三菱 チャレンジャー のみんなの質問

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戦車の足回りと接地圧について質問です。

大戦時のパンター戦車やタイガー戦車は、40トン〜70トンクラスの重量を支える為に、輪転を千鳥配置にして整備性に多大な苦労をしています。

現代戦車は、当時の重戦車と大して重量は変わらないのに、ほとんどの主力戦車はオーソドックスな中型輪転を平凡に配置しているように見えます。メルカバ戦車は多数の小型輪転配置ですが、。

どうして今の戦車は、当時のドイツ軍が苦しんだ接地圧の分散が問題にならないのでしょうか?履帯の幅も、パッと見る限り、ものすごく差がある様には見えません。

接地圧が高くてもエンジン出力が向上しているから、パワーで乗り越えているのでしょうか?
どなたか教えて下さい。宜しくお願いします。

質問の画像

補足

予想を上回る皆様の反応と回答に有り難く思っております。 転輪・サスペンションについて、強度など性能の向上についてのコメントが散見されますが、もう少し具体的なこと(素材など)についても知りたいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

>小型転輪は転輪間隔が狭いので悪路でも地形に落ち込みにくく走破性が高い代わりに高速性能に難が出るとされています。
>反対に大型転輪は高速性能こそ高いものの、転輪が地形に落ち込みやすく走破性に難が出るとされています。
>ドイツはこれらのいいとこ取りをしようとして千鳥配置を採用しました。

他の回答者様が上記の通りに述べていますが、「高速走破性」のために採用されたシステムです。
おまけに、幅の細い大径転輪とすることで転輪ゴムタイヤの消費を押さえられるのと同時に重量級車両に対しては転輪荷重による履帯破損(切断)を防げる効果がありました。
更には、転輪数(転輪軸もしくはサスペンションアーム)を増やす→転輪の負担重量が減る→バネ(トーションバー)を細くできる→しなやかな足回りが可能→路面追従性が増し不整地での高速化が可能という理論です。

接地圧(履帯)と転輪荷重を勘違いしているようですが、例えばティーガー1型は56tで16脚(16個の転輪)ですので転輪1個(複式も1個とする)あたりの履帯への荷重は3.5tです。T-34は32tで10脚ですから転輪1個あたり、3.2t、IS-3は46tで12脚ですから3.8tです。パンターは45tで16脚ですから2.8tとなります。
この数値が低いほど履帯への負担が軽減されます。また、幅が細い大径転輪は転輪のタイヤゴムの負担も減らせるので当時のドイツの重量級車両には必要なものでした。
例外はポルシェティーガーであり、改造されたフェルディナントは12脚(片側6脚)で65tを支えなければならず転輪1個あたり5.4tとなり、旋回で履帯が切れまくったそうです。ヤクトティーガーは75tですが16脚ですから4.8tとなりフェルディナントよりはましな数値になっています。

現用戦車はレオパルト2及びM1エイブラムスが56t~62tで14脚ですから4~4.4t、10式戦車が44tで10脚の4.4t、メルカバが65tで12脚の5.4tです。
メルカバはフェルディナント級ですが、世界でも断トツの不整地走破性を持つといわれており、履帯切れが頻繁に起きるという情報はありません。

なおレオパルト2、M1エイブラムスが約55t(当初重量)で14脚、1脚当たり3.9tになり、12脚のルクレール(約55t)が一脚当たり4.6t、チャレンジャー1(62t)が1脚当たり6.1tとなります。
トーションバーサスペンションは転輪数(脚数)が多く油気圧サスペンションは転輪数が少ない。これはサスペンションの性能差で油気圧式が優秀なんです。メルカバのコイルスプリングもダブルコイルを使った非線形の性能を持つバネになっています。
戦後戦車の転輪数が少なくなっている理由の一つがゴムタイヤの接着性の向上です。
戦中のドイツはゴムの性能も悪いし取付方法も悪かった(技術が無かった)ので大径転輪化からの内部挿入型になっています。内部挿入型(鋼製転輪)では転輪自体の数が減ったティーガー1型の例もあります。
戦後は転輪自体の強度、多くはゴムタイヤの強度が増したので、転輪数が少なくなったとも言えますが、ドイツはティーガー、パンターの片側8脚がレオパルトは7脚になっているだけなのでさほど変化があるとは言えないでしょう。

余談ですが、74式戦車の開発時にレオパルト1の履いているディール製履帯を輸入試験したんですが、レオパルト1が40tで片側7脚ですから転輪荷重は2.9t、74式戦車は38tで片側5脚ですから転輪荷重は3.8tです。日本側は履帯負担が大きいから履帯ピンを強化したものを送ってくれと要求したにもかかわらず重量がレオパルト1より軽いんだから大丈夫だと、レオパルト用を送ってきたという事で、案の定、走行試験で切れまくったために国産履帯になった経緯があります。まあ、ドイツもアレだったりします。

質問者からのお礼コメント

2019.1.16 21:45

皆さま沢山の回答をありがとうございます。大変勉強になりました。
後からの回答の方がより精度のが高くなるのは当然なので心苦しいのですが、「簡潔に伝える」という難易度の高い回答をBAと判断させて頂きます。
丁寧な解説を皆さまにして戴き感謝します。

その他の回答 (6件)

  • 改めて考えるならば、当時のドイツ戦車は、これだけ時代が進んだ現代の戦車並みに重い、いえ、もっと重いということです。

    比べて見ましょう、「ティーゲル1」の重さは「北海道専用戦車」となった自衛隊の「90式」より1割以上重いし、「パンター」でさえまだ「10式」より重いんですよ。

    しかも、この2種の戦車の前任の、「主力戦車」扱いだった「3号戦車」は、設計に余裕があったものの、あのブリキの棺桶扱いされている日本の「チハ改」に近いレベルの戦車であり、それでも、当時の戦車師団の定数を満たしきっていなかったのが事実です。

    われわれはつい「史実」は当たり前のことのように見てしまいますが、このぶっ飛んだいきなりの決定を軽く見てはいけないんです。

    ともかく、当時「支援戦車」扱いだった「4号戦車」から見ても、「ティーゲル」は倍以上重い、これを「独ソ戦」をおっぱじめた直後の大混乱の中で、ちょび髭に強要された技術者は慌てたでしょうね。
    運用実績ゼロでの開発ですから、どのくらい余裕を持たせればいいのかも未知数だったんです。

    「千鳥配置」は、従来の国防軍の開発計画、40t級戦車では普通の「複列配置」を取っていたのを、急遽差し替えて余裕を取った部分でしたから、まあ、後世的に見れば、「やりすぎ」「凝りすぎ」の感がある訳です。

    ですから、この段階の開発にはちぐはぐさがあったのも有名で、例えば「大型転輪の千鳥配置」という余裕設計に対して、初期の「パンター」の「最終減速装置」は明らかに容量不足で事故を多発、ウォーゲームではパンター部隊は移動させるだけでみるみる戦力を減衰していくという悲しい仕様になっています。

    こうしたことには、当時も気づいた部分もあり、例えば「ヤークトティーガー」の初期型では、さらに重量増大しているのに「ポルシェ式サスペンション」という、通常の「単列複式の8個転輪」で作ろうとしていますね。
    でも、やはり「千鳥型に比べると振動する」と言われて、元に戻されています。

    この辺は、「一度やっちゃうと、戻すには合理性以上の理由がいる」みたいな部分がありますね。

    ともかく、確かに「千鳥式」は利点は多かったですが、それでなくては克服できないほどでもなかった、現在はサスペンションの性能も格段に向上しているし、それに、質問者さんがあげている「写真」のような「ダブルピン・ダブルブロック履帯」で追従性なんかも上がっていますから、「小型転輪」でも高速性も悪くないんです。

    ちなみに、旧ドイツの重すぎ重戦車はみな「シングルピン・シングルブロック履帯」で、こいつは耐久性があり、コストも低めですが、比較すると外れやすく、整備性も余り良くないですね。
    現在では、イスラエル軍が用いていますが、比較的少数、同軍でも「砂漠、荒地なら問題ない」みたいに言っているし、自衛隊は「74式」が「ダブルダブル」でしたが、その後は「ダブルピン・シングルブロック」、整備性は良いが、ちょい外れやすい?あたりを採用しています。

    そんな部分も含めて、現代なら、あんな方法でなくっても、やり方はいくらでもあるんですが、当時のドイツ技術者には、そんなゆとりもなく、改善する余裕もなかったってことです。

  • 根本的に間違ってます。

    そもそもナチスドイツは重量の分散のためにあのような構成にしたのではありません。

    結論から言えば、戦車の足回りの開発に苦労し、解決策も判らなかったために、戦車よりは快調だったハーフトラックの足回りを「訳も判らず」大々的に使うことにしただけです。
    訳も判らずと言うのは、
    ・なぜハーフトラックの足回りが戦車よりは快調に動くのかは理解していない。
    ・どの程度分散すべきなのか?などの知見は無い。
    冗談みたいですが、勝手な想像はせず、ちゃんとパンターなどの開発記を読めば書いてあります。

    また、ハーフトラックの足回りを考案した兵器局第6課のクニープカンプ工学博士が、戦車にも使うように画策したことも判明しています。
    巷で言われる話の多くは資料も読まずに勝手にでっち上げただけで。

    実際、私は30年以上前に某模型雑誌のライターが全くの想像で「大直径転輪の利点と重量分散を両立させて云々」と言い始めたのも読みましたよ。
    大直径転輪が高速走行向き云々がそもそもデマで。
    むしろ転輪が履帯を叩く振動など高速走行に向かないと言うのは現在は良く知られています。


    そもそもドイツは、第一次大戦に負けたことや世界恐慌の影響で、
    ・兵器開発ばかりか民間向け工業製品の生産まで停滞し、冶金や材料力学の研究が第一次大戦以前のレベルに後退した。
    ・不景気で自動車も普及せず、軍隊に入るまで自動車を見たことが無いような軍人が多かった。
    (軍需を取り仕切る、ヴァイマル共和政の頃からの古参の高級軍人も、戦車以前に自動車に関する知識がほとんど無い有様で、ヴァイマル共和政の時代の自動車調達は混乱しています。)
    ・戦車はソ連領内の極秘開発以外、開発出来ていない。
    ソ連の戦車開発を指導するどころか(全溶接構造など僅かに影響を与えたが、)早々にソ連技術陣は「次から自分たちだけで開発出来る」と見切られていました。

    で、戦車の開発には苦労を重ね、遂に1号戦車の足回りの開発にはギブアップ。
    「治安維持用の自走砲の車台にしたい」
    とイギリスを騙して豆戦車を購入して、参考にしています。

    その後も足回りの開発は困難を極めます。
    例えば3号戦車のA~D型が良い例です。

    逆に3号戦車のE型でトーションバーサスペンションを採用して、あたかも完成体が見えたかのように誤解されてる方も多いのですが。
    そもそもドイツ戦車のトーションバーの性能は低く、高速走行すると異常振動するなどの問題を最後まで克服出来ませんでした。
    2号戦車D/E型など、それ以前のリーフスプリングサスペンションより性能が落ちたと言います。

    一番お笑い草なのがパンターのサスペンションで。
    あのように二本を束ねると現代の技術を駆使しても連結部に応力が集中し、絶対にまともに動きません。
    ちなみにパンターはクルスク戦でのD型ではエンジンのガスケットシールを忘れたために坂道で火災を起こしています。

    多くの人がナチスドイツの科学に幻想を抱いていますが、実際は戦車について、自動車の知識もろくに無い人だらけの国で、遅れた冶金技術(と希少金属の禁輸もあり)で背伸びして的外れな開発もしていたのです。

    なお、ヘンシェル社に限っては、上部支持輪つきで複列配置を採用した後で上部支持輪の無い構成としており、どうやらクニープカンプ工学博士の画策によらずあの形式にたどり着いたようです。

  • ドイツ軍が千鳥配置を採用していたとされる理由は2つあります。

    一つは投稿者の言う通り接地圧の分散なのですが、実は千鳥配置はあまり効果がありませんでした。
    例えば接地圧で不利とされている大型転輪のソ連戦車と比べても、T-34の倍、IS-3の約1.2倍と優れているどころか逆に劣っています。
    当たり前なのですが転輪にも相当な重量があるので、分散させようとして転輪を増やした結果、逆に重量がかさんで余計圧がかかっているのです。
    どうもドイツの設計者はこのことを理解していなかったフシがあります。

    「ドイツの設計者がそんな頭が悪い失敗をするはずがない!」という人はもう一つの理由である「小型転輪による走破性の高さ」と「大型転輪による高速性能の高さ」の両立を狙ったとしています。
    小型転輪は転輪間隔が狭いので悪路でも地形に落ち込みにくく走破性が高い代わりに高速性能に難が出るとされています。
    反対に大型転輪は高速性能こそ高いものの、転輪が地形に落ち込みやすく走破性に難が出るとされています。
    イギリスなどは前者を歩兵戦車に、後者を巡航戦車に採用して使い分けることで対応しましたが、ドイツはこれらのいいとこ取りをしようとして千鳥配置を採用しました。
    ですがソ連はこの問題に対して「大型転輪にして履帯の幅を広くする」という単純な方法で解決しました。(当然広げた履帯分の重量が増えますが、千鳥配置と違って重量の分散が相殺されるほどではありませんでした。)

    なのでティーガーの接地圧問題は幅広履帯ですでに解決しており、千鳥配置というのははっきり言って故障と整備に問題を起こすだけの厄介者でしかなかったわけです。
    にもかかわらずなぜ採用しているのかといえば、前述の通りドイツの設計者が理解していなかったか、そうでなければmax********さんの言う通り「変なこだわりをもっていたから」しか考えられないのです。

  • エンジンのパワーが上がった。これはもちろんあります。
    さらに、転輪とそのサスペンションの性能が上がり、接地面積が小さくても荷重への耐久力が増したこと。
    もう一つは、運搬車の発達で戦車が自走する距離が短くなり、故障が減ったこと。
    そして、やはり整備のしやすさです。「壊れたら直せばいい。それもすぐ直せた方がいい」との観点が一般化したからですね。

    画像は参考までに。2018年10月14日、埼玉県の陸上自衛隊朝霞訓練場で行われた、陸上自衛隊中央観閲式に参加した90式を運ぶ運搬車です。本州の道路には重すぎるとされている90式も、こうすれば対応できるわけです。

    回答の画像
  • 輪転→転輪

    ティーガーは転輪の強度が足りないのであんな足になってる

    今の戦車は強度が足りてる

  • ドイツ戦車の設計者が変なこだわりを持ったからです。

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