フェラーリ F50 のみんなの質問

解決済み
回答数:
2
2
閲覧数:
66
0

フェラーリの創始者、エンツォってめちゃくちゃFRのV12にこだわってましたよね?
だから今でもフェラーリはV12のラインナップはランボルギーニと違ってFRで出し続けてるし。

250GTOこそFRだったけど。
それ以降の288GTO以降のフラッグシップモデルがミドシップなのはなんで?
V12もF50くらい?

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

ベストアンサーに選ばれた回答

V12に拘ったのは、エンツォ・フェラーリが若い頃自動産業世界一の米国に視察に行って、そこで自動車史上初の市販V12気筒車のパッカードを運転する機会があって感銘を受け、『将来自分の会社を作った時、V12気筒を作りたい』と思ったから、と言われています。

後にフェラーリ社を作った後、当時のレースでは12気筒は重く不利だったのに、チーフデザイナーのジョアッキーノ・コロンボに『エンツォのダンナには12気筒がお似合いです』と言われてV12気筒の開発に踏み切った、と言われています。
後にコロンボを追い出した弟子のアウレリオ・ランプレディは12気筒に工学的妥当性が無いと切り捨て、4気筒がフェラーリの主力エンジンだった時代もありました。

さて。

>288GTO以降のフラッグシップモデルがミドシップ

いいえ、違います。
288GTOなどと言う『新参者』が登場するより10年以上も前から、フェラーリのフラッグシップはミッドシップです。
フェラーリの最初のミッドシップ・フラッグシップは、365GT4BB、すなわちあの『ベルリネッタ・ボクサー』です。
これには事情があって、『セールスに失敗した』という苦い経験から、ミッドシップ12気筒が生まれました。

エンツォがバッティスタ・ファリーナ(ピニンファリーナ社創始者)に命じてデザインさせた『ジャガー・Eタイプのコピー車』250/275GT(250GTOもこのシリーズ)が古くなったので、フルモデルチェンジとして、後のピニンファリーナ社のデザイン標準ともなる美しくエレガントなボディのFR車、365GTB/4『デイトナ』をデビューさせます。

しかし同時代にランボルギーニが新型としてデビューさせたのは、ピニンファリーナのライバル、ベルトーネ社のエキセントリックなボディを纏った、あの『ミウラ』でした。
まさに歴史上の名車対決。
しかし。
頑固でアタマが固く、他人の勧告を受け入れないエンツォは(後にエンツォは、フェラーリ社に於いて典型的な『老害』と化しますが、最初からそういう性格でした)、下品でケバいミウラをバカにしていましたが、パイプでジャングルジムを作ってそこにボディを貼り付けたFRのデイトナに対し、高度なスチールモノコックとミッドシップレイアウトのミウラが予想外に売れ、フェラーリの市場に食い込み出しました。

フェラーリの経営陣はこの事態に危機感を持ち、エンツォの意向などガン無視して、とにかくミッドシップカーを用意することが急務、と考えました。
それで登場したのが365GT4BB(BB=ベルリネッタ・ボクサー)ですが、あまりに短期間で開発されたため、内容はかなりハショられました。

※まずデザイン。
デイトナと2台並べると判りますが、デイトナをミッドシップにしただけです。
発売当初は自動車雑誌に『デイトナのミッドシップ版』と書かれました。

※エンジンは、ちょうどF1でそれまでの古いV12気筒エンジンに代わり、マウロ・フォルギエリ設計の水平対向12気筒の開発が進んでいましたが、この設計を市販車にも応用しました。
これ実は、フォルギエリが航空機の双発機のために、『翼厚の中に納まる薄いエンジン』を目的に開発していたのがプロジェクトが立ち消えになり、折角設計したからとF1に応用したものでしたが、F1用エンジンと同じイメージを市販車に持ち込んだら、中身が完全にレーシングマシンのミウラを倒せると経営陣が考えたわけです。

・・・そしてデビューしたのが365GT4BBです。
フェラーリのミッドシップ・フラッグシップの爆誕です。
これが1973年。1984年デビューの288GTOの11年前です。

BBは、手作りでないと作れない構造が多く製造品質が保てず、またスタイリングを煮詰める時間が無かったので2気筒分が後部にはみ出している『なんちゃってミッドシップ』でしたが、経営陣の目論見通り、大変な評判となりました。
しかし、いい加減な作りで市場不具合が頻発するのは目に見えていたので、沢山作らずにすぐに量産化のための構造の見直しが行われます。(ミウラの方は市場不具合で苦しんでおり、『欠陥車』とまで言われていました。ミウラが市販車としてあまりにダメダメだったので、既にモデルチェン版の『すごいミッドシップカー』の開発が進んでいるという情報もあり、フェラーリはミッドシップカーの発売に更に焦ったワケです。尚、このミウラのモデルチェンジ版が、1974年発表の『スーパーカーの代名詞』カウンタックです。)

それで開発されたのが、次のミッドシップ・フラッグシップ、512GTBBで、スタイリングは365GT4BBと殆ど同じですが、中身は別物です。
この『BB路線』はその後『テスタロッサ』『512TR』と続き、水平対向12気筒ミッドシップをフェラーリのフラッグシップに定着させました。
要するに。
フェラーリのフラッグシップがミッドシップになったのは、ランボルギーニのせい(もっというならミウラのせい)というわけです。

さて288GTOですが。
この12気筒路線=市販GT路線とは別に、レース参戦用のベース車を用意するのがフェラーリの常ですが、もう時代は12気筒NAエンジンでは勝負にならないところに来ていました。

>288GTO以降のフラッグシップモデル

このクルマがフェラーリのフラッグシップに貢献したのは、ミッドシップでなくV8+ターボです。
エンツォにしてみると、フェラーリ車の頂点は12気筒でなければならなかったはずですが、しかしそれではもうレースで勝てなかったというわけです。

このクルマ、よく見てください。
古い308/328GTの車体をベースにしており、『強力なエンジンを開発して、手持ちの車体を魔改造して載せた』クルマに過ぎません。
いかにもレースのホモロゲーション獲得用マシンです。グループAのラリー車みたいなものです。

このクルマがレースで一応の成功を納め、V8+ターボのパフォーマンスが証明された結果、後のフェラーリのフラッグシップのエンジンが、12気筒からV8+ターボに替わりました。

こういう事情を知ってると、F40がV8で登場したのは、残念でなりません。
あれはフォルギエリの12気筒の集大成となり、市販車最速の最後のNA12気筒にするべきだったと、当時F40に乗って思いました。
ワタシにとっては、同時代のテスタロッサの方がずっと『フェラーリだったなぁ』と、今でも思います。F40のフレーム溶接、価格からすると『サギだ』と言いたくなるほど汚いし。(あんな溶接なら、工業高校のコゾウにも出来ますよ。)

その他の回答 (1件)

  • 288GTOは元々がホモロゲ取るために作った車です。
    ですが、実際にレースに出ることはなかったのです。
    それ以後、限定車商売に目覚めました。
    フラッグシップモデルに限定車は含まれていない。と考えるべきでしょう。

「みんなの質問」はYahoo!知恵袋の
「自動車」カテゴリとデータを共有しています。

あわせて知りたい

フェラーリ F50 新型・現行モデル

査定を依頼する

メーカー
モデル
年式
走行距離

※ 掲載しているすべての情報について保証をいたしかねます。新車価格は発売時の価格のため、掲載価格と実際の価格が異なる場合があります。詳細は、メーカーまたは取扱販売店にてお問い合わせください。

ログイン

中古車探しをもっと便利に

  • 中古車お気に入り管理
  • おすすめ中古車の表示

フェラーリ F50のみんなの質問ランキング

あなたにおすすめのサービス

メーカー
モデル
年式
走行距離