スバル スバル360 のみんなの質問

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富士重工業の「スバル360」って
どんな自動車なのですか。(-_-)

教えてください。よろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

Googleで検索すれば画像が出てきますよ。

その他の回答 (10件)

  • 今から40数年も昔の出来事でした
    当時17歳の私は友人2人と自動二輪車3台で国道2号線を
    山口市から下関方面にツーリング中、宇部市辺りの
    道路脇の丘の上で休憩をしていました。
    日曜日でもあり車は少なくて、のんびり国道を眺めていたら
    緩い下り坂をスバル360がヨタヨタと走って来て反対車線を
    越え、道路脇の盛り土に突っ込んでしまいました。
    「わぁ!ぶつかった」3人同時に声を発したと同時に
    スバルの屋根が吹っ飛んで後席の小学生2人が前方の
    盛り土に向かって空中散歩、すかさず助手席のお母さんも
    空中散歩、
    ハンドルを握っていた父ちゃんは上半身を車体から大きく飛び出し
    直ぐに運転席に落下!
    子供達が前方に放り出された衝撃で屋根がふっとんでしまったのです。
    幸いにも大けがも無く父ちゃんに抱き起された3人は放心状態でした。
    私たち3人はその光景を目の当たりにして
    「金が出来てもスバルはやめとこ・・・」
    これ、実話ですよ。

  • まだまだ貧しいときにちょっと頑張れば手が届く車をつくったその功績は認めます。

    ですがスバル1000ならともかくとして、同時期を生きた殆どの人にとっては、テントウ虫が後年に名車の扱いを受けることなど想像もしていなかったでしょう。

    高度成長期で年々家庭に物が増えていく時代にあって、モデル末期にはもっと高価なクルマも増えてくると、こういうクルマは子供にも馬鹿にされたんでしょう。
    年の離れた義理の兄が19位の頃の話。もらったスバル360を譲り主の家の田んぼの横に止めて里帰りして戻ったところ、いたずらされて田んぼの中でひっくり返してあったそうな。

  • これです。
    この車は、1968年2月登録 通称41型です。
    馬力はカタログ値20psですが、実際は解かりません。
    高速道路で80km/h巡行運転できますが、夏はきついですね。
    1速にシンクロが無いので2速に入れるのには馴れが必要です、参考までに!

    回答の画像
  • ワーゲンビートルがカブトムシで、スバル360がテントウムシと呼ばれてました。

    前開きのドアは 走行中半ドアだと思って開け直したりしたらエライ目に合いますよ。

    後ろのシートは背もたれが半円になってるので 座ると中へ中へと寄ってしまうのでカップルだといいかも知れない。

    「スバルクッション」と呼ばれるあまりにフワフワな乗り心地。

    RRだから雨の日はケツ振りまくり。

  • https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB360
    ここに詳しく出てますよ

  • wikipediaでも見て頂ければ良いですが、もし関西圏以西の方なら広島の福山市にある「福山自動車時計博物館」へ足を運んでみてください。エンジンはかけられませんが中に乗ることが可能なので、同時代の軽自動車と比較して優秀と評される車内スペースの使い方を実感できますよ。個人的には身長183cmの自分でも問題なく運転姿勢が取れることに驚愕しました(同時代の他社同クラス車では乗り降りすら困難でした…)。

  • ビートルを日本国内向けに小型にしたパクリ。

  • ---------------------------------------------------------
    販売期間 1958年 – 1970年
    設計統括 百瀬晋六
    乗車定員 4人
    ボディタイプ 2ドア セダン、オープントップ
    3ドア ライトバン
    エンジン 強制空冷2ストローク直列2気筒自然吸気 356cc
    駆動方式 RR
    最高出力 16ps/4500rpm
    最大トルク 3.0kg・m/3000rpm
    サスペンション 前:トレーリングアーム
    後:トレーリングアーム
    全長 2995mm
    全幅 1300mm
    全高 1335mm
    車両重量 385kg
    後継 スバル・R-2

    ------------------------------------------------------
    航空機技術を応用した超軽量構造を採用し、また限られたスペースで必要な居住性を確保するための斬新なアイデアが数多く導入された。その結果、量産型の軽自動車としては史上初めて大人4人の乗車を可能とするとともに、当時の水準を超える走行性能を実現した。
    比較的廉価で、十分な実用性を備え、1960年代の日本において一般大衆に広く歓迎されて、モータリゼーション推進の一翼を担った。ゆえに日本最初の「国民車(大衆車)」と考えられている。同時に「マイカー」という言葉を誕生・定着させ、日本の自動車史のみならず戦後日本の歴史を語る上で欠かすことのできない「名車」と評価されている。
    模範となったフォルクスワーゲン・タイプ1のあだ名となっていた「かぶと虫」との対比から、また、そのコンパクトにまとめられた軽快なデザインから、「てんとう虫」の通称で庶民に広く親しまれた。
    生産中止後も、1960年代を象徴するノスタルジーの対象として、日本の一般大衆からも人気・知名度は高い。スバル・360が初めての自家用車だったという中高年層が多いこともその傾向を強める一因となっている。生産終了後約50年近く経過しているが、後期モデルを中心に可動車も少なくなく、愛好者のクラブも結成されており、今なおまれに路上を走る姿を見ることができる。

    ---------------------------------------------------------------

    スバル・360が市販車両として公式にプレス発表されたのは、1958年3月3日の昼12時、会場は東京都内の千代田区丸の内の内外ビルディングにあった富士重工業本社であった。
    プレス発表というイベントに慣れていなかった富士重工のスタッフは、実車無し、カタログのみで発表を済ませようとしていたが、斬新な新型車を期待して大挙参集した報道陣から「実車はどうした」と催促され、急遽2台のスバル・360がトラックで伊勢崎から東京本社へ届けられることになった。夕方4時まで辛抱強く待った記者たちは、到着したスバルを代わる代わる運転し、その乗り心地と走行性能を体験することになった。
    反響は著しいものであった。国内の自動車メーカー各社からも関心を持たれ、日本国内のメディアのみならず、イギリスの老舗自動車雑誌「オートカー」が「これはアジアのフォルクスワーゲンとなるだろう」と好意的に評するなど、欧米の自動車雑誌にも取り上げられ、当初から強く注目される存在となった。販売1号車の顧客が松下幸之助であったことは有名な逸話である。

    回答の画像
  • >富士重工業の「スバル360」

    昭和35年9月発行 スバル360 61年前期型 カタログ
    http://a15ff11300g.sakura.ne.jp/catalogue/subaru360/35%20subaru360/35%20subaru360.html

  • フォルクスワーゲンの旧車のビートルを極々小さくした様な排気量360ccの車です。ビートルがカブトムシ=てんとう虫の愛称がありました。

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