マクラーレン セナ のみんなの質問

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1994年のF1サンマリノGPでJ.Jレートとペドロ・ラミーのクラッシュ、そして観客が怪我を負った事故が起こったじゃないですか、

それについて、

①なんで赤旗じゃなかったのでしょうか。

そして、

②その事故で赤旗がでてたらセナは生き残って
たのか

教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

①幸いレートとラミーは無傷で脱出した上に、マシンがコースをふさいでなかったからだと思う。観客のことまではあの短時間で気づいてなかったかもしれない。

② わからない。セーフティーカーのおかげでタイヤの温度が下がり内圧が下がった説はあるにはある。が、一方でステアリングコラムの破損が原因も有力な説になっている。赤旗が出て再開後にステアリングコラムの破損がなかったとは言い切れない。

私が思うところは・・・、セナはマクラーレン時代は監督に対してもFIAに対しても自分の意見を堂々と言う人だった。それがウィリアムズに入ってからはとても大人しくなってた。ウィリアムズは伝統的にドライバーに意見をさせない風潮があって、それに嫌気がさしてピケやマンセルやプロストは愛想尽かして去ってったのだが。

もしマクラーレンにいたままだったら、レース中止を求めたしFIAが言うこと聞かないならレースボイコットしていたと思う。

質問者からのお礼コメント

2024.7.25 21:15

なるほど………
ウィリアムズについてももっとわかりました。
ありがとうございます!


…………でも……亡くなった以上、セナは戻ってこないんですよね…………寂しいです。
いつまでも生き残っていたセナのことを想像しています、涙が出ます。

その他の回答 (2件)

  • ②から
    赤旗が出ていたらどうだったんですかね。中断はあっても中止まではしなかったのではないでしょうか。なぜなのかは分かりませんが。

    セーフティカーのルールが前年の93年からできたんですよね。
    中断なんかしないで、セーフティカーで大丈夫だろう、という安易な判断に見えますよね。


  • 結論から言うとレース成立を優先したということです。そもそも土曜日の時点でコースについても、マシンについても安全面で重大な疑念があったわけですから、その時点で走行中止という考えは出ていたはずです。しかしその決断は出来なかったということです。


    バリチェロの事故、ラッツェンバーガーの死、観客を巻き込んだスタート直後のクラッシュ、このいずれかの時点でグランプリ中止の決断をしていたら、少なくともセナは1994年5月1日に死ぬことはありませんでした。

    補足
    今現在でも明確にレースの全面的中止を判断する基準はありません。天候が悪くレースができない状況では赤旗がでますが、それでも最後には形だけでもレースを成立させようとします。

    一方大きなクラッシュやアクシデントによる不幸があったとしても、それでレース中止という判断が下されたことはないですし、これからもないと思います。

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