▲インプレッサにはセダンやハッチバックモデルに加え、クーペモデルも存在していた
レオーネの後継車となったレガシィの“ヒエラルキー”に鑑み、スバルはCセグメントへの新型車を必要としていた。
80年代後半には直列4気筒エンジンでテストまで行っていたというが、開発資金の都合上、水平対向エンジンをリファインして搭載することに決まった。
この苦肉の策が、後のスバルの運命を変えたと言ってもいいかもしれない。
1992年に誕生した初代インプレッサは、そんなCセグメント市場を狙った世界戦略車だった。
面白いのは開発当初、セダン、スポーツワゴンの計画は伝えられていたものの、ハイパワー車(WRX)の計画は開発陣には秘密にされていたそうだ。
というのも、エンジニアがハイパワー車にだけ開発意欲を燃やしてしまうことを懸念してのことだったらしい。
そして、インプレッサの開発にめどが立った頃、ようやくハイパワーモデル計画が明かされたのだという。
つまり、ベース車をしっかり作ってからのWRXモデル開発と相まったのだ。
開発時からWRC参戦が前提となっており、プロドライブ・STiの要望も反映されていた。
しかも試作車第1号は、WRCドライバーのコリン・マクレーがステアリングを握った、ともいわれている。
苦肉の策で水平対向エンジンを存続させた背景をもちながら、WRC参戦は考えていたのだから、取捨選択の経営手腕が素晴らしかったのだろう。
1993年からWRCに参戦し、1995年からは3年連続でマニュファクチャラーズ・チャンピオンを獲得した他、ドライバーズチャンピオンを1995年、2001年、2003年に獲得。
インプレッサの名声を築き上げた。
インプレッサは細かく、毎年マイナーチェンジを受けながら進化を遂げてきた。
そして1995年、輸出仕様だった2ドアクーペモデルを「リトナ」として国内販売開始するも、翌年には廃盤。
そして、同年、リトナベースの「WRXTypeRSTi」が投入された。
1998年にはWRC3連覇を記念した「22BSTiversion」が400台限定(新車時価格500万円)で販売された。
WRCと切っても切れない、名声を誇った初代インプレッサ。
そのなかでもクーペモデルはほとんど見かけなくなった。
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text/古賀貴司(自動車王国)
photo/スバル、カーセンサー
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