掲載期間:2016年2月26日〜2016年3月25日

ジュネーブモーターショー2016

ジュネーブMS開幕。ワールドプレミアを現地からレポート!

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ニューモデル 2017.12.3

いくつ知ってる? ほとんど車名がでてこないだろう55台のマイナー車 後編

フォルクスワーゲンK70(1970年)

ビートルがフォルクスワーゲンのラインアップに加わる前、NSUはプリンツとヴァンケル・ロータリーを積んだRo80の間を埋めるべくK70を開発した。K70はNSUが初めて全ての生産を行う水冷エンジンをフロントに積んだモデルとしての栄誉を与えられたクルマだ。

1969年にフォルクスワーゲンがNSUを買収した際、NSUで進行中の全ての計画もそのまま引き継がれた。当初K70の計画はキャンセルされるはずであったが、既に生産可能な段階に入っていることが明らかになるとこの決定は撤回された。フォルクスワーゲン・ブランドのクルマとして再度計画は復活し、約210,000台が生産ラインから旅立っていった。NSUにはワゴン・モデルの計画もあったがフォルクスワーゲン傘下で日の目を見る事はなかった。

デ・トマソ ロンシャン(1972年)

ジャガーXJ風だったドーヴィルのショート・ホイールベース版であり、ロンシャンには335psの5.8ℓV8エンジンが搭載された。クーペとコンバーチブル・ボディが選択でき、全部で302台が生産された。

モニカ560(1972年)

ブリストルのライバルとなるべく開発されたモニカはクライスラー製V8エンジンを積んだフランス製高級車だった。最終的にはパンサーに買収され、このクルマが量産される事は無かったが、それでも35台程度が生産された。

シトロエンLN(1976年)

2CVのエンジンを積んだプジョー104のリバッジ・モデル以外の何物でもない。LNは際立って目立たないモデルであり、自国市場でのみ販売された。しかし英国のドライバーはLNの後継車種を購入する事が出来た。プジョー104と同じ4気筒エンジンを持つLNAだが、買う人間などほとんどいなかった。

ダチア・デネム(1982年)

ダチアは1969年に初めて公開されたルノー12を1980年代初頭にも最新のモデルだと思い込んでいたので、思い切って自社ブランドで生産するチャンスにかけてみる事にした。しかし、このモデルが英国市場に導入されても誰も見向きもしなかった。

アルファ・ロメオ90(1984年)

アルファ・ロメオは長い歴史の中でいくつか奇妙な決断を行ってきたが、これはその中でも最も馬鹿げたものの1つに数えられる。90は忘れ去られたモデルであるアルフェッタと、大失敗だったシックスの間に位置づけられるクルマだ。1980年代のアルファ・ロメオとしても、その組立品質はあまりにもひどかった。

英国モデル-パラマウント 1.5ℓ(1950年)

1950年代を通じて、毎週のように小規模生産の英国車メーカーが誕生していた。パラマウントはダービシャーを拠点にフォード製エンジンを積んだスポーツカーを生産したが、1956年のブランド終焉までに生産された台数はわずか70台程度に留まる。

マローダー(1950年)

ジョージ・マッキーとピーター・ウィルクスはスペン・キングと共に自分達でスポーツカー生産を行うためローバー・カンパニーから独立した。彼らが作り上げたクルマがローバーP4をベースにしたマローダーであるが、総生産台数は15台に過ぎなかった。

スワロー・ドレッティ(1954年)

スワローはジャガーのウィリアム・ライオンズによって設立され、その後投資会社へと売却された。ベースとなったトライアンフTR2よりも素晴らしい見た目を持つドレッティは、最終的に276台が生産された。

ピアレスGT(1958年)

のちにワーウィックとして復活するが、ピアレスはトライアンフTR3をベースに独自の鋼管フレームを持つモデルだった。1958年にピアレスがその名を消すまでに、この4シーター・クーペはおよそ300台が生産された。

エルバ・クーリエ(1958年)

フランス語の「彼女は行く」(elle va)から名付けられたこのメーカー最大の成功作がクーリエである。1958年から1961年までの間に約400台が生産され、その多くにはMGAかMGBのエンジンが積まれていた。

ロッチデール・オリンピック(1960年)

ロッチデールの名前はグレーター・マンチェスターにある街の名前から名付けられたものであり、1952年にグラスファイバー製ボディを持つクルマを作り始めると、1960年には驚くほど空力を意識したオリンピックを生み出した。初期のモデルにはライレー製1.5ℓエンジンが、1962年からはフォード・コーティナの1.5ℓエンジンが積まれた。

リライアント・サーブル(1961年)

フォード・コンサルの4気筒エンジンで生産が開始されたあと、1962年には6気筒のゾディアック・エンジンが搭載された。もともとイスラエルの自動車メーカーであるオートカーズ向けに開発されたモデルであり、クーペとコンバーチブルが生産された。

トルネード・タリスマン(1962年)

トルネードはクルマ愛好家が自宅のガレージで組み立てることの出来るグラスファイバー製ボディのキット・メーカーとして誕生した。タリスマンはこのメーカー最大のヒット作であり、1964年に会社をたたむまでに186台が生産された。

ユニパワーGT(1966年)

ユニバーサル・パワー・ドライブスは農機具でよりその名を知られているかもしれないが、このクルマは75台が生産され、そのミッドシップ・レイアウトの心臓にはミニの998ccか1275ccのエンジンが積まれていた。

トライデント・クリッパー(1967年)

1965年のジュネーブ・ショーでTVRとして発表されたこのクルマは、その後トライデントが独自に生産を行い、10年間に渡って作り続けられた。その生産期間にもかかわらず、わずか200台程度が生産されたのみである。

パイパーGTT(1968年)

パイパーはレースカー制作から始まったがメーカーだが、1967年に公道モデルの生産にも乗り出した。しかし、6年間でわずか100台程度のプラスティック製ボディを持つスポーツカーを生産するに留まる。その多くはフォード製エンジンを搭載していたが、中にはアルファ・ロメオやオースティン・ヒーレーのエンジンを積んだモデルも存在した。

ギルバーン・インベーダー(1969年)

これまでにウェールズを拠点とした唯一の自動車メーカーである。ギルバーンは1959年に設立され、フォード製V6エンジンを積んだ最終モデルであるこのインベーダーの600台を含め、1,000台以上のクルマを生産した。

フォードGT70(1970年)

GT40が瞬く間にヒーローとなった一方で、その後継モデルであるV6エンジンをミッドシップに積んだGT70が世間から忘れ去られるのに時間はかからなかった。このモデルはラリー向けとして英国フォードで生産されたが、実際に出場する事はなく、わずか6台が生産されたのみである。

マーコス・マンティス(1970年)

マーコスはその曲線を多用したデザインのクルマで知られていたため、このエッジの効いたマンティスは驚きを持って迎えられた。トライアンフ製2.5ℓエンジンを積んだこのモデルはわずか32台のみが生産されたのみである。

クラン・クルセイダー(1971年)

1969年、元ロータスのエンジニアたちによって計画されたが、1973年に発生したオイル・ショックによってクルセイダーの命脈は絶たれた。その後1985年にクローバーとして再び計画は復活したものの、ほどなくしてこれも失敗に終わった。

スコーピオン・クーペ(1973年)

スコーピオンはリアにヒルマン・インプの998ccエンジンを積んだモデルだったが、クラン・クルセイダー同様、オイル・ショックによってその生涯を終えたモデルである。しっかりとした出来栄えのグラスファーバー製ボディを持ち、オイル・ショックさえ無ければその将来は有望だった。

ロンズデール・セダン&エステート(1983年)

三菱は英国向けにシグマのリバッジ・モデルを生産するためオーストラリアに工場を建設した。1.5ℓ、2.0ℓと2.6ℓエンジンが選択可能だったが、当然ながらほとんど売れなかった。

エバンテ140TC(1986年)

リンカンシャーに拠点を置くVegantune社は長年に渡りロータス・エランのレストアとチューニングを行っていた。このモデルはロータスのクラシック・モデルに対する彼ら独自の解釈であり、フォード製をベースにした1.7ℓと1.8ℓツインカム・エンジンが選択出来た。

ACエコッセ(1988年)

量産には至らなかったモデルである。アルファ・ロメオ製2.5ℓV6エンジンを積み3000MEの後継となるはずであったが、開発資金が不足したのだ。自動車史を騒がせたかも知れない、日の目を見なかった1台である。

サオ・ペンザ(1991年)

とっくに過去の存在となっていたマツダ323(日本名:ファミリア)に新しい名前を与えると何が出来るだろう?答えはサオ・ペンザである。このクルマは南アフリカの自動車会社によって生み出されたバッジ・エンジニアリング・モデルであるが、2年も経たずに英国市場から撤退することとなった。

アジア・ロクスタ(1994年)

1990年に発表されたものの、英国市場での販売は1994年から1998年のみであった。この作りの貧弱な4駆モデルはキアが苦境にあった時代の作品である。アジアに代わってこのクルマを販売したのはキアだったが、結局悪い結果しか生まなかった。

キーナスGT(1996年)

1970年代初期のオペルGT ドロップトップを思わせるこのクルマは、6気筒3.0ℓのセネター・エンジンと、当時はまだ一般的でなかった折り畳み式ハードトップを採用していた。

ストラスキャロンSC-5A(2000年)

1996年にプロトタイプが初めて公開されたあと、2000年にようやく生産準備が整った。しかし、型式認証の変更によって直ぐにこのクルマは違法となってしまったため、わずか20台のみが生産されただけである。

(AUTOCAR JAPAN 編集部)

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