小型車ベースのものだけだった。そこに登場した初代エスティマと初代MPVは3ナンバーボディとなるサイズも含め高いプレステージも持ち、いまでは当たり前の存在となったミニバンというジャンルを確立した。
また初代MPVはオーソドックスなFRレイアウトだったが、初代エスティマは補機類を短いボンネットに切り離して配置し、エンジンは75度傾けて床下に搭載するアンダーフロア型ミッドシップレイアウトという画期的なものを採用。このレイアウトによりフロアの高さは高かったものの、安全性や重量配分に優れ、当時の多人数が乗れるクルマとしてはズバ抜けたハンドリングも実現した。
また後にエスティマを5ナンバーサイズとしたルシーダ&エミーナも追加され、こちらも人気となった。(その反面生産コストが高く、搭載できるエンジンが限られるという弱点もあり、このレイアウトは初代エスティマファミリーにしか使われず、エスティマ自体もオーソドックスなFFレイアウトのミニバンになったのは少々惜しかったが)。
2)日産・初代プリメーラ
ヨーロッパでは日産の英国工場で生産され、北米では高級車チャンネルのインフィニティブランドでG20として販売される国際戦略車として登場した初代プリメーラは、一見当時のコロナやブルーバードとそう変わらないクルマに見える地味な4ドアセダンであった。
しかしその地味な4ドアセダンは、アウトバーンでの使用も想定し2リッターNAで150馬力というさほどパワフルでないスペックながら低速から太いトルクを出し、空気抵抗も小さいため200km/hを余裕で超える最高速をマーク。高速燃費もエンジン内部にナトリウム封入バルブを採用し、高負荷時の燃費低下に直結する燃料冷却をしないで済むことや空気抵抗の小ささにより良好。
さらにフロントサスペンションにはマルチリンクという当時のスカイラインやフェアレディZ、インフィニティQ45に採用された接地性に優れるものを使い、ハンドリングも素晴らしいという和製ヨーロッパ車のようなクルマだった。その明確なキャラクターもあり、日本でも長期間にわたって人気をキープした。
日本初のスーパーカーが登場!
3)ホンダ・初代NSX
当時のポルシェ911やフェラーリ328をターゲットとしたミドル級のスポーツカーで、価格もMTで800万円という日本初のスーパーカー。
初代NSXのコンセプトはそれまでスポーツカーによくあった「スポーツカーだから乗りにくくてもいい」、「スポーツカーは信頼性の低いものだ」というある種の甘えをなくした、扱いやすい人間中心のスポーツカーである。そのコンセプトはほぼ達成され、速さもボディをアルミ製としたことによる軽量化、後に登場したスパルタンなNSX-Rや度重なる改良、改良の際に3リッターから3.2リッターへの排気量アップなどにより長年に渡ってトップクラスだった。
NSXのコンセプトや基本性能の確かさは、1990年の登場から2005年まで「15年間も販売できた」ということが象徴しているだろう。またNSXはアルミボディがサビに強いなど高い耐久性を持つこともあり、ホンダがリフレッシュプランというメーカーでの大規模な整備も行っており、相応のコストは掛かるにせよ「いいものを長く使う」、「好きなクルマに一生乗れる」という素晴らしさも備えていた。
4)三菱・初代ディアマンテ
当時のギャランの一車格上として登場したディアマンテは、マークII三兄弟やローレル、アコードインスパイアのライバルとなるエンジン横置きFFの3ナンバー専用車だった。
クルマ自体は上級グレードにはトラクションコントロールや4WS、カーナビといったハイテク装備が満載だったが、このことはそれほど重要ではない。では何が画期的だったのかといえば、平成元年度から物品税の消費税への移行、3ナンバー車に課せられていた高額な自動車税が排気量に応じた制度になり、それまで庶民には高嶺の花であった3ナンバー車が身近なものになったのにいち早く対応した点である。
具体的には余裕ある動力性能に2リッタープラス年間5000円の自動車税で乗れる2.5リッターエンジンを中心に、ボディサイズもフェンダーなどの拡幅ではない全幅1775mmとした堂々としたスタイルと広い室内を持つものとし、量販グレードであれば価格もリーズナブルという商品企画を行い、大ヒット車となった。この功績が認められ、初代ディアマンテは初代エスティマや初代NSXという強力なライバルもいたこの年の日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞した。
5)マツダ・ユーノスコスモ
当時ディーラーの多チャンネル化によるブランド力向上という、今になると博打的な戦略を展開していたマツダが、ロードスターが主役だったユーノスブランドで販売するマツダのフラッグシップとしてリリースしたラグジュアリークーペ。
ユーノスコスモ最大の特徴は、やはり世界でマツダだけが実用化したロータリーエンジンの市販車用としては集大成となる3ローターの搭載である。コスモの3ローターエンジンにはターボも付き、V12エンジンのようにスムースでパワーも強烈であった反面、ATとの組み合わせでは低速トルクの細さが目立ち、高級車のエンジンには「果たして?」というのも否めなかった。おまけに燃費も極悪だった。
ユーノスコスモはいまとなってはスタイル、インテリアを含めた日本車にはなかなかない優雅な雰囲気を持ったクルマだが、のちのバブル崩壊もあり営業的には大失敗に終わり、「3ローターのコスモは500万円の定価だけど、開発費も含めて換算すると1台5000万円のクルマだ」という冗談もまんざらでもなさそうな、何を残したのかがわかりにくいクルマだった。
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