スバル サンバー のみんなの質問

解決済み
回答数:
12
12
閲覧数:
228
0

軽自動車が日本で普及できた理由は?

ーーむかしは省庁も試行錯誤していたようです。

N360の蛇行事故とか
サンバー6人乗り家族の事故とか、

新聞を使って、軽のマイナス面を強調して、
軽自動車を排除しようとする動きが有ったようです。
国際金融資本が日本でアメ車を売りたかったのかも?想像妄想、

でも庶民が手が届くクルマ、
とういうことで、
スバル360、そしてN360、が発売されました。

その後、ホンダライフの大ヒットで、軽自動車が日本に根付きました。
ダイハツ、スズキ、スバル、三菱も次々新型を発売しました。

ーー軽自動車普及の経緯、知人の説明はほぼ正しいでしょうか?

いかがでしょうか!?

補足

戦後の復興期では、日本の政治家も官僚の大多数は、GH〇の締め付けから、自動車はアメリカから買えばよい。自国で製造すべきでない意見でまとまっていた。 それに反発する無テッポーな輩たちが、陳情してまずは2輪自動車を了承させた。 そして軽自動車へと道を開いた まず最初にホンダ宗一郎がスーパーカブを発売して、 国民1億人の足となった、 続いてN360 最初の軽自動車の爆発的普及は大阪万博の1970年頃 ホンダのN3のほかにミニカ70、マックス、R2、フロンテ、ゼット、 ーーGH〇から乗用車の生産に制限をかけられたので四輪じゃなく二輪や三輪しか作れなかった ――で、オート3輪やミゼット、ケサブロー、 それが1949年に緩和され、軽自動車って枠 スバル360やN360が限界だった その間にイタリア、ドイツ、では乗用車の開発、販売が進み、(ポルシェ、ベンツ、フェラリー)日本は遅れをとる 1970年にやっとサファリでブルがルノーに勝った。 ーーGH〇が自動車製造は禁止 戦後復興の中でとにかく物流をなんとかしないと 最初は二輪車。そして3輪車とモノと金がない中で開発が進んでいった。

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

ベストアンサーに選ばれた回答

敗戦後の復興期では、日本の政治家も官僚の大多数は、GHQの締め付けから、自動車はアメリカから買えばよい。自国で製造すべきでない意見でまとまっていた。
それに反発する無鉄砲な輩たちが、陳情してまずは2輪自動車を了承させた。
そして軽自動車へと道を開いたことです。
政府や官僚の成果でなく、米国への反骨心からの市民による成功です。
後に共感する官僚や政治家も現れて、日本の復興のシンボルが自動車産業です。

質問者からのお礼コメント

2026.6.21 11:41

まず最初にホンダ宗一郎がスーパーカブを発売して
国民1億人の足となった
続いてN360

GH〇から乗用車の生産制限
二輪や三輪しか作れなかった

で、オート3輪やミゼットケサブロー
それが1949年に緩和、軽自動車枠

GH〇が自動車製造は禁止
戦後復興の中でとにかく物流をなんとかしないと
最初は二輪車。そして3輪車とモノと金がない中で開発が進んでいった

皆様貴重なご回答有り難うございました。

その他の回答 (11件)

  • 私の見解でしか有りませんが、
    核家族化による1世帯辺りの人数減少や、共働きによるマイカーの複数台所有が、地方では当たり前になった事で、
    マイカーに掛かる生活コストの比率コントロールの影響だと思います。

    30年前なら、お父さんが働いている場所にワンボックスで通勤し、
    お母さんが自転車で近所に買い物や子供も事をやる専業主婦と言うスタイルでしたから、
    稀に車が必要なら、タクシーや車がある友達と喫茶店に行くついでに用事に付き合って貰う事が出来ましたけどね。

    共働きだと、学校から電話が来ると早く来いと言うパターンになるので通勤場所やパート先から自動車でとなるので車が2台とか当たり前になったりで1台辺りのコストダウンが必要になった事が軽自動車の爆発的普及に繋がっていると考えました。

  • 普及した理由は、維持費の安さですね。うちも2台目は軽しか買ったことないです。

  • 時系列が間違っているというか、正しく理解できていない

    もともと軽は、戦後の混乱期(昭和20年代後半)に生まれた
    軽免許が出来たのが昭和27年だが、これは日本に自動車の普及を促進するための行政の後押しでもあった(昭和43年に廃止、特例で普免に切り替えが出来た)

    当時、テルヤンとか、オートサンダルとか多くの軽が生まれた(レッツ検索)
    昭和30年に出たフライングフェザーとかフジキャビンなんかは割と有名
    だが、作ってたのはどこも中小企業の域を脱しない企業で、いつの間にか消えた

    昭和30年といえばクラウンが世に出た年だが、価格は100万ぐらいだったと思うが、今の貨幣価値で言えば軽く1000万は越えるんで、とてもじゃないが庶民には手が出なかった

    この手の軽は、価格だけでなく、当時は軽免許で乗れた手軽さもあったが、スクーターのラビットみたいに爆発的に売れた訳ではない

    本格的な軽は、同じ30年に発売された鈴木のスズライト(FFで360㏄だった)
    ただ、あまり売れなかった
    一方、スバル360は33年のデビュー
    これは大ヒットした

    マツダは360クーペが35年デビューだが、スタイルはユニークだったが実質2人乗りで売れず
    その反省から生まれたキャロルは37年デビューでこれはヒットし、後のファミリアに続くマツダ乗用車進出の基礎を築いた

    N360は最後発で42年発売
    ファミリーだけでなく若者受けをも狙った車で、360を王者から引きずり下ろした

    以上が軽黎明期のざっくりした話

  • 昔は、軽四輪と言って 16歳から免許が取れました。
    今の軽より小さいです。 360ccがそうなのかな?

  • ほぼ正しいけど、660cc新規格前夜からその後の話が全く入っていませんね。
    やり直し。
    と知人に伝えてください。

  • 戦後GHQから乗用車の生産に制限をかけられたので四輪じゃなく二輪や三輪しか作れなかった流れなだけです。
    それが1949年に緩和され、三輪の技術が軽自動車って枠で生き残って今に至るだけで、庶民の為にスバル360やN360を作った訳じゃなく、それが限界だっただけです。
    GHQの制限が無ければ今の日本の道路事情もだいぶ変わってるでしょうね。道幅は広く、今のようなコチャコチャした街づくりからして違ってきてたでしょう。
    日本がそんな事になってる間に諸外国では乗用車の開発、販売が進み、日本は絶望的な遅れをとるわけですが、1955年にクラウンを発表したトヨタは今じゃ世界一の地位を得ました。

  • 軽自動車が日本で普及できた理由?
    安くて車庫証明が不要、維持費が安い。ということでしょう。

  • そんなこぎれいな話ではないかな。戦争に負けて自動車製造は制限されていたが、戦後復興の中でとにかく物流をなんとかしないとか、というところで最初は二輪車。そして3輪車とモノと金がない中で開発が進んでいった。ダイハツミゼットなんていう3輪車を写真などで見たことないですか? この延長で簡単に作れる「自動車」ということで雨後筍式にメーカーが林立。2輪車メーカーなど技術的なバックボーンのあった会社が生き残ったという流れですね。国も法律の整備はしてきていますが、軽自動車どうこうというより自動車メーカーは絞りたいという意向はあったね。

  • 基本、日本は道が狭いからって意見ありますが、大きい国道や県道などはアスファルトですが、まだまだ砂利道が多かった時代。

    車の大きさと言うよりやはり価格が決定打だと思います。
    貧乏までは行かないまでも普通の家庭では普通車はまだまだ高い時代です!
    コンパクトな普通車が軽自動車並の価格だったら軽自動車はここまで普及してないでしょうね。

  • 小型車が、少なくなり大半の車種が普通車クラスに拡大した。
    結果的に狭い道路や狭い駐車場に適応出来たのが軽自動車
    だと思うけどね。

≪ ‹ 1 2 › ≫
「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の
「自動車」カテゴリとデータを共有しています。
スバル サンバー 新型・現行モデル

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

※ 掲載しているすべての情報について保証をいたしかねます。新車価格は発売時の価格のため、掲載価格と実際の価格が異なる場合があります。詳細は、メーカーまたは取扱販売店にてお問い合わせください。

ログイン

中古車探しをもっと便利に

  • 中古車お気に入り管理
  • おすすめ中古車の表示

スバル サンバーのみんなの質問ランキング

  1. もっとも性能がいい軽トラは、どの軽トラ??

    2011.5.16

    解決済み
    回答数:
    8
    閲覧数:
    65,544

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離